「出かけはしませんよ。この土地に残ります。ここで子供まで産んだんですからね」
「まだ死んだ者はいないじゃないか」と彼は言った。「死人を土の下に埋めないうちはどこの土地の人間というわけにはいかんのだ」

――(G・ガルシア=マルケス『百年の孤独鼓直訳 新潮社 P14)

明日からの二日間は競馬がない。明日は十二時までぐっすり眠ろう。そうすれば精力的な人間のような気分になれて、十歳は若くなれる。くそっ、お笑い草だ。十歳若くなったとしても六十一歳だとは。それが絶好のチャンスだと言えるのか? 泣かせてくれ。私を好きに泣かせてくれ。
――(チャールズ・ブコウスキー『死をポケットに入れて』中川五郎河出文庫 P123)

――みんなまちがっていたのよ。あたしは自分の心に沿って生きるしかないんですもの。あなたは主義に生きていらっしゃる。あたしは、ただ単純にあなたが好きだったのですけれど、あなたは、きっと、あたしを救うために、そして導くために愛して下さっただけのことでしょう!
――(トルストイアンナ・カレーニナ(上)』中村融岩波文庫 P438)

グリーシャは泣きながら言った――ニコーレンカだって口笛を吹いたのに罰を受けないじゃないか、ぼくはパイが欲しくて泣くんじゃない、そんなものはどうでもいいけど、不公平がくやしいんだ、と。その様子があまりにかわいそうだったので、ダーリヤはイギリス婦人と相談した上で、グリーシャをゆるしてやろうと思って、彼女の部屋へ出かけていった。が、そのとき広間を通り抜けてゆく際に見かけた光景は、涙が眼ににじむほどのうれしさでダーリヤの胸をいっぱいにしたほどのものだったので、彼女は自分だけでこの罪びとを許してしまった。
罰をうけた子供は、広間の隅の窓の上に腰をかけ、そのそばにはターニャが菓子皿を手にして立っていた。人形にたべさせてやりたいからという口実をつくって、彼女は自分のパイを子供部屋へ持ってゆく許可をイギリス婦人に願い出て、そのかわりに、それを弟のところへ運んできてやったのだ。少年は自分の受けた罰の不公平がくやしくてまだ泣きつづけながらも、持ってきてもらったパイを食べ、泣きじゃくりながら、「お姉ちゃんも食べればいいのに、一しょに食べようよ……一しょにさ、」と言っていた。

――(トルストイアンナ・カレーニナ(中)』岩波文庫 P54)

愛する兄の瀕死の姿をまのあたり見て、二十歳から三十四歳までの直に幼年期・青年期の信仰にとって代わっていた、彼のいわゆる新たな信念をとおして、初めて生と死の問題に眼を向けた瞬間から彼は死よりもむしろ生を――それがどこから来たのか、なんのために、どういうわけで存在しているのか、またそもそもなにものなのか、という点に些かの知るところのない生というものを――恐れた。有機体、その崩壊、物質の不滅、エネルギー保存の法則、進化――それらが彼の従来の信仰にとって代わった言葉だった。これらの言葉や、それに結びつく観念は、知的な目的のためには至極結構なものだった、が、人生のためにはなに一つ与えてはくれなかった。
――(トルストイアンナ・カレーニナ(下)』岩波文庫 P443)