マサオさんは剥き出しのクオーター 〜母方のおじいちゃんが人間〜

 新しい宇宙船で、ハンガーをかけられるパイプのついたクローゼットがあるのは、その部屋だけだった。一畳半ほどの長細い空間に、パイプが渡っている。
「どうする、これじゃ狭すぎるか……?」「さすがにこれじゃあ……」「やっぱり別に部屋が必要よ」
 乗組員のツツロウ、ズルミチ、エヌコはクローゼットの中をかわるがわる覗き込みながら言った。すると、エヌコの肩をつかみ、紳士的に押しのけるようにして、ナマケモノ型新人類(ナマケモノと人間のクオーター)のマサオさんが前に出てきて、クローゼットの中を見た。
「マサオさん、さすがにこれは狭いですよね」ツツロウが言った。
「いける、住める」
 そう言うと、マサオさんはゆったりとした動きでクローゼットに入っていった。そして、長い手を伸ばし、その手の先の、子供が考えたように見えるほどでかい爪をポールに引っ掛けた。そして、体を持ち上げ、足の爪も引っ掛けて、完全なナマケモノ状態になった。
 人間の三人は、確かめるように爪を引っ掛けなおしたりしているマサオさんを見つめた。マサオさんは顔を後ろに垂れ下げるようにした格好で、エヌコのメリハリのきいた、しかしスリムなボディーを下からなめまわすように見た。エヌコがまず気付き、それからツツロウとズルミチとが気付いて何か言おうとした瞬間、マサオさんは上を向いて言った。
「うん、ギリ住める」
「じゃあ、マサオさんの部屋はここでいいですね」
「ああ、閉めてみてくれ」
 ズルミチが扉を閉めると、マサオさんはしばらくして言った。
「うん、住める。暗い。寝れる。寝たい」
「決まりですね」
「おやすみおやすみ」
 それから三人は、別の部屋を見て周り、それぞれの居場所を決めた。そして、夕食となった。三人が準備をしていると、マサオさんがゆっくりと入ってきた。
「住めない」
 三人は振り返ってマサオさんを見つめた。
「一人になった途端、寂しさが押し寄せてきた。起きた時、閉じ込められてるのかと思っちゃった」
「マサオさん、住めるって言ったじゃないですか」ツツロウが言った。
「強がってた」
「強がってたんですか」
「心の中では、絶対こんなところには住めないと思ってた。『住めない俺』だった」
「じゃあ、正直に言ってくださいよ」
「『言えない俺』だった」
「それやめてください」
「『やめない俺』」
「やめてくださいってば」
 マサオさんはチラリとエヌコの方を見た。エヌコは真面目な顔でマサオさんを見つめていた。
「どうして強がったんですか、マサオさん」そのエヌコが言った。
「強がってないよ」
「いや、強がったんでしょ」ズルミチが入ってきた。
「寝たかったから。早く寝たかったから、適当に返事しちゃった」
「じゃあ、強がってたんじゃないんですね」
「全然強がってなかった。どうして強がるの。眠いから返事しちゃっただけ」
「じゃあなんで強がってたとか言ったんですか」
「眠かったから、つい」
「今も眠いんですか?」ツツロウが言った。
 マサオさんは完全に動きを止めて、ツツロウを見つめた。そのまま数秒たった。
「ナマケモノは、寝てる時だって眠いんだよ」
 みんな返す言葉が見つからずに黙った。マサオさんは三人を見回した。
「冗談だよ」マサオさんは言った。
 三人は表情をわずかに変えたように見えたが、それでも黙っていた。
「寝てる時に眠かったら……そんな難しい状態、そんな……」マサオさんは言った。
「そうですよね」ツツロウが少し笑いながら言った。
「うん」マサオさんは真顔で、ツツロウに向かって言った。基本的にナマケモノなので、表情が無いのである。
 ツツロウは笑うのを止めて、ズルミチを見た。
「じゃあマサオさん、どうしますか。そうなると、マサオさんの部屋が無いんです」ズルミチが言った。
「無い?」マサオさんはズルミチを見た。
「ええ」
「いや、無いじゃなくて、作ればいいんだろ」ツツロウが注意するように言った。
「そうだ。そうですね、すいません」ズルミチがマサオさんに向かって軽く頭を下げた。
