棟梁は弁当と一緒に梁の上

 家は骨組みが完成したというところだった 。二階部分の梁の上にいる棟梁は、そこで弁当を立ち食いしていた。これは棟梁の七つある大工奥義の一つ「高い分うまい」、僕たち下っ端ヤングマン大工マンたちは、地上で弁当を食いながら、棟梁の美しい立ち食い姿を惚れ惚れと見上げるしかなかった。いつか自分も、あそこで弁当を食えるようになりたい。今の自分たちがあそこで立ち食いをしたら、ろくに食べた気がしないだろう。ボロボロ下へこぼした挙げ句、その上へ真っ逆さまに落下、土にまみれたのり弁の香りをかぎながら死に、頬っぺたに海苔が張り付き、早起きしたお母さんが作ったおにぎりの昼ごろの質感になるに決まってる。
 ところがどうだい、見てくれうちの棟梁を。棟梁は本当に凄い。こんなに凄いのにテレビチャンピオンに出ないなんてもう逆に営業妨害ではないかという気持ちで僕たちは箸を口に運んだ。しかしその時、棟梁が立っている梁の両側に、悪魔がいることに気づいた。いつの間にか、シッポが矢印の形をした黒い悪魔がカニ歩きで少しずつ近づいてきているのだ。
「あの悪魔ども、棟梁を挟み撃ちにする気だぞ」
 誰かのなぜか小さな声が聞こえ、僕はその時一瞬遅れて、これはえらいことになったぞと思った。しかし、棟梁はまだ黙々と立ち食いを続けている。やっぱり素直に下で食べておけばよかったんだ。かっこつけてあんなとこで立ち食いなんかして、だから悪魔に目をつけられてしまうんだ。山頂で食うおにぎりがうまいのは、単に気持ちの問題だ。工期半ばであんなところに立ったってまだ何の達成感もないんだから、あんなの本当は、ロシアのむちゃくちゃするYouTuberがビルの縁にスケボーを引っかけているのと何ら変わらない愚かな行為なんだ。
 片方の悪魔は黄色に赤の水玉模様の箱を持って、横向きでじりじりと、時々ふらつきながら、弁当を食っている棟梁に近づいていく。もう片方の悪魔は手ぶらで、両手を横に伸ばして進んでいる。
 そこでようやく悪魔の接近に気づいた棟梁は、弁当に顔を半ば突っ込みながら、明らかに慌てた様子で交互に振り返りながら、目だけをチラチラ上げて悪魔を何度も見やった。そんなかっこ悪い棟梁を見るのは初めてだったけど、梁の上で悪魔に挟み撃ちされたのでは止むを得まい。しかし、その慌てぶりを普段こき使っている僕たち弟子たちに見られていると知ったら、棟梁のハートはギザギザになってしまうだろう。僕たちは目配せし、棟梁にわからないよう、弁当8チラ見2のフォーメーションをしいた。シャケ、ご飯、卵焼き、白身魚のフライ、棟梁しっかり、ご飯のリズムに箸も踊り踊る。
 とうとう、悪魔が棟梁のところまで到着した。すると、箱を持った悪魔が、その箱を棟梁に差し出した。
「これは……悪魔の罠に違いないぞ」
「舌切り雀の、大きいつづらのパターンだ」
「あんな水玉模様の怪しい箱、受け取っちゃだめだ」
 僕たちはひそひそ口を挟んだが、棟梁はどうやら物につられて受け取ろうとしているようだった。どうにか受け取ろうと、持っている弁当をどうしようか迷った様子でおたおたしている。
「まずいぞ。棟梁は悪魔のプレゼントを受け取るつもりだ」
「でも大丈夫。梁の上では、さすがの棟梁も弁当を手放すことができないよ。だからプレゼントももらえない」
 そうかそうか。僕らがホッとしたその時、棟梁はくるりと振り向き、手ぶらの方の悪魔に、弁当持ってて、と言わんばかりにおずおずと差し出した。箸は、ご飯に斜めに突っ込んで動かないようにする感じになっているようだ。
「まずい。あれじゃあ悪魔の思う壺だ!」
「おい、静かにしろ。聞こえちゃうだろっ」
「でも、そんなこと言ってる場合か。みすみす悪魔の手にかかるより、ハートがギザギザになった方がましだ」
「俺もそう思う」
 僕たちのところがちょっとザワザワした隙に、手ぶらの悪魔が弁当を遮るように手をかざし、棟梁に向かってしきりに横に首を振っている。棟梁は唇を噛んだ。一方で、背中からは、早く早くという感じで悪魔が箱を押し付けている。押し付けるたびに悪魔の方の足元がふらつき、びびっている様子だ。バランスを取るため、早く受け取って欲しいのだろう。それなら手ぶらの悪魔は弁当を持ってくれたっていいのに、いったい、悪魔どもはプレゼントを受け取って欲しいのか、欲しくないのか。これはもう、絶体絶命のピンチだ。全部、棟梁の欲張りのせいだ。
「あの状況じゃ、悪魔のプレゼントを早く受け取った方が安全だ。やっぱり俺達は見てみぬ振りをしておくべきだよ」
「でも、弁当を持ってもらわないことには棟梁はいつまでもプレゼントを受け取れないぞ」
 しかし、そこで棟梁は何かひらめいたのか、悪魔に何か言った。僕たちにも、どうにかその声は届いた。
「すぐ食っちゃうから待ってて」
 悪魔はそこで、少し後ずさりして、棟梁が弁当を食べる分のスペースを作ってくれた。棟梁はすぐさま凄い勢いで食べ始めた。
「こんなの、ほんとすぐよ」
 不安になったのか、棟梁は割りと大きい声で言った。そんなにプレゼントが欲しいのか。僕は、あの箱の中身は相手が悪魔ということ、柄、全てをひっくるめて100%の確率でピエロの頭が飛び出すビックリ箱だとあたりをつけていたので、棟梁がそんなに必死になるのがとても情けなく思えた。
「一瞬ですから」
 一瞬とか言いながら、丁寧語になりながら、棟梁の食はいまいち進んでいなかった。あんまりバクバク食べると、やはりそこは細い梁の上、いくら棟梁といえどもふらついてしまうのだ。手ぶらの悪魔は弁当をのぞきこんで指さし、白身魚のフライ丸々残ってんじゃんというジェスチャーで冷たい視線を浴びせた。
「好きなのか?」という悪魔の声がかろうじて聞こえた。
 棟梁が弁当に顔を埋めたまましきりにうなずくはにかんだ上目遣いが見える。悪魔は互いの目を合わせて溜息をついた。そして、振り返ってカニ歩きで棟梁から離れて行き始めた。
 それに気づいた棟梁は、かなりあせりながら、もはや箱を持っている悪魔だけに叫んだ。
「待てって! 今食っちまうから! ねぇ! ほら!」
 そして思いきり、フルパワーで食べ始めた棟梁は、すぐにバランスを崩して、背中の方から落下した。僕たちが「あっ!」と叫んだ瞬間、悪魔の姿は一瞬にして消え、棟梁は顔を米粒や惣菜まみれにして、胸にひっくり返った弁当のプラスッチックのガラを載せて、一階のトイレが作られる予定の部分で大の字になっていた。僕たちは、誰が言うでもなく弁当10のフォーメーションをしき、それしか残っていない、普段は残す、飯の横の非常に狭いスペースにある漬物を全力でポリポリするしかなかった。