小結とフラッシュ暗算

フラッシュ暗算ばっかりやってる子供は気持悪い」
 先輩力士の陰謀によってそんなことをラジオで言わされた小結が、メディアの槍玉にあげられてすぐに失踪した。角界に問題は尽きないが、これはまたえらいことになったものだ。
 さて、その小結は今、とある雑居ビルの一室にいた。
 小結はしばらく気絶していたが、ふいに目を覚ました。周りを見渡そうとしたが、太りすぎて首がまわらず、さらに、体を縄でグルグル巻きにされているのに気付いた。体が痛み、こわばっていた。
「お目覚めかよ、このお目覚めデブが!」
 ドアを開けて現れたのは、小学校低学年ぐらいの小さな男の子だった。メガネをかけている。前髪が長い。
「姉ちゃん、捕らわれしデブの野郎、やっと目を覚ましたよ!」
 続いてドアのところに現れたのは、小学校高学年ぐらいの女の子だった。メガネをかけている。前髪が長い。
「睡眠薬も使ってないのに、二日間もグーグーグーグーよく眠るものね。普通に死んだと思うじゃないの。マジでドキドキしちゃったじゃない」
「際限なく眠りやがってお前は白雪姫か! この白雪デブが!」
 そう言った男の子の方が走り寄ってきて、小結の腹に蹴りを入れた。
「くっ……何か食べ物を食べさせろ!」
「開口一番それかよ!」男の子が蹴るのを止めて怒鳴った。「他に言うこと無いのかよ!」
「どうして俺はこんなところにいるんだ」と小結。
「そうそう、そういう台詞だよ。でも、お前、本当に覚えてないのか」と男の子。
「何も」
「一昨日の夜、僕達、天才フラッシュ暗算姉弟がお前を拉致したんだ。僕達はフラッシュ暗算全国大会の子供の部で、ワンツーフィニッシュなんだぞ!」と男の子が言った。
 すると、女の子の方が、腕を組みながらゆっくりと近寄ってきた。
「そうよ、私達は天才フラッシュ暗算姉弟。あなたはデブッチョでバカだから、私達の『おいしいものあるよ』の一言にノコノコついてきて、車に乗り込んだの」
「そうだ、お父さんが運転する車だぞ! ホンダのフィットだぞ! そしたら、お前は、途中で『寝ていいですか』って言って、こっちの返答も聞かずに寝始めて、着いても全然起きなくて、そのまま今日まできたんだろうが! ここまでお前を運んでくるの、大変だったんだぞ! 運びづらいデブが!」
 小結は暴れようとしたが、ロープはきつく、どうにもならなかった。ロープは暴れた分、体に食い込んだ。
「あーちょっと暴れないで。お腹の肉が、肉が、ほら、そうやって動くと、いやっ、ほらボローンはみ出た」女の子が不快感をあらわにする。
「はみ出ただろ! このスーパーのお肉詰め放題デブが! このやろ!」と男の子ははみ出たところに蹴りを入れた。
 小結は、痛みに耐えながら、二人を見上げた。
「よくもだましたな……早くおいしいものを出せ!」
「お前は何にだまされたと思ってるんだよ!」
「まあいいわ、こんな奴に何を言っても無駄よ」と女の子が話し始める。
「何を言っても無駄なデブだな、お前は!」と男の子。
「だから、さっさと本題に入りましょう。あなたは、デブッチョの分際でフラッシュ暗算を馬鹿にしたわね」
「デブッチョの分際デブが! どうなんだ! 答えろ!」と男の子がいつどこから持ち出したのか細い木の枝をムチのようにして小結を打った。
「痛いっ! お腹が減った!」と小結は声をあげた。
「お腹はずっと減ってるんだろ! 関係ないだろ!」
 男の子はなおも小枝で小結を打っていき、打つのに飽きてくると、縄の目からはみ出した肉に枝の先端を突き立てて、力をこめた。枝がしなっていき、とうとうポキンと折れた。
「思い知ったか!」と男の子は言った。
「そこまでにしておきなさい。とにかく、あなた、デブッチョには、あなたがバカにしたフラッシュ暗算をやってもらうわ。なぜやってもらうのかはわからないけど、私達も小学生として、デブッチョにバカにされたからには、そのデブッチョにもフラッシュ暗算をさせるしかないのかなと話し合ったわけ。どういうことかはわからないけど、そういうわけ」
「デブッチョ暗算だ!」と男の子は折れた小枝を小結に投げつけた。
 それから二人は部屋を出て行き、フラッシュ暗算装置を運び始めた。フラッシュ暗算装置とは、フラッシュ暗算をするためだけに開発された装置で、フラッシュ暗算をするためだけに使用されるのだ。
 二人が戻ると、小結は寝息をたてていた。
「姉ちゃん、寝てるよこいつ。ちょっと見ない間にスヤスヤ寝てるよ!」
「起こしなさい」
「おい、起きろ!」
 小結はすぐに目を覚ました。
「本当に、困った人ね、あなたは」と女の子が呆れて言った。
「本当に困ったデブだ、お前は! こうだ!」と男の子がはみ出た肉をつかんでゆすった。
「いやっ。止めて、トモキそういうのは止めて。やんないで、お姉ちゃんそういうの嫌い、ほんと見たくないから。ほら、ズルーンいったほらぁ」
「ごめんよ姉ちゃん、おい、お前も謝れ! 姉ちゃんに謝れ!」
 小結は自分が悪いわけでも無いと思ってか、謝らなかった。反抗的な目つきで男の子を見た。
「反抗的な目つきをするデブだな、その一種だなお前は!」と男の子は部屋の隅に立てかけてあった竹ボウキを持ってきて、小結の腹に押し付けた。「これでもか!」
 小結は苦痛に顔をゆがめた。
「もうそれぐらいにして、本題に入りましょう。さあ、フラッシュ暗算をやってもらうわよ」と女の子が言った。
 竹ボウキを放り出した弟の手によって、フラッシュ暗算装置がセットされた。
「姉ちゃん、準備OK、ばっちりだよ!」
「まずは、そうね、一桁を5回でいきましょうか。それならデブッチョにも出来るはずよ」
「出来るデブだ、お前は! いくぞ!」
 フラッシュ暗算装置にカウントダウンが出て、フラッシュ暗算が始まった。
『4』『9』『6』『6』『3』
「にじゅはち!」とすぐに声をあげたのは男の子だった。
 女の子はじっと男の子を見つめた。
「どうしてあなたが言うの」
「ごめん、姉ちゃん。つい、いつもの癖で、言っちゃったんだ。僕、フラッシュ暗算が大好きなんだもの。おい、お前が早く答えないからだぞ! いつまでも考えてないでさっさと言うんだよ。いい加減にしろよ、良く考えてから言うデブめ! 次、いくぞ!」
 カウントダウンが出る。三人とも、画面を見つめている。
『8』『4』『7』『9』『5』
「さんじゅさん!」と男の子が言った。