四国

 ひろしはキャサリンにふられたその日、五時から八時半まで泣いた。あんなにおごったのに。あんなにポテトおごったのに、おごったひろしの方が別れを切り出されるなんて、神様は残酷さにかけては新じゃがだ。友人達の驚きはロケに出た時のマツコ・デラックスのでかさのように想像を絶した。ひろしがこんなに友達を驚かせたのは、高一のとき内緒で吹奏楽部に仮入部したあの時の20点満点以来。大学でできた新しい友人達を前に、ひろしは一言も喋らないまま傷心旅行へ傷心旅行へとシフトしていく。
 昼下がりの品川駅、見送る友人達に、ひろしは行き先を告げずにあばよを決めこんだ。が、文庫本(ゲッツ板谷)に挟んだメモがひらりと落ちると、こう書かれていた。


「傷心旅行ですること
・傷心
・おいしいうどんを食べる」


 ひろしの奴、四国へ、一路四国へ行く気だ、と思った友人達は、しかしだんまりを決め込み返した。なぜならひろしは必ずお土産を買ってくるから。ひろしはそんな心優しい奴だ。俺達にはわかっている。そこをアメリカ女につけこまれたんだ。
 ひろしが傷心旅行に出発してから一週間が経った。四国の天気予報がこんなに気になるなんて生まれて初めてだなあ、と夕方毎日思う一週間を過ごしたこれも心優しい友人達は、大学にやってきたひろしを見て時代を感じた。これが本当にひろしなのか。ひろしが変わったのか、俺達が変わってしまったのか。でも俺達は変わってないからひろしが変わったんだ。ひろしだけ裏になったんだ。俺達はバイトをしていただけだ。
「これ、土産」
 一週間前に比べて眉毛と目の距離が近いひろしは、じゃこ天を一人ずつへ袋入りで放った。みつおに投げたじゃこ天が手前に落ちたがひろしは謝らなかった。
「ひろし、四国へ行ってたんだな」みつおがじゃこ天拾いながら言う。
「わかんだろ普通!」
「え? あ、ああ。あ、あの紙のことか」「落としたの、知ってたんだな」
「ていうか、俺が品川にいるってことは、もう四国に行くってことだろうが。行くっていうか一周するんだろうが」
「そ、そうか。そんなのわかんなかったよ、ひろし」「品川と四国を結ぶ、なんかヒントがあったんだね」
「ヒントっていうか、もう前フリだろ! わかれよ!」
「ごめんな、ひろし」「俺達、あんまりおもしろくないから、わからなくて、ごめんな」
「ごめんなっていうか、わかれよ! なんでわかんないんだよ! 俺はひろしだろ! だから四国へ行くんだろ!」
 ある種、ぷっすまのナレーションのようにからみつくひろしの声。前はもっとハンドベルを四人で鳴らすような声だったはずだ。
 チャイムが鳴り響き、3限が始まろうとしていた。大学生になっても、俺達はチャイムが鳴らなければ教室に集合すること一つできない。そんな事実が苛立ちを加速させ、このままではまた、時速80キロ以下になった瞬間に爆発する爆弾を仕掛けられ時の二の舞になってしまう。だから友人達は言った。声を振り絞って言った。
「ひろし、四国で何があったんだよ」「フェリーには乗ったのか、ひろし!」
「ひろしっていうか、別になんでもねえよ! 俺はもうお前らの知ってるひろしっていうか、ひろしじゃねえんだよ! 昨日の俺とは主旨が違うんだ! セ・ひろしだった俺が、今じゃ、ナ・ひろしなんだよ! ちくしょう! 今日から俺のことはピリ辛味噌ひろしって呼べ! 呼べっていうか、金輪際、気安く話しかけんじゃねえ! いいな、あばよ! あばよっていうか、じゃあな!」
「ひ、ひろし」
 振り返るピリ辛味噌。血管が浮いている。
「…ピ、ピリ辛味噌…ひろし……。あの……あのさ、お土産、ありがとう」「あの…フェリーには……」
 大学に入って最初の友達だったみつおの笑顔にも、家に何回か泊まったことのあるこうじのフェリーにも、心身ともにピリ辛味噌になってしまったひろしは応えなかった。ひろしは恋に破れて四国で地獄ラーメンになってしまった。何があったのか知らないが、まだキャサリンのことを……と友人達は思った。誰もひろしを追わなかった。
 それ以来、ひろしがグループを抜けたことで友人達はなんとなくバラバラになってしまった。そんなものだ。きっとそんなものだ。いつしかそれぞれ新しい居場所を見つけて、一気飲みやコピー・アンド・ペーストをする毎日がなんとなく楽しく過ぎていく。うまくやっていると思っている。一人で四国に行って自分を見つめ直せば、みんなみんな、外人にふられてなくてもイヤになるだろう。四国へ行かなくて本当に良かった。