『作家の仕事部屋』ジャン=ルイ・ド・ランビュール編、岩崎力 訳

 

作家の仕事部屋 (1979年)
 

 

 私が好きなのは、該博な知識を駆使した仕事ではありません。私は図書館が嫌いです。図書館ではほとんど本が読めないと言ってもいいほどです。重要なのは後楯となるテキストとの、直接的な、現象学的な接触なのです。私はあらかじめ参考文献一覧を作ろうとはしません。問題のテキストを、かなり物神崇拝的なやり方で読むだけです。そして私を興奮させる力をもついくつかの箇所、いくつかの契機を書きとめます。それは単語であることさえあります。読み進むにつれて私は引用や思いつきをカードに書きつける。奇妙なことにそれがすでに文章のリズムを備えているので、その時点ですでに一種のエクリチュールとして存在しはじめるのです。
 その後、もう一度、読み直すことは絶対に必要不可欠というわけではありません。しかし逆に、ある種の参考文献にあらためて当ることはできます。なぜならその時にはすでに私は一種偏執狂的な状態に陥っているからです。自分の読むものすべてが不可避的に自分のいまやっている仕事に結びつけられるだろうということを知っています。
ロラン・バルトのインタビューより p.26)


 1973年のインタビューだが、「いくつかの契機を書きとめます」というのがかっこいい。自分としては、こういうことについては秘めたことも沢山あるので、今回は簡潔に書きたい。

 ここで言われてる短い文を書きつけたカードが「一種のエクリチュールとして存在しはじめる」のは、母の死に直面して書かれた『喪の日記』を読むとよくわかる。それは、バルトの遺品として出てきたカードをまとめて本にしたものだ。バルトは母を失った絶望の中で少しずつカードを書き始め、その経験と「一種のエクリチュール」が『明るい部屋』に組み込まれた。バルトが交通事故に遭うのは、その出版の一ヶ月後である。


 こういうことから改めてわかるのは、自身に与える影響の大きさはどうあれ、テキストを読む経験と現実の経験を、バルトが分けていないということだ。
 実際、半年前の母の死に打ちひしがれ続ける1978年4月15日のカサブランカで、残りの人生を新たな作品に捧げて生きるのだと啓示を受けて文学に引き戻された時、バルトはすぐに「後楯となるテキスト」として再びプルーストを見出している。
 

プルーストの小説の語り手が祖母の死に際して言ったように、わたしもまたこう言うことができた。「わたしはたんに苦しむだけでなく、わたしの苦悩の独自性をどうしても大切にしたかったのだ」と。
(『明るい部屋』p.91) 

 『明るい部屋』は断章形式ではなく、四十八章の二部構成で、第一部は自身の写真への探求の流れを追い、第二部は母の子供時代の写真を見つけ、その本質について迫っていくものとなっている。我々が後で『喪の日記』として見ることになった断章が、一続きの形をとって世に出されたというわけだ。


 その頃の講義で、すでに「作者の回帰」を済ませているバルトは「小説」へと向かう準備を進めつつ、プルーストの言葉から俳句について思い至り、しかしまたプルーストとの比較の上で、それは瞬間にとどまるエクリチュールに過ぎず小説にはなりえないとか考えている。とはいえ、その俳句に対する考えが写真と結びつくことで『明るい部屋』は書かれたのだった。
 じゃあ小説の方はどうしようかとなっていくが、それがどんなものであったか、1980年の『明るい部屋』の「苦悩」に照らすと――それが数年後のバルトにどこまで有効だったかはわからないが――小説について、また断章形式について答えた1973年のこのインタビューは感慨深いものがある。

――これまで小説を書こうと思われたことは一度もありませんか?
バルト 小説を定義するのはその対象ではなく、謹厳な精神の放棄です。ある単語を消したり直したり、語彙や文彩に気を配ったり、新造語を見つけだしたりすることは、私にとって、美食家が味わうような言語の味わいであり、真に小説的な快楽に似たなにかです。
 しかしものを書くことのなかで、私にもっとも強烈な快楽を与えてくれる二つの作業、それらはまず第一に書きはじめることであり、次に書き終えることです。とどのつまり私が(とりあえず)非連続なエクリチュールを選んだのは、その快楽を自分でふやすためなのです。
(p.28) 

 
 快楽ではなく苦悩、その独自性。書きはじめ、書き終える快楽から離れた末に花開く記憶。物語。バルトの考える小説というのは、そういうことを忘れないもので、だから本質的に書けないものであったろうと思う――というような全てをうやむやにする事故死が、バルトと小説の関係をより複雑に神秘的にしてしまったことをどう思えばいいのかはわからない。

 

ロラン・バルト 喪の日記 【新装版】

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明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書

 

 

 

『松本隆対談集 KAZEMACHI CAFE』松本隆

 

松本隆対談集 『KAZEMACHI CAFE』

松本隆対談集 『KAZEMACHI CAFE』

  • 作者:松本 隆
  • 発売日: 2005/03/19
  • メディア: 単行本
 

 

 亡くなったから書くわけでもないが――と言っても亡くなったから読み返した以上、亡くなったから書いているのだろう。
 誰が相手でも興味深い話の連続である本書には、筒美京平との対談があり、そこには、数々のヒット曲を生み出した二人の「松本くん」「京平さん」と呼び合う、余人の立ち入ることのできない信頼関係がどうしたって感じられる。二人で「完全に遊び」で行ったという南米旅行の話なんか特に楽しそうで、互いに認め合った人と仕事をするというのはどんな気分なんだろうと思ったりする。

 最後に、ひとりの学生がサム・ペキンパーにとって最も大切なこととは何かと質問した。ペキンパーは長いこと、じっとこの学生を見つめてから、ようやく口を開いた。
「映画を作ること」と彼は言った。「それから、ウォーレン(・オーツ)やストローザー(・マーティン)のような人間と一緒に仕事をすること。それがすべてだ。それ以外のことは、まったく意味がない」。
(ガーナー・シモンズ『サム・ペキンパー』P.331) 


 ペキンパーがこんな風に言ったのに憧れたりする一方で、記念アルバムがCD8枚組で出た15年後にもう一枚追加されて9枚組で出し直されるような広範な仕事を長く続け、その名コンビの相手から「社交家」と言われる職業作曲家の矜恃にもしびれてしまう。例えば、こんなところ。

松本 いや、いろいろ教えてもらったよ。出会ったときは、国立競技場のすぐ近くの、豪華なマンションに住んでいて、初めてお邪魔した僕は(南佳孝の)『摩天楼のヒロイン』(七三)ができあがったばかりのときだったから、「今日できたばかりなんです」って聴いてもらったら……何て言ったか覚えてる?
筒美 いや(笑)。
松本 「こういう好きなことやって、食べられたらいいよね」って。
筒美 (笑)。
松本 けっこうガーンときてさ。それをすごくよく覚えてる。
(p.167) 

 
 自分は『摩天楼のヒロイン』が好きだったので、初めて読んだ時はなんでどしてと思ったが、今回、作品を発表する立場になって読み返したら、やはりガーンとくる。
 自分の好きなことやって、つまり自分なら書きたいもの書いて、というのは理想のように思うが、書けないものは書かないで、という怠惰と表裏一体だ。それは商業として成り立たせる責務を遂行するのも大事とかそういうことだけではない。

 理想は常に自分の先にあるのだから――勉強でも練習でも努力でも言葉は何でもいいが――己の歩みが止まれば理想は形を取ることすらできない。作曲家になりたくