タカ夫と剣道部

 きちんと「剣玉で」と書いたはずなのに、「何卒」と書いたのに、タカ夫は剣道場に通された。さらに、控え室には剣道の防具一式が用意されていた。湿気のある室内はさながら小手の中である。
 タカ夫は腕組みして脳を活性化させた。これはマジで間違えたのか、それとも確信犯なのか。確かめる必要がある。そうでないと剣道で戦うことになっちゃうから。得意なのは剣玉だから。とりあえず袴だけ身につけて、タカ夫は剣道部員でいっぱいの剣道場に飛び出した。
「やあ諸君、僕が今日、剣玉で近藤君と対決する田中タカ夫だ。え?」そこでキョロキョロするタカ夫。「あれあれあれあれ、僕は、果たし状に剣玉と書いたはずだけど、あれれれれ? ここは剣道をする場所なんじゃない?」
「なんだか知らないが、とにかくすごいやる気だ、あの人」
「油断すると、部長もあの人に足元をすくわれるぜ」
 剣道部員全員のこめかみから、汗が一筋流れ落ちた。
 思わぬ反応に、タカ夫はかなり不安そうな顔を浮かべて、今度は自分の体を見下ろした。足だけちょこちょこ動かして、ゆっくりと回転し始めた。
「見て、これ。見て! 僕、田中タカ夫が身につけているのは、これはもしかして、剣道の時に下に着るやつかな? 剣玉でアポを取ってある僕がこんなものを着ているなんて、どういうことだろう。いやはや」
「ええっ、あの人、剣道のこと全然知らないのにあえて剣道で勝負を挑んできたんだ」
「持ち前の運動神経だけで部長と戦うつもりなんだ、あの人」
「いや違うよ、あの人はわざと剣道を知らないフリをしているんだ。相当の策士と見たね」
 タカ夫はその場で小さく二度ジャンプすると、いったん控え室に引っ込んだ。どっちなんだわからない。何度も剣玉と言ってるのに。マジで間違えてるからそう聞こえちゃうのか、それとも剣道部にはめられたのか。答えはどこにあるんだ。全然名前を覚えてもらえないし、どうすればいいんだ。
「ちくしょう、帰りたい!」
 タカ夫はやけになってミルクティーをがぶがぶ飲んだ。体を動かす決闘の前に飲むべきものではないが、タカ夫は朝、剣玉をする気でローソンに寄ったのだから無理もない。
「ずいぶんお困りのようね」
 うつぶせの体勢でミルクティーの成分表をなんとなく見ていたタカ夫へ、突然、女の子の声が聞こえた。タカ夫は急に恥ずかしくなって、体を起こして部屋中を見回したが、人っ子一人いない。
「誰だ!」
 その瞬間、部屋の隅にあった西洋の鎧の顔部分がカシャンと開いた。
「シーッ、静かに。私よ。剣道部副部長のジェニファーよ」
 私よ、ジェニファーよ、と言われてもタカ夫は面識が無かった。鎧の奥の青い目に見つめられて、タカ夫は金縛りにあったように動けなくない。外人がおっかないタカ夫は、ハワイに行くなら石垣島に行きたいと常日頃から周囲に漏らしていた。
「剣玉名人のあなたが部長に剣道で勝つ方法を、私が伝授してあげるわ」
 機転を利かせたタカ夫は、置いてあった剣道の面をかぶることで外人とディスカッションする恐怖を軽減し、一転してなれなれしく喋りかける。
「なぁジェニファー、その前にひとつだけ教えてくれ。もしかして僕は、はめられたのか? この寅年の僕が、はめられたって言うのか」
「そうよ。あなたは寅年、そして剣道部にはめられたのよ!」
「なら、どうしてその剣道部の君が、今更僕を助けてくれるんだ」
 タカ夫がパンツのくいこみを直すため体をよじらせた瞬間、ゴゴゴゴゴと重々しい音がして控え室が震えだした。
「な、なんだ!? ジェニファー、これはいったい!?」
「天井よ、天井が下がってきているのよ。徐々によ! あなたは、はめられたのよ!」
「徐々に!?」
 タカ夫は上を見た。なんということだ。すでに天井は、タカ夫がジャンプしても手が届くぐらいになっている。タカ夫は思わずジャンプしたが、手は届かなかった。
「ジャンプ低っ」
 ろくにこっちを見もしないで、鎧を着たジェニファーはしゃがみこんだ。天井の接近に備えているようだ。
「私は西洋の鎧のおかげで自分だけは助かる気がしているけど、あなたは、死ぬわよ!」
「冗談じゃない、僕は逃げる!」
 タカ夫は両手をあげる、完璧な逃げの体勢でドアに走った。
「あれ? あれあれあれ!?」
 何度ガチャガチャやっても、ドアが開かない。タカ夫がすがるようにジェニファーを見ると、ジェニファーは顔の部分もいつの間にか閉めきって、尻から机の下にもぐりこもうとしているところだった。
「この部屋は、外側からしか鍵をかけられないのよ。あなたは、はめられたのよ!」
「僕は、はめられた!」
「早く防具を着ないと、死ぬわよ!!」
 なるへそ、なるへそ。パニック状態のタカ夫は、全ての剣道の防具を身につけにかかった。しかし、天井はもはや、タカ夫の弟の身長ほどの高さに迫っている。牛乳が嫌いなくせして、どうしてあんなに大きくなるんだ。タカ夫は涙目、そして中腰になって胴を装着し、小手をつけ、手がさびしいので竹刀も持った。
 すると、ドアからガチャンという音がした。
「しめた、鍵が!」
 ヘッドスライディングで部屋を飛び出したタカ夫に、総勢40人の剣道部員が一斉に襲い掛かった。タカ夫は、はめられたのだ。