俺たちは不良、おっさんは東大教授

「寝るんじゃねえ、寝るんじゃねえよおっさん!」
 もう三日間も寝ていない東大教授は、椅子に縛り付けられた状態で、かなり眠そうな顔でなんとかうなずいた。周りで見ていた四十人の不良たちは、今このおっさんのメガネを外したら目が3になっているに違いないと思った。
「おっさん、半端なく眠いだろ。いくら東大教授とはいえ、寝なかったらすげえ眠いんだろ」
「………んねぇむい……」
 東大教授はうなだれた首を持ち上げられると、そう言った。かなり小さい声だった。この三日間、一度も眠りに就いていないにも関わらず、寝てた人が起こされた時のような口調だったので、不良たちは、これはとんでもないことになってきたなと思った。
「今、眠すぎて何も考えられないだろ」
「……ん〜〜?」
 不良たちは、互いに目配せした。もう、もういいんじゃないか。だってこいつ、今、昼寝してる母親みたいな返事をしたぞ。あの天下の東大の先生が、昼寝してる母親みたいな返事をしたんだぜ。もう大丈夫だろう。やっちまおうぜ。
 しかし、一際大きいリーゼントを頭につけた不良たちのヘッドが全員をにらみつけた。しかし。待て。こいつは東大の先生だ。時々、1チャンのニュースに呼ばれるほどの切れ者。1チャンのニュースに呼ばれるということは、相当頭がいいということだ。このおっさんをなめたら危険だ。
 不良たちはをヘッドを見てうなずいた。ふと見ると、東大教授は下を向き、ヨダレをだらだら床まで垂らしていた。横にいた不良が、頭をつかんで揺すった。
「寝るな! 寝るんじゃねえ! 脳を回復させるな!」
 その不良は、東大教授の頭を次第に強く揺さぶり、最後に、顔を無理やり上に向かせ、ニューアンメルツヨコヨコを耳から耳へ、目を横切る形で五往復させた。
「スースーすんだろ。寝られねえだろ」
「……あ〜〜〜、ん……」
 東大教授は目をぎゅっと閉じたりして少し苦しんだが、それより何より眠たいらしかった。眠た〜いらしかった。それを見て不良たちは、これはとんでもないことになってきたなとまた思った。
「おい、辛いもの!」
 ヘッドが叫ぶと同時に、キムチが差し出された。不良たちはヘッドの容赦の無さに戦慄したが、それと同時に、重ねて尊敬した。
 東大教授の口に、割り箸を使って無理やりキムチが押し込まれた。不良たちは、疲れた時の甘いものは脳を活性化させる、と聞いたことがあり、それならば辛いものは脳を活性化するのの逆になると思っているのだ。東大教授を監禁した三日間で、キムチが7パック、カラムーチョが5袋無くなった。不良たちは、こいつ最初の方はあんなにバクバク食っていたのに今じゃ噛む気力もねえ、これはとんでもないことになってきたなと同じことをまた思った。
「寝るんじゃねえぞ!」
 東大教授の耳元で、一人の不良が叫んだ。彼はこのグループに入ったばかりのかなり下っ端だが、声がでかいという理由で抜擢されたのだ。
「寝たら大変だぞ!」
「……んはい………」
 東大教授は限界だった。ヘッドはそれを見て、ニヤリと笑った。
「よし、今だ。今なら東大に勝てる」
 ヘッドは言った。そう、今回のことは、全て東大教授に勝利するために計画され、実行されたもの。東大教授に知識で勝つために、三日三晩、あの手この手を使って頭の回転を鈍らせてきた。今、東大教授のおっさんの脳は、迷路を覚えたネズミ程度まで下がっているに違いない。
 ということで、不良の一人が駅前の本屋で買ってきた中学受験問題集が、満を持して袋から出された。全不良が、物珍しそうにそれを見つめた。あれが、あれが本屋の袋か。本屋で万引きをせずに本を手に入れた場合、あれに本を入れてもらえるんだ。そして、何より、中学受験問題集。あそこには勉強が沢山つまってる。
「あちぃ、超あちぃ!」「ぶあちぃ!」
 不良たちは口々に叫んだが、これは「厚い、超厚い!」「ぶ厚い!」と言っているのだ。バイク雑誌とエロ本の厚さに親しんできた目には、中学受験問題集は厚すぎた。なんだありゃ。特大付録つきか。あんなの、カップメンの重しにするには重すぎるじゃねえか! なんて不便なんだ!
「よし……おいおっさん、俺と勉強で勝負だ! 待たせたな!」
 ヘッドは東大教授に向かって叫び、体を起こしてやった。
「おい、聞こえてんのか! わかったな!」
「……んはい……」
「よし、今だ! 問題を出せ!」
 隣の部屋で勉強させられていた、不良の弟のでもガリ勉が、その兄によって連れてこられた。
「コウジ、辻さんのためにちゃんと問題を出すんだぞ。失敗したら承知しねえからな。ぶっ飛ばすぞ」
 兄は中学受験問題集を手渡しながら拳を振り上げ、ガリ勉は黙ってうなずいた。
「よし、今だ! 問題を出せ!」
 ヘッドの辻は、さっきはタイミング的に流れてしまった同じ台詞を同じテンションで言った。ガリ勉は問題集を開いた。


「問題。奈良時代、公地公民制がくずれる原因となった田地の私有を認めた法を何というか。ア:均田法、イ:班田収授法、ウ:三世一身法、エ:墾田永年私財法」


 不良たちは頭を抱えているヘッドを見つめた。ヘッドは脂汗を流して、考えていた。頑張ってください。東大は、東大の方はどうだ。しめしめ、ヨダレを垂らしてる。チャンスだ。辻さん、チャンスです!
 ヘッドの辻はゆっくりと顔を上げた。答えは、アかイかウ……そしてエのどれかだ。自分の知識を信じろ。アなのか、イなのか、ウなのか、エなのか。落ち着いてよく考えれば、アイウエに隠された正解にたどり着けるはずだ。よく考えろ、でも、迷うな。いけ!
「……イ?」
 辻はガリ勉に向かって訊ねるように言った。
 不良たちは、叫び声をあげたいのを、テスト中なので我慢していた。心の中で盛り上がっていた。イ、だ! 辻さんの選択は、イ!
「おい、東大! お前の番だ、答えろ!」
 声のでかい不良が大声で言った、東大教授は寝る寸前だった。もしくは、寝ていたのかも知れない。
「おい、答えだよ!」
 東大教授は頭を上げた。
「……え…?」
「エ、だな! もう言い直しは出来ねえぞ! ざまあみろ!」
「答えが出揃ったぜ!」「イ、と、エ、だ!」「ガリ勉、答えを発表しろ!」
 ガリ勉は、メガネをかけ直した。不良たちは息を呑んだ。イとエ。イVSエ。それで全てが決まる。イが答えなら、辻さんが、不良で一番偉い辻さんが、東大教授に勝利するんだ。
「正解は、エです。大岡山東大教授が正解です」


「う、うわああああああああああああ!」
 不良たちは全員、ヘッドの辻を先頭にして部屋を飛び出し、とにかくもうこうなったら人のバイクを盗んで走り出そうと、駅前のでかいパチンコ屋の方へと走っていった。ズボンのドクロチェーンがとにかくジャラジャラうるさかったので、近隣マンションに住んでいる全ての主婦がその姿を目撃していた。