OL対エンタの神様、メリーゴーラウンド五分間一本勝負

 私は疲れたOLなので、色々とやなことが多いので、仕事中もついつい意識が飛んでしまうことがあります。
 少し前のことです。平下課長が中野さんのところまで来てお喋りをしていて、いつものように、中野さんの反対側の机に座るにいる私にも話が聞こえてきました。その話は、大まかに言うと「エンタの神様になら俺だって出れる」という話で、私はそれを聞いているうちに、なんだか色々な汚い感情が渦巻きすぎてきて、これ以上いくと中三の時みたいになる、と思って強く目をつぶりました。すると、私の頭の中でこんがらがったビデオのテープが一瞬でまきとられるような感じがして、いつの間にか知らない街角に立っていました。
「寄ってけよ」
 声がした方を見上げると、古ぼけた窓から知らないおじさんが顔を出していました。
「楽しいよ」
 私は不思議な気分になって、ぼんやりそれを見上げていました。おじさんは窓にかかったブラインドをカシャカシャと手で押さえながら、じっと私を見ていました。
「おいしいお菓子あるよ」おじさんはまた言いました。「ソフトドリンクとか、もあるよ」
 私はおじさんがかわいらしく思えたので、すぐ横にあるドアを開けて、階段を上りました。きっかり88段上ると、またドアがありました。私はおそるおそる手をかけて、そしたら静電気がきました。驚いて手を離すと、ドアが開きました。おじさんがいました。
「待ってたよ。話も聞いてたよ」
「話?」私は訊きました。
エンタの神様の話だよ」
 おじさんは赤と白にぐるぐるうずまいたペロペロキャンディーを私に渡してくれました。
「入れよ」
 広い部屋の中には大きなメリーゴーラウンドが一つあるだけで、あとは何もありませんでした。
「乗れよ」とおじさんは言いました。「乗れよドブス」
 面食らいましたが、私はドブスですし、すぐに気を取り直しました。そして、なんだか気分も乗ってきていたので、いい顔をしてうなずくと、メリーゴーラウンドに一歩踏み出しました。
「なんだよその顔。ほら早く、馬鹿、違うよ、それはダメだよ。そんなポニーお前が乗っちゃだめだよ。そっちの馬も、馬車も、お前はダメだよ。ほら、カボチャの馬車の横に、ちゃんとドブス用の土管があるだろ、それに乗れよ」
 見ると、ひときわ目立つ無機質な土管がありました。私はカボチャの馬車がよかったと思いましたが、仕方なく土管にまたがりました。
「そんで、さっきのペロペロキャンディーをペロペロしながら乗っておくんだよ。ほら、いくぞ。最後に豆知識をひとつ、メリーゴーラウンドは英語では大体カルーセルと呼ぶ。発車します」
 ルルルルルルルル、という音が部屋に鳴り響き、ゆっくりと、馬が、馬車が、土管が動き出しました。軽やかな音楽が流れ始めました。



 土管はだんだんとスピードを上げましたが、やがて加速を止めると、穏やかなスピードで私を運びました。周りの馬やポニーは上下に移動して楽しそうですが、私の土管はただ進むだけでした。くすんだ壁が近づいては離れていきます。
 私は、土管にまたがってゆっくりと回っているうちに、昔のことを思い出しませんでした。懐かしいメリーゴーラウンドの感触が、優しいお母さんのことや、小学校に上がる頃に亡くなったお父さんのことを別に思い出させませんでした。逃げたペロリアン(犬)、小学校でいじめられたこと、孤独な中学時代、中三での事件、初めてお母さんを殴ってしまったこと、そんな痛々しい、けれども人並みに懐かしい思い出が私の頭の中に甦ってきませんでした。私は、ただその動く景色についてぼんやり考えながら、弾むようなメロディーに包まれて、部屋の中をまわっていたのです。馬のお腹から突き出た棒が伸び縮みするところや、あるところにさしかかると見える窓の外の暗い景色をただ見ていました。ふと思い出すと、ペロペロキャンディーをペロペロしました。おじさんは機械の前で俯いていて、私とは一度も目があいませんでした。
 5分ほど経ち、曲が終わると、メリーゴーラウンドも止まりました。私は凄く楽しんだので、おじさんにお礼を言おうと思いました。
 しかし、気付くと私はまたいつものように机の前に座っていました。土管と同じ感触の椅子が尻の下にありました。エンタの神様の話は終わっていて、前を覗くと中野さんが仕事をしていました。すると、私はメリーゴーラウンドに乗っている時、何も思い出さなかったことに気付き、そのために昔のことを思い出しました。あの愉快な時間にそんなことを思い出さなくて本当によかったと思いました。