女友達、バレンタインに臨む!

 今日はセント・バレンタイン・デイ。
 セントの意味はよく知らないけど、なんだかいい感じだから、春子はセントを絶対つけるタイプだ。こんなにステキな「セント」をつけないなんて、乙女心の風上にもおけないというものだ。
 登校早々、父親はとび職だけど祖父母が資産家なのでとてもいい生活をしている同級生、芽瑠美が声をかけてきた。
「ハルコ、おはよ」
「あ、おはよう」
「どう? どんな感じになった?」
「ちょっといきなり? ここじゃピンチだから、他のとこ行こうよ」
 恋するティーンエイジャー達はピンク色の風を振りまきながら、足取りも軽く階段を上った。そうよメルミは恋のライバル、だけど大親友、恋愛と友情を量りにかけきれずに悶々してる、でもそういう日常の上下運動によって生きる歓びが猛発電されて、キラッキラ輝いてるんだ、それが私っていう繊細な年頃なんだと、春子は芽瑠美の後姿を見て思った。
 二人の少女は屋上へ続く階段の踊り場まで来ると、そこに腰掛けて、持ってきたカバンを大事そうに抱えた。そこには1年で今日だけの、特別なものが入っているのだ。
「ハルコ、走ってる時、カバン、ゴトゴトなってたよ。なあに? リコーダー?」
「いや、なんか、朝からずっとチョコがね、箱ん中でゴトゴト鳴るの」
「え?」
「鳴るんだよね」
「なんか、詰めたりしないの?」
「何が?」
「だから、普通は中にオシャレな紙を詰めたり、チョコが動かないように工夫したりするの」
「知らないもん。それはなに? どういうこと?」
「うまいことさ、やるじゃん、箱の中も。普通やるよ」
「わかんない。メルミの、ちょっと見せてよ」
「え? うーん、うーん……」
「そんなもったいぶらずに」
「……別にもったいぶってるわけじゃなくない? や、じゃあいいよ。開けるから」
「あ、でも、いいの? 開けちゃったら元通りにできる? そういうことか。なるほど」
「いやいや、大丈夫、うまくやれば平気だし。失敗しても、予備のラッピングの材料は持ってきたし」
 芽瑠美は青いリボンを解き、慎重にチョコレート色の包装を取っていった。そして、それをそっと後ろの高い段上に置いた。中から、洒落た木箱が現れ、その蓋も取った。春子はそれを覗き込んだ。
「あ、ステキステキ。はいはいはいはいはい、こういう、水色の、アミアミの紙を詰めて……そんで、チョコを、あ、箱に小分けして……なるほど。そっかそっか」
「普通やるよ、こういうの。むき出しで入れてるの?」
「むき出しって、チョコはちゃんとアルミホイルに包んでありますが?」
「アルミホイル? それだけ? アルミホイル?」
「うん」
「それじゃ、見栄えだって悪いじゃん」
「ちょっとね」
「ちょっとどころじゃないよそんなの。おむすびじゃないんだから」
「おむすびじゃないんだからって、うちはおむすびはサランラップですけどっていうかだってそんなこと言ってなかったじゃん、メルミ、この前、一緒にチョコ作る時は、そんな木箱とかアミアミのとか小箱とか使うなんて言ってなかったじゃん。黙ってたんじゃん」
「そりゃあえて言ってなかったけど、そんなの常識だし、個人の工夫じゃん。女の子の腕の見せ所じゃん。これまでどういう風にバレンタインこなしてきたのよ。アルミホイルで?」
「そんなん自分に関係ないやんか」
 思わず関西弁が飛び出した。春子の悪い癖だ。気をつけていないとすぐに、少女マンガ気分からナニワ金融道気分になってしまうのだ。クラスの女子の流行に乗じてハムスターを飼い始めても、しばらくは人から見られることを意識しながらいじくっているが、すぐにそれよりも家で飼っている秋田犬のムクに体当たりして遊びたくなってしまうのだ。
「どうして逆ギレするの。どうして関西弁で逆ギレするの?」
 芽瑠美はあきれたというような表情で見つめてきた。それが春子には思いの外、効いた。
「べ、べつに、逆ギレじゃないけど……」
 春子は気まずそうに言った。同じような、昼休みに弁当を食べていた時のことが思い出された。二人はしばらく見詰め合った。
「いや、あたしが悪かった、ごめんね。ほんとごめん」
 頭を下げて謝ったのは春子だった。頭の勘ピューターが損得勘定ではじき出した結果である。
「ほんと、ハルコのために言うけどさ、関西弁やめたほうがいいよ。バレンタインの日にさ」
「関西弁とセント・バレンタインデイは関係ないじゃん」
「鈴木君、東京の笑いが好きだって言ってたよ」
「そういうことじゃないもん、それは笑いに関してでしょ」
「そうだけどさ」
 春子にはどうしても芽瑠美のチョコレート箱の中が気になり、会話の最中もチラチラと見ていた。確かに、それは相当に見事なものだった。自分の箱を閉じる時の光景を思い浮かべてみて、これはハムスターと秋田犬の差、特にケツまわりの汚れ具合の差がそのまま出ていると思った。これでは、いけないと思った。
「じゃあさ、メルミ、お願い。そのアミアミだけでも、ちょっとわけてくれない?」
「これ?」
「余ってるのない? お願い」
 春子は顔の前で手を合わせて、懇願するような顔をした。さっき、余りを持ってきていると聞いたのだから、余ってるに決まってるのだ。
「余ってるのはないけど……いいよ、あたしのこれ、半分あげる。それぐらいなら平気だから」
「ありがと、恩に着るよ。余ってないんだね」
「余ってないよ。別にいいよ、友達じゃん」
 芽瑠美は微笑みながら言った。矯正器具をつけた歯が見える。キラキラネームで矯正してる子なんてメルミぐらいだよ、と春子はしゃっぽを脱いだ。感謝感謝。そして、箱から紙を取り出し、手でほぐしわけ始める。
「そうだ。ハルコのやつも、ちょっと見せてよ」
「え?」
「いいでしょ、どうせこれ入れるから開けるし」
「無理無理」
「でも、私のも見たしさ。いいじゃん、比べっこしようよ」
「そんなんしないそんなんしない。しないよ」
「え? なんで?」
 芽瑠美は顔をしかめて春子を見た。
「ハルコはあたしの見たじゃん、見たよね? あたしのチョコの中身、見たよね」
「うん、それは見た」
「でしょ、しかもさ、あたしの、この、紙もあげるんだよね」
「もらうもらう、もらおうかな」
「もらおうかなはなくて、もらうんでしょ? じゃあなんで見せてくんないの?」
「そっちが勝手に見せたんでしょ」
「え? いや、ハルコが見せてって言うから見せたんじゃん。え?」
「わかんないわかんない」
「ハルコがさ、ハルコのチョコがアルミホイルに包んだだけで箱の中でゴトゴトゴトゴト言ってるからこっちは心配したわけでしょ」
「ねえこの紙さ、厳密に半分こに出来んのかな?」
 春子は聞かない振りでアミアミの紙を取り上げ、目の前にぶら下げた。
「聞きなよ、ねえ。ちょっと紙、置いて。あたしのだから勝手にいじんないで。下ろして。下ろしてよ! ねえ、そうだったじゃん。ゴトゴト言ってたから心配したんでしょ。でも、それをハルコは意味がわからなくて、じゃあ私のチョコ、これね、これの中がどうなってるかを見せて欲しいって言ったの。言ってたの、あんたは。そうでしょ」
 春子はしばらく考えるような素振りを見せて、やがて眠たそうに、首のあたりを指で掻きむしりながら言った。
「まあ、じゃあ、それでいいわ。そこまで言うならっ……それでいいわ」
「ハ? それでいいわじゃなくて、そう言ってたの」
「ああ、そんで? それでどうしましたか?」
「…………それでさ、これを、中に詰めるこの紙を、アミアミのを、欲しいって言うんでしょ。欲しいんでしょ」
「ああ、欲しい欲しい。欲しいな」
「こっちはそこまでしてやるんだから、そっちのを見せろって言ってんの」
「いや、なんか、論理の……飛躍というな」
「は?」
「要はさ、メルミ、笑いたいんでしょ? こっちのを見てさ。優越感を求めてるんでしょ?」
「ハ? そういうことじゃないじゃん。ラッピングの中の箱とかも見たいって言ってんの。こっちは協力してるのに、なんでそんな態度なわけ? なにお前?」
 芽瑠美はそこで語気を上げた。お前と言われたのに言い返す代わりに、春子は目を剥いて応えた。
「じゃあ見ろ、もう知らん。知るか。勝手に見ろ。その代わり、お前、もう一掴みこれ、アミアミ、もらうからな。見る代金として、もらうからな」
 芽瑠美は大きく舌打ちしたが、手を差し出した。春子はそこに自分のチョコレートの箱を叩きつけた。ゴッという音がした。
「なに今の音、ゴッだって」
「はいはい、よかったですね」
 芽瑠美は春子のチョコレート箱のリボンを外し、キャラメル包みの包装を丁寧に取っていった。そして、中の箱を開けた。
「何よこれ、あんた」
 すぐに芽瑠美が声をあげた。
「何が」
「なんで手紙入れてんのよ」
 無視して、もらったアミアミの紙を広げている春子。乱暴に引き裂いていく。しかし、芽瑠美はもはや気にしなかった。
「そういうの無しにしようって言ったじゃん。あんたが言ったんじゃん。フェアに行こうとかなんとか言って、今回はそういうの止めてカードに名前書くだけにしようって、ねえ、ちょっと聞いてんの?」
「わからへん」
「関西弁やめなって。ねえ、今なら謝れば許すよ。わたし、全部忘れて許すから」
「許すとか……」
「ねえ、謝ってよ」
「……」
「ねえ」
「えろうすんまへん」
「ちょっと関西弁! なによ、その態度!」
「関係あるかい。何も関係あるかい」
「関係ないって何がよ。ちょっともう…これ、あんたの、見るからね!!」
「なんで見んの? なんで見んの?」
「約束破るからでしょ! あんたが自分で――」
 喋るのを止めて、手紙を開き始める芽瑠美。
「はいプライバシーの侵害、はいヒステリー糞女お得意のプライバシーの侵害」
 春子はそれを阻止しようとはせずに、吐き捨てるように繰り返していた。無視して、黙って読み始める芽瑠美。すぐに顔を上げた。
「ほら、『鈴木君が好きです』とか書いてんじゃん、『付き合ってください』とかさ、書いてんじゃん。書いてんじゃん。全然言ってることと違うじゃん。抜け駆けして、何あんた?」
「そんなん知らないし。約束とか。大体お前が最初にアミアミで裏切ったんちゃうんか、お前が最初にアミアミで裏切ったんちゃうんか」
「ハ? 何わけわかんないこと言ってんの。頭沸いてんね。大体ね、こんなチョコをゴトゴト入れるようながさつなバカ女が鈴木君と付き合えるはずないじゃん。こんなセンス無い、このラッピング。あんた、本当に女?」
「え、なんて?」
「お前は――」
「なんて?」
「……」
「なんて?」
「あ?」
 顔を近づけあう二人。お互いに、口を半開きにして鼻の穴を広げ、ガンを飛ばしあっている。その至近距離で、芽瑠美が喋りだした。
「こんなセンス皆無の女、告白したって無理に決まってんじゃん。百パーセント無理」
「百パーセント無理だと思ってんなら、手紙渡してもいいな、なあ。なぜならお前はこっちが断られるのを黙って手をこまねいて見ておればいいんだからな、違うか、違うか。なんでお前がその告白自体を止めさせようとすんのかまったく、意味が――」
「そういうことじゃなくて、あたしに言ってきた約束破って、自分だけこういうことをしてるのが最低だって言ってんの。卑劣だって言ってんの」
「……」
「抜け駆けでしょ、これ。しかも計画的なさ。出し抜こうとしたんでしょ。卑怯者」
「このクソ女……」
「反論できないじゃん」
「……」
「そうでしょ」
「ビビッてんちゃうんか!!!」
 春子の怒鳴り声が、階段と階下の廊下中に響き渡った。
「大成功の可能性にビビッてんちゃうんか!! お前は、わしの告白の、成功の可能性に、戦々恐々! しとるんちゃうんか!! なあおい!! 鈴木君がわしにホの字やっちゅうのをなぁ! お前は、薄々、感づいてるんとちゃうんか!! お前なんかよりな、わしの方がな、完全になぁ! ……っ脈ありやっちゅうねん!! 死ねッッ!!!!」