僕はディナーショーになんか来なきゃよかった

 お笑い芸人を目指して東京に来て半年、僕は色々なことを知った。当初の予定では来年にでも吉本のNSCに入ろうと思っていたが、今になって僕の心は揺らぎに揺らいでいた。
 僕はこの半年間、バイトでためたお金でお笑いライブを見まくるという体に負荷をかけないトレーニングを積んできたが、その過程で、お笑い芸人がお笑いライブをやってどうすると思ったのだった。よく考えたら、全然おもしろくないよ。お笑い芸人がお笑いライブをやるって、何のひねりもない。ひねらなきゃ。マカロニだってなんだって、ひねってる方がおもしろいじゃないか。食欲はそそらないけど、おもしろいじゃないか。まずそのスタートから狙いにいくのがほんまのお笑い戦士ちゃうんか、と。トータルで考えれば、その空間はおもしろいかと聞いてるんだ。お笑い芸人がお笑いライブをやってるその空間は果たしておもしろいのか。何年この世界いるんだよ。
 というわけで、僕はお笑いライブを見に行くのを金輪際もう止めて、チケットぴあで今日のこのチケットを取ったのだった。
 僕は純白のクロスが敷かれた高級感あふれる丸いテーブル席に、知らない人達と一緒に絶妙な間隔をあけて座っていた。場内は真っ暗だったが、突然、会場の広間全体の照明がついた。何より、大きなグランドピアノにまず目がいく。そして、その向こうの壁にかかっている大きな看板にはこう書いてある。
『体のやわらかいヤクザ ディナーショー』
 そうだ、これだ。僕が東京に求めていたのは、僕が人生にウン・タン・ウン・タン・ウン・タン・タンのリズムでやってきて欲しいのは、きっとこういう愉快なものだったはずだ。お笑いをつまみ食いしたクソ素人の五百円ライブを十六回見られるとしても、それを断って、僕は最初からこういうものを見るべきだったのだ。よかった。体のやわらかいヤクザのディナーショーに来て本当によかった。僕は手が痛くなるまで拍手した。同じテーブルについている品のいいおばさん達も、ステージに釘付けになっていた。
「大変長らくお待たせいたしました。体のやわらかいヤクザの入場です」
 司会の人が落ち着いた声でしゃべった。拍手が強まり、その中、白いスーツを着てセカンドバッグを抱えたヤクザが出てきた。あれが体のやわらかいヤクザか。いや、そもそもあれはヤクザなのか。いやにいい姿勢で歩いてくるアレはヤクザなのか。ヤクザはステージの上のテーブルに座った。いきなりヤクザは煙草を出して、吸い始めた。ここで、僕の中の本物のヤクザである可能性がグンと跳ね上がった。禁煙なのに、ここ禁煙なのに。
 するとここで、僕達の席にフランス料理の前菜が運ばれてきた。ヤクザと料理の二つを同時に楽しめるなんて、上京してきた甲斐があった。僕はおばさん達をチラチラ見ながら外側のフォークを使って完全に見た目はサラダであるものを一口食べた。とてもおいしかった。でも、ヤクザの動向も見逃せない。ヤクザにも料理は運ばれている。いや、その前にヤクザ、煙草をどうするんだ!
 ヤクザは、運ばれた料理を上からのぞきこむようにして見ながら、やはり煙草をどうするのか迷っているらしかった。少しきょろきょろした。ヤクザ、どうするんだ。僕が心に問いかけたその時、ヤクザは床に置いていたセカンドバッグから何かを取り出した。そして、それを手の中でいじり、そこにタバコを押し付けているらしい。タバコがなくなって、ヤクザがそれをテーブルに置いた。そこにカメラを担いだマン(カメラマン)が近づき、とらえる。すると、場内右奥、司会の人がいるところのすぐそばの巨大スクリーンに、携帯用灰皿が大写しになった。
 誰かが拍手し、みんな拍手した。そもそも禁煙なのに、携帯灰皿を使うだけで拍手を受けるあの人はやっぱりヤクザだ、あいつはリアルヤクザだ。ヤクザはその後、普通に、しなやかな礼儀正しい動きで料理をいただいていた。僕はその振る舞いを見て、あれはランクの高いヤクザだと確信した。それも、もう車を自分で運転しなくてもいいクラスの。
 それから、スープが出てきた。ヤクザのスープはまだ運ばれず、ここで第一演目となった。司会はいつの間にかいなくなっていたので、何の説明も無いまま、ヤクザは一人で席を立ち、グランドピアノへと歩み寄った。そして、鍵盤の蓋に手をかけると、そこに足もかけた。そして、グランドピアノの、閉じられている蓋の上に飛び乗った。そして飛び乗ったその動きですぐさまY字バランスをした。
 凄い拍手が起こった。僕は思った。体やわらかい。あれは本当に体のやわらかいヤクザだったんだ。僕は今にも泣き出しそうになった。こんなに感動したことはなかった。おばさん達に涙を見られるのが恥ずかしかったので、僕は席を立って、トイレに行く振りをしていったん会場を出た。出る時、ヤクザはピアノの縁を使って立位体前屈をしていた。体やわらかかった。また大きな拍手が起こった。高級感のあるドアを閉めると、音はほとんど聞こえなくなった。
 そばに三つ並んでいた椅子に座ると、僕は天井を見上げた。すると、すぐ隣に気配を感じた。慌ててそっちを見ると、一つあけた三つ目の椅子に、藤子・F・不二雄先生の霊が座ってこっちを見ていた。少し透けていた。
「今はあなたは関係ないんだ。でも、この際だから言います。僕はドラえもんが大好きです。とっても愉快で、感銘を受けました。今も受けています」
「関係ないけど、ありがとう」
 藤子・F・不二雄先生の霊はだんだん薄れていった。
「先生、藤本先生!」
 もはや藤子・F・不二雄先生は笑っているだけだった。僕は必死に呼びかけた。
「あの、ドラえもんはどうやって思いついたんですか! Wikipediaに書いてあることは本当なんですか!」
 僕が最後にそう叫ぶ前に、藤子・F・不二雄先生の霊はもう消えていた。
 僕は居ても立ってもいられず、そのまま走って会場を飛び出した。外は既に暗かった。いいよ。体のやわらかいヤクザのディナーショーなんてもうどうでもいい。それよりも、僕は絶望していた。今のこの世の中で、俺ならドラえもんを考えつけただろうという奴は手を上げてみろ。ドラえもんがいない世の中で、ドラえもんを考えつける自信があるなら、手を上げてみろ。野比のび太を考えつける奴は手を上げてみろ。
「嘘つけ、バカヤロウ!」
 僕は走って駅へ飛び込んだ。もう、おしまいだ。
「わしゃ、破滅じゃー!」
 僕は最後の望みを託して、そう叫びながら駅の階段を駆け下りたけど、出るところだった山手線内回りに間に合っただけだった。サラリーマンでいっぱいの電車に揺られながら、2112パーセント絶対にドラえもんを思いつけなかったに違いない僕はサラリーマンにもなりたくなかった。