僕の一番つらかった戦争体験を聞いてください

 僕は清里さんのことが好きだから、すぐにわかった。
「空襲警報が鳴ったので、私達は電灯を消して――」
 戦争体験を話しにきたおばあさんの目に、窓から差し込む光を反射させているのは、清里さんだ。僕の斜め前、窓際に座っている清里さんは、鋭く整った顔に頬杖ついて、切れ長のくっきりした目と雪のように白いほっぺたを押し上げながら、おばあさんを見つめている。でもその下では、筆箱と、メモを取るように渡された紙とで半ば隠すようにして、手の平に柔らかく包んだ手鏡の角度をチラチラ変えている。
「――のとき、丘の向こうで焼夷弾が落ちたのがわかりました。赤く弾けた光で、雲の陰がはっきり映って――」
 教壇の上の椅子に座って喋っているおばあさんの顔には白い光の面が張り付いて、プルプル小刻みに動いている。UFOのような形にゆがんだペラペラの光で輝くおばあさんの顔は、まぶしさにゆがんでいた。
 僕たちは全員、おばあさんがかなりまぶしくなっていることに気付いていたけど、角度からいってちょうどおばあさんの真横、教室の前方のドアの前に立っている先生は気付かないらしかった。僕たちのうろたえた顔を、どこか満足げな顔で見ている。窓際の清里さんは、逆サイド、おばあさんの右目を重点的に狙っていた。
「翌日見てみると、道路に穴が開いているところもあって、その近くの家は燃え尽き、」
 私は人が真っ黒い塊になって亡くなっているのを見ました、と言った時、清里さんは頬杖をやめて、鏡をもう一枚投入した。
 おばあさんの顔の大部分が、一瞬のうちに真っ白になって、おばあさんは完全に目を閉じた。それでも言った。
「それはとても恐ろしい光景でした」
 ぼくは清里さんのことが好きだから、その前の休み時間、清里さんが親友の望月さんから手鏡を借りているのも見ていた。綺麗な顔をほころばせて楽しそうに受け取って、かわいいとかそんなような感想を言っているようだったから特に気にもしなかったけど、そういうことだったんだ。僕を含めた周りのみんなは、知らず知らず清里さんに協力して、なるべく清里さんを見ないようにしていた。清里さんがそんなことをするなんて思わなかったけど、僕は清里さんを嫌いになったりはしなかった。むしろそんなことをする清里さんの気持ちが自分だけはわかるような気がして、もっと好きになろうとしていた。好きだからそう思ったのかもしれないけど、どっちが先でも一緒のことだ。
 突然、恐ろしい予感が僕の顔の右側を走り、僕は思わずそっちを見た。隣の新藤さん、その奥のイソやん、そのもっと奥、教室の廊下側の窓の外だ。そこに外人が立っていた。サングラスをして、パイプを吸って、帽子をかぶり、そして背が低い。150cmぐらいしかない。ここからでは、胸から上しか見えないぐらいだ。そいつはこっちを、僕の方を、いや、清里さんの方を見ている。
 その外人――きっと多分アメリカ人だ――が、清里さんの方を見ては何かメモを取っているので、僕はこのままでは清里さんが、と思い、無性にハラハラドキドキしながら、相変わらず手鏡を二刀流している清里さんに知らせようとした。清里さんは少し夢中になっているようだった。でも、ほんの1m先なのに、僕はどうしていいのかわからない。手鏡を動かすたびに、白い透き通るような肌の二の腕を包もうとして余った、黄色いTシャツの袖も揺れている。こんな時なのに、席替えでこの席になった時は嬉しかったのを思い出した。
 またアメリカ人の方を見ると、増えていた。小さい奴の両側に、いかにも強そうな、子供が8人ぐらい詰め込めそうな大きな体をした奴らが二人、メモをのぞきこんで、小さい奴の話を聞いて神妙な顔でふんふんうなずいている。小さい奴が説明しながら、メモと清里さんを交互にペンでさすたびに、僕の心臓は早鐘のように鳴り、どんどん加速していった。
 そして、チビが大きく頷いて、大きい奴らが動き出した。教室の前のドアをガラリと開け、先生はビックリしたが、簡単な会釈をして道を開けた。二人が清里さんしか見ていないのがわかった。清里さんは表情を変えないようにして、手鏡を机の中にそっとしまった。
 僕は立ち上がっていた。体を斜めにして、清里さんの横を背中を向けて通り、教室の前に飛び出し、奴らがおばあさんの後ろを横切る前に、あまり驚いた様子も見せていないおばあさんに、思いきり一発ビンタした。
「あ、コラッ」
 先生だけが驚いて声をあげた。クラスメイトは何人か立ち上がったけど、僕とアメリカ人――今わかったけど、こいつらはGHQという奴等に違いない――のどっちを見ていればいいのか迷っているようだった。
 僕はおばあさんの、さっき清里さんが光をあてていたところを狙ってビンタをかました。そこは少し熱いような気がした。GHQの二人は、こっちをチラッと見た。僕は息をゆっくり吸いながら無理やり顔を笑うようにゆがめて、見返してやった。GHQはまっすぐ前を向いておばあさんの後ろ、僕の前を通り過ぎていった。
「コラ、何やってんの! 何やってるの下田くん! あんたは!」
 いつの間にか寄ってきていた先生は少し抑えつけたような厳しい声で、しかしかなり強い力で、まず、もうビンタする気も無い僕の手首をつかみ、それから、過剰に慌てた凄い気迫で僕を後ろから羽交い絞めにした。僕は体だけひねって、後ろ、みんなの机が並んだほうを向き、すぐに清里さんと目が合った。けど、そのアイコンタクトがGHQに遮られた。みんなは不自然に首だけねじって清里さんの方を向き、その強張ったような表情が僕をあせらせた。
 二人の隙間が黄色で埋まって、僕にも清里さんが立ち上がったのがわかった。それから、GHQが清里さんを挟むように並んで、三人は教室の後ろへ向かって歩き出した。僕の胸からグッと、何年か越しの気持ちがこみあげたが、それを警戒した先生がさらに強く僕を絞め上げた。
 清里さんは三度、こっちの方を見た。でも、その視線は一度は親友の望月さんに、そしてあとは全部、僕の2m先にいる、学級委員の成沢くんに向けられていた。容姿端麗、成績優秀スポーツ万能。少なくとも、その奥で羽交い絞めにされている僕のことは一度も見なかった。それでも僕は、清里さんのことが好きだから、彼女のことをずっと見ていた。さようなら、さようならと思いながら。