パペットおじさん

 手を突っ込んで操る式のぬいぐるみで腹話術をして口に糊する元ヤクザがいましたが、彼は組で粗相をして右手の小指がありませんでした。そう、これでは右手にはめたぬいぐるみの右手が動かせないのです。しかし、園児の前ではそんなこと言うわけにいきません。だから元ヤクザの人形劇屋さん、通称パペットおじさんは今日も右手にライオン、左手にネズミを装着して幼稚園へと出向くのです。
「じゃあね、野球にしよっかな」ある園児が言いました。
 パペットおじさんの一題噺という、お客さんのチビっ子からお題をもらってそれに関する即興のお話を考える、落語からとった自分で考案したコーナーが、今まさに、パペットおじさんの首を絞めているのです。
「そんでね、ライオンがピッチャーなの。右利きの本格派なの」
 大ピンチです。人形を入れ替えるわけにはいきません。そんなことをすれば、四本しかない指がこんにちはしてしまうのです。パペットおじさんは動揺を隠して始めました。
「明日はいよいよ決勝戦だ、頑張るぞ」ライオンがバンザイのような格好で意気込みを言います。そこにネズミがやってきました。
「ライオンくん無茶だよ。君の肩はここまでの連投でもうガタガタだ。それ以上投げたら死んじゃうよ」ネズミは腕をバタバタして、しまいには手で顔をおおって泣き出してしまいました。ライオンは後ろを向きました。
「それでも俺は投げるんだ。チームのために、自分のために。百獣の王として、逃げるわけにはいかない」
「ライオンくん、君って奴は」ネズミはまたおいおいと泣くような仕草をしました。
「肩ならしのキャチボール、手伝ってくれるか」ライオンが振り向いて言います。
「平気なのかい」
「なに、軽くだよ。むしろやっておいた方がいいんだ」
「そうかい。じゃあいくよ」ネズミが豪快なフォームで投球動作をします。
「よっ」ライオンが左手を動かしてボールを受けます。そして左手を懸命に伸ばして、右手にそのボールを渡そうとせいいっぱい伸ばします。でも、届きません。届かないのです。ディテールにこだわるパペットおじさんの高い意識が仇となりました。パペットおじさんは、とにかくヒュっとさせて投げるように見せるようなことは子ども達の前でしたくなかったのです。
 パペットおじさんの手が震えています。もう、親指の下のところの筋肉が限界にきていました。
 子ども達はそれを見かねて、次々と立ち上がりました。
「もういい、やめてくれ!」「それ以上、見てられないよ!」「橋本、おい橋本!」
 誰かが、野球というお題を、ライオンが右利きの本格派という設定を提案した子の名前を呼びました。橋本くんが立ち上がりました。
「おじさん、ぼくが悪かったんだ! ぼくは、おじさんの右手の小指が無いのに途中で気付いたのをいいことに、一つからかってやろうと悪い心であんなこと言ったんだ。ライオンは左利き、ライオンの手は左利き、変化球主体の技巧派だよ!」
 その途端、ライオンは左腕をまわしました。
「ズバン」寸分違わぬコントロールで、ネズミの手にボールがおさまります。
「凄い、こんなカーブを君はもっていたのか。しかも今、左手で」ネズミ君はあまりのキレに驚きを隠しきれません。手がジンジンしびれるので、左手をぶんぶんと振りました。
「甲子園まで隠しておこうと思ったが、俺は実は左利きなんだ。そして決め球はスクリュー」
 園児達から拍手が起こりました。園児というのは全力で拍手したり、歌うときは体を左右に振りしきることで知られていますが、この時ほど彼らが全力で拍手したことはありません。そのせいで、ネズミと同じように手がジンジンしていました。
 どんどん話は盛り上がり、いよいよ佳境に入ります。
「ライオンの学校は決勝戦に負けてしまいました」パペットおじさんのナレーションです。そして、ライオンだけ出てきました。ライオンは顔をうなだれてジッとしています。そこに、ネズミが入ってきました。
「キレイな顔してるだろ、死んでるんだぜ、それ」ライオンは暗いトーンで言いました。そのライオンは顔がそっくりなお兄さんライオンなのでした。部屋に入ってきたネズミは一点をじっと見つめて動けません。
 園児たちは『タッチ』を読んでいるわけでもないので、あまりの展開に呆然としてしまいました。パペットおじさんはやっぱり元ヤクザ、一度でも園児になめられたとなると、ケジメをつけさせないわけにはいかないのでした。もしそれで文句を言うようなら、指の一本でももらう覚悟なのです。