「謝ってくれればいいんだ」
「すいません」
「それでいいんだ。清々しい気持ちだ」
 それから誰も喋らず、完全防音の宇宙船は静寂に包まれた。しばらくして、マサオさんがゆっくりと三人の方に歩み寄りながら始めた。
「とにかく、あそこには住めない。あそこは服をしまう場所だ。起きたその瞬間、服をしまう場所の匂いが鼻をつき、私はオシッコをもらしたんだ」
「オシッコしちゃったんですか。勘弁してくださいよ」ツツロウが言った。
「しちゃった。オシッコがいつまでも滴り落ちるのを、不思議と落ち着いた気持ちで眺めてた」
「変な言い方やめてください。ふざけてるんですか」
 マサオさんは突然立ち上がり、同じ目線の高さになると、じっとツツロウを見つめた。大きな爪でお腹を掻きながら目を離さなかった。そしてまた四つん這いになると、喋り始めた。
「ふざけてないよ。今、扉の下から外に流れて、ホラー映画みたいになってる」
「ちょっと、俺の部屋じゃないか、勘弁してくれよ!」ズルミチが大きな声で言った。
「オシッコのホラー映画みたいになってる」
「なんですかオシッコのホラー映画って。つうか……え、最悪じゃないですか、そんなの」
「そうなの? だったらごめん」マサオさんはまだ立ち上がったまま、真顔で言った。「オシッコしてごめん」
 また静かになりかけたが、そこでツツロウが手を上げた。
「じゃあ、部屋割りもやり直しだ」
「なんでだよ。部屋はもう一部屋あるじゃないか。倉庫にしようと思っていた部屋だけど。そこにマサオさんが住めばいいだろ」
「マサオさんがクローゼットからいなくなると、ズルミチ、今のお前の部屋が一番人気になってくるだろ」
「でも、マサオさんのオシッコが流れ出てるんだぜ」
「そんなの、拭けばいいじゃないか」
「じゃあ、俺はお前にあのクローゼットの部屋を譲るよ」
「本当か」
「ああ、せいぜいマサオさんのオシッコにまみれて快適に暮らすんだな」
 ツツロウは一瞬黙ったが、次の瞬間、怒鳴った。
「どうしてそういう言い方するんだお前は!」そして、ズルミチの方へ一歩踏み出した。
 ズルミチもツツロウの方に踏み出そうとした、その時だった。
「やめてよ!」エヌコが叫んだ。
 二人は驚いてエヌコを見た。
「どうしてそんなことでケンカするのよ! くだらない口げんかで……二人はいつもそうよ。私達は仲間でしょ。どうして、些細なことをずっと忘れずにいがみ合って、何かにこじつけて憎まれ口で相手をやっつけようとするの? 少しはマサオさんを見習ったらどうなの! どうしてくだらないことをいつまでも胸に抱えて、そのせいで悪い人になるのよ! 本当に、マサオさんを見習えばいいんだわ!」
 エヌコがこんなに大きな声を出してまくしたてるのは初めてだった。それでも、気丈なエヌコは泣かなかった。力強い瞳で、二人をかわるがわる見て、それから下を向いた。共にエヌコに思いを寄せるツツロウとズルミチも、ばつが悪そうに俯くしかなかった。
「仲直りしたら」マサオさんが言った。
 二人はマサオさんの方を見なかったが、その言葉を聞きいれて、お互い向き合った。
「悪かった。本当に、エヌコの言うとおりだ」
「俺も、関係無いことでお前を嫌いになるところだった。すまない」
 二人はもともと親友だった。今、それを思い出したのだった。それでも気まずい雰囲気は残り、またしばらく誰も何も言い出せなかった。誰もが黙って俯き、マサオさんだけがゆっくりと動いていた。
「『ケンカしない俺』」突然、ズルミチがつぶやいた。
 そこには、何か雰囲気が明るく取り戻されるような予感があった。エヌコは白い歯を口からのぞかせながら、いつの間にか自分の背後にいたマサオさんを見た。ツツロウも落ち着いた顔でマサオさんを見た。
 マサオさんは執拗にエヌコの尻を眺めていたが、話は聞いていたらしく、名前を呼ばれると、立ち上がりながらズルミチを見た。真顔だった。
「『ケンカしない俺』、そうでしょ、マサオさん」ズルミチは臆したが、もう一度言った。
「何そのおもしろい言い方」そう言って完全に立ち上がったマサオさんは、完全に勃起していた。