タモリ創作

 あれは最初、誰に言ったんだっけ。小学五年生 本日ズル休みの国本は、自分の部屋のベッドで震えながら、時計が一番きりのいいところに上り詰めようとしている様子を見つめていた。ミッキーマウスの腕がぐるぐるまわることで、現在時刻をお知らせしてくれる。
「明日いいともに出るんだ」
 確かコウジに言ったんだっけか。明日いいともに出るって、最初コウジに言ったんだっけ。クラスメイトのコウジはお調子おしゃべり者で、バッティングセンターではボール球にも手を出すタイプ。国本が明日のいいともに出演するという噂はあっという間に千里を走り、校舎の階段まで駆け降りていた。休み時間、まだいいともに出演していない国本なのにも関わらず、低学年生たちのサイン攻めにあった。
「サイン!サインちょうだい!」「いいとも先輩、サインください!」「いいともレギュラー先輩!」「未来のタモリくんへ、って入れてください」
 尾ひれがついて、国本はとうとういいともレギュラーになったということになっていた。国本は相手が下級生ということもあって、ノリノリで「未来のタモさんへ」と気を利かせた。
 でも、なんだかんだ言って、きっと大丈夫なはずだよ。みんな、いいともを見ないはずだ。あれだけ言っておいたんだ。大丈夫。そう、あれだけ、
「明日の昼の、恵の番組は要チェキだよ。いいともレギュラーの俺が言うんだから間違いないよ」
 と言っておいたんだからきっと大丈夫。国本はそう強く信じていた。
「確かに、いいとも出演者の国本が裏番組のことを褒めるってことは……」「こりゃ迷っちゃうな」「俺、ホンジャマカ好きだしな」「でもさ、国本くんが出るんだよ。やっぱりいいともじゃない?」
「いや、恵のヤツみなよ」
「ていうか、俺たちは明日学校だから、どっちにしろ見られないよ」「ほんとだな〜ちくしょ〜」「男子、バカねー。お母さんに頼んで録画してもらえばいいじゃない」「そうよそうよ。恵の番組といいとも、ダブル録画しておけばいいじゃない。ちょっとは頭まわしなさいよ」「ったく女は何にもわかってねぇ〜な〜。うちのハードディスクの残り録画時間、すげえ少ないんだっつうのなぁ〜」「知らないわよ」「こまめに消しなさいよ」
 みんなの暢気な会話を聞きながら、輪の中心にいる国本はしかし、額にあぶら汗をにじませていた。その目は、ただ一点を見つめていた。そう、スコーンと忘れていたのだ。小学校の教室には、テレビがある。明日の正午、臨時でテレビの時間になったら終わりや。国本は関西弁で思いながら、念を入れてさらに恵を褒めちぎった。
 大きな不安にかられながら、国本は風邪のフリをして、どんどん腹をすかせていた。そろそろ、良くなった感を出して冷蔵庫を開けに行ってもいい頃だ。
 

 次の日、国本はおっかなびっくり、始業時間ぎりぎりに学校にやってきた。教室に入るなり、ほぼ全員が業界の挨拶で寄ってくる。
「おはようございます」「おはようございます」「なあ、どうだった!?」「なあ国本、いいともどうだった!?」
 話を聞いてみると、幸運なことに、臨時テレビ視聴の時間も無く、クラスの全員が欠けることなく恵俊彰の番組を録画していた。
 これなら、大丈夫かもしれない。最後の切り札を出さなくて済むかもしれない。国本は、ポケットの中で、家からこっそり持ち出したお父さんのサングラスを握りしめた。国本は言った。
「一瞬スベりかけたけど、鶴瓶が助けてくれた」
「鶴瓶が」「鶴瓶って、あの鶴瓶?」「笑福亭の?」
突然ガバチョ
 ほっほぉ〜っ、と色めきたつクラスメイトたちに、国本のボルテージはだいぶ黄色、そしてオレンジに近づいていた。
「言っておくけどね、生放送はね、魔物だよ」
 こうなってくると、この若さにして鶴瓶に助け船を出され、生放送の怖さを知っている国本の話を聞くのはいいが、逆に自分たちがまぎれもない素人であるという悲しい事実を突きつけられたクラスメイトたちは、すげえすげえと口を開けて感心するしかない。
 そのとき、ガラガラとドアが開いた。先生かと思ったが、それは、国本以上に遅刻ぎりぎりで登校したブスの松田さんだった。
 国本の顔がリスクマネージメントの失敗でゆがむ。松田さんは、一昨日、学校を休んでいた。昨日も休んでいたかもしれない。国本に最大のピンチが訪れた。学校を休んだ小学生は、五百パーセントの確率でいいともを見て、登校して自慢する。
「松田さん、昨日のいいとも見た!?」「国本が出ていたんだぜ!」「国本、木曜レギュラーなんだぜ!」
 案の定、クラスメイトがインタビュー形式で、二重になった顎のあたりに丸めたデニム地の筆箱を突きつける。こっちを全然見ない松田さんに、なかば覚悟した国本だったが、松田さんはこう言った。
「見たよ」
「どんなだった!?」
「……タモリの前で、バク転してたよ」
 とびっきりの笑顔で、クラスメイトたちは顔を見合わせあった後、国本を振り返った。
「そうかそれで鶴瓶が…」「にしても国本、バク転できるのかよー!」「俺らにもバク転見せてくれよー」「ねぇお願い国本くん!」「俺たちにもバークー転! あ バークー転! バークー転!」
 大好きな塩味の効いた新たなおかずを手に入れ、クラスメイトの中には、既に体操服へと着替え始める者もいた。これから始まるお祭りは、そのくらい大きな予感に満ちていた。次から次へと、世界が自分の創造を超えていく。こんなに楽しい日があっていいのだろうか。今日ばっかりは、宇宙がちっぽけだぜ。
「バークー転! バークー転!」「バークー転! バークー転!」
 しかし国本は動かなかった。動き出せば、全てが終わってしまうからだ。嘘がバレた時、買い換えたほうが安いほどの深い傷を負ってしまうことは、百円ショップでミニ電化製品を買うより明らかだった。
「国本?」
 国本は依然、というか俄然、全然聞こえない振りをしていた。さっきまであんなにペラペラいいとも出演秘話を語っていたというのにどうしてしまったんだ。クラスメイトたちはだんだん怖くなってきた。
「ねえ、国本くん」


「国本くん?」


「あの……」


「ごめんね」
「えっ、なに? ごめん全然聞いてなかった」
 しかし、そこで国本が反応したことで、クラスは、国本は木曜レギュラーだ派の人間と、国本は裸だ派に、まっぷたつに分かれてしまっていた。木曜レギュラー派の人間の大半が、体操服に着替えかけていたが、その中心、小倉川に至っては、紅白帽までかぶって、手の甲には『俺たちの誇り 国本』とマジックで書いてあった。国本は裸だ派の人間は美容院で髪を切っていた。
 国本の目がギョロギョロとSOSサインを出している。国本にとって、最後の頼みの綱である松田さんも、最初のバク転発言のあとは黙りこくり、いったいどうしてブスがアドリブであんなことを言ったのか、実に悔やまれる。
 そんなだから、教室はいつしか重苦しい雰囲気になった。一人、また一人と、憮然とした表情で体操着を脱ぎ、いつもはそんなことしないのに、わざとらしく綺麗にたたんでいく。やがて一人の男の子が、おずおずと、しかし責めるような口調で言った。
「国本、いいともの話、ほんとなのかよー」
 みんなざわざわした。
「まさか、嘘だったのかー」
 国本は一か八か、ポケットにつっこんだままの手をゴソゴソと動かし、
「これ、タモリに・・・」
 とつぶやきながら、ゆっくりとサングラスを取り出そうとした。
 一番近くにいた誰かが、
「あ?」
 と声をからませた時、先生が入ってきた。