ハードボイルド迷子

「迷子になったのね」近づいてきた女が笑顔を浮かべて言った。
「どうもそうらしい」シゲキは消火器のそばに寄りかかっていたが、そう言うと腰を上げた。「あんたを待っていた」
「ついてきなさい」
「言われなくてもそうするさ」
 その部屋は二人には充分すぎるほどの広さだった。
「すぐには現れないだろう」シゲキは掛け時計を見つめていた。「そういう女だ」
「来させるわ。私の仕事だもの」
 シゲキは半ズボンのポケットに手を突っ込み、女の顔を見つめた。
「じゃあ、迷子係のお手並み拝見といこう」
「名前は?」
「シゲキ」
「名字も」
「安藤シゲキ、六歳。緑色のティーシャツに茶色の半ズボンを着ている。母親は安藤サチコ。所沢から赤のカローラでお越しだ」
「そこまで訊いてないわ」
「いずれ訊くことになるから言ったのさ」
 女はマレットを持ち、スイッチを入れると、鉄琴を鳴らした。
 ピンポンパンポーン。
――迷子のお知らせをいたします。所沢からお越しの、安藤サチコさま。シゲキくんがお待ちです。迷子センターまでお越しください。
 ピンポンパンポーン。
「来るはずがない。今頃は違う服を着てカーテンの中。耳に入るのは店員のアドバイスだけだ」
 シゲキの言うとおり、母親はなかなか現れなかった。放送に服装や車の情報を入れても、時間だけがむなしく過ぎていった。
「無駄だ。あんたの手に負える相手じゃない」シゲキはあてがわれたチュッパチャップスを舐めながら言った。「この飴が、あと三本はいるぜ」
 女は無視して四度目の放送を終え、四十分後、五度目の放送を終えた。チュッパチャップスは三本目に突入した。
 トイレに行って帰ってきた女は、シゲキのこめかみにコルト銃をつきつけた。
「物騒だな」シゲキは身じろぎもせずに言った。
「死んでもらうわ」女は言った。「あなた達親子は私を傷つけすぎた」
「やれやれ」シゲキはチュッパチャップスを口だけでくわえ、ゆっくりと両手をあげた。「プライドの高い迷子係だ」
 言い終えたその瞬間、シゲキは素早くしゃがんで銃口から自分の体を外すと、姿勢を低くしたままくわえていたチュッパチャップスを出して右手に握った。そのままチュッパチャップスでテーブルの上の鉄琴を打ち、同時に左手でスイッチを切り替える。女は、あまりのスピードに狙いを定められない。
 ピポパポーン。
――お母さん助けて!
 ピポパポーン。
 シゲキがスイッチをオフにした直後、重く低い銃声が部屋に響いた。
 空薬莢がテーブルに弾み、シゲキの頬はすれすれを通過した銃弾に震え、すぐにその痕が赤く浮かびあがった。
 女はさらに撃鉄を起こしながらシゲキへ歩み寄る。
「これでおしまいよ」
 しかし次の瞬間、女が凍りついた。コッキングの音が自分の後頭部で聞えたのだ。すぐに冷たい感触に小突かれた。
「うちの子が何かしたのかしら」
 そこには、息子が呼ぶ声を聞きつけて駆けつけた安藤サチコが立ってスタームルガー銃をつきつけていた。
「あんたの負けだな、迷子係さん」シゲキはチュッパチャップスを指でクルクルとまわした。
 女は微笑して銃をさげ、テーブルに置いた。
「いえ、私の勝ちだわ」女は空いた右手で髪を耳にかけながら言った。「お母さんが来たじゃない」
 シゲキは答えず、チュッパチャップスを口に入れてゆっくりと噛み砕いた。そして、黙って服をただしながら女のわきを通ると、サチコに手を差し出した。サチコはピストルをハンドバックにしまってからシゲキの手を取り、二人は出口に向かって歩き出した。
「一つ言っておくと」シゲキは立ち止まって振り返った。「本当にオレが助けを求めていたのなら、終わる時のピンポンパンポンをやってスイッチを切ると思うかい」
 女の表情が変わったが、シゲキはそれを見ずにまた背を向けていた。
「こんなオモチャ売り場もないような高級デパートじゃ、迷子係の手を焼かせることだけが暇を潰す唯一の方法なのさ」
 シゲキは母親と手をつないだままもう片方の手を上げ、ドアの向こうに消えていった。