俺に見る人類の進歩の仕方

異性を見ても食べ物を見ても、何かに対して○か×か決めるのってだいたい一瞬でしょ。はいブス、よし食べたくない、の間一髪に生きる男の世界だし、女の世界じゃない。
だから、記憶の総体というのはかなり自立的なのではないかという話がしたい。
今から難しいことを言うけど、俺には制御できないからこそ俺を俺たらしめているのはその部分(○×を決定する瞬間に働く部分)だということができるじゃない。なぜなら仮に俺に制御された俺がいるとすれば、それは俺以外の俺にならざるを得ないじゃない。でも俺は俺として俺だから俺には制御されてなくて、ということは俺以外の何かに制御されているってことじゃない。
ふんで、○×や好き嫌いのあとで付け加え始める理由というものは、俺の感情を裏書きするために付け加えがちだけど、俺にとって重要じゃないというか切羽詰まってないような感じがどうしてもするじゃない。なにせ、その「理由」がいくら並べられたところで、俺が○か×かを決めた瞬間に淀みなく発揮された情報量と切実さと間違いのなさには永遠に及ばないじゃない。俺は全てを思い出さないだろうし、まして言葉の形でなんてもってのほかじゃない。しっかしだからこそ「理由」には俺にとって○でも×でもない要素が組み込めるわけで、それがもとをただして搦め手から俺の○×に影響を与えるってのはそれはもちろんあることじゃない。そしたら結局、俺は俺にも変えられるしバッチリ制御されてるということで、さっきと言ってること違うけど、この考えに今俺としては凄くビビっと○が出たから、これで正真正銘やっぱり俺は俺を理由によって変えてしまったということになるので嬉しいじゃない。考える甲斐があったりもするじゃない。