『フルタイムライフ』柴崎友香

フルタイムライフ (河出文庫)

フルタイムライフ (河出文庫)

 僕は仕事をしたことないどころか、最近よくすれ違ってそのたびに挨拶をしてくる「仕事」というものに対して、いけないなと思いながら無視しています。僕は仕事について全然知りませんでしたが、そしてこの小説を読んでも仕事というものはよくわかりませんでしたが、「仕事のある生活」というものがスーッと溶けて早く効きました。
 主人公は僕と同い年の22歳で、美大を出て働き始めたらしく、この、働き始めたらしく、という言葉が偉く似合う着こなしで小説は始まります。働き始めたらしくて、就職してからもちょくちょく会う大学の友達もいるらしくて、恋愛も人並みにやってるらしくて、上司もそりゃあいるらしくて、そして戸惑っているらしくて、という仕事のある生活が10ヶ月分書かれます。
 僕に限らないと思いますが、慣れたら楽しくなってくるだろうなぁということがなんとなくわかっているのに、腰が引ける毎日なはずです。今までも、慣れたら楽しかったし、大体おんなじ感じで慣れて楽しくなるということがわかって、実際けっこうそうなってきたのに、今から半年とか1年とか、まして1ヶ月のスパンですらものをちゃんと考えられないし、一生懸命考えて、よし俺こうする、ここをガマンして乗り切ったらこうなって良いことになる、と納得いったところで、今のやっぱいやだなぁという気分が「コラーッ!」と片手を振り上げたら、さっきの色々な決心の塊は、蜘蛛の子を散らしたように持ち場へ帰っていきます。一応「また呼んでね、いつでも相談にのるよ」とか調子のいいことを言っています。
 こういうことが何百回も何千回も人生で立ちふさがってきて、ある人は華麗に飛び越え、ある人は親に尻を押されながら向こう側に落ちるようになんとか越えていきます。こっち側に居を構えてパソコンを始める奴もいて、僕も人のこと言えません。この小説の主人公にとって、だいたい全部のそういうことがガードレールぐらいの高さであって、それをまず片足でまたいで、体を翻しながらもう片方もまたぎ、そこに寄りかかってしばらく座ってるような感じが僕にはします。問題というか気のかかずらい事を全部あーあと思いながら引き受けるというか、単にあーあと言いながら、掃き掃除のスピードでゆっくり進んでいくような人で、読んでると、こういう人が芸術家になるのだろうとか、この人はどこであろうと何であろうと、人生のキラキラを、あーキラキラしていると思って見ていられて、実際どっか奥深い綺麗なところでそれでいいという人だと思い、だからこんなにも、ちゃんと喜怒哀楽があって生きているのに、慣れていく過程に段差が無く感じるのだろうかと感慨にふけります。そしてすっかり読み終えた時、僕は、いや、あれ、そういうことでもなく、この主人公の人の性格だからということもでなく、よくわからないけど、さっき書いたような慣れるだの楽しいだの関係なく、会社に慣れる前も、慣れていく最中も、慣れてきても、もしかしたら人生はずっとキラキラしているのではないかと思いました。それは気分次第みたいなことでもなくて、ウジウジしてるからこそキラキラしてるんだよ、とかいうことでもなくて、実際、マジで、人生につまらない瞬間など全くひと時もなくて、全てはキラキラしっぱなしなのではないか、と本気で思ってしまいました。言わないでください。いや小説だからね、なんて悲しいことは言わないでください。僕が、これを読んで、人生はフルタイムでキラキラしている、とマジで思えたということなんです。まあでも、実際は絶対そうじゃないとも思う。キラキラしてそうもなさに腰が引ける。この小説の中の出来事、ほとんど喋ったことのない常務と電車で移動するのは気まずいし、いらんことしててパソコンがイカれて仕事に穴を開けて怒られたりしたらイヤだ。絶対イヤなんだ。でもおかしい、やっぱキラキラしてる。仕事のある生活、窓の外、ミラーボール。あの人、この人。人生。キラキラしてる。ウソ、キラキラしてる!
 僕は一年休学してるので、22歳で大学に通っています。その通いの電車でも、街を歩いても、この小説を読んでから、何やらキラキラしています。というか、柴崎友香のを読むといつもキラキラします。読んだだけでなんか世界がキラキラしたりする。それが小説というものだし、芸術というものではないでしょうか。とにかくすばらしい小説だった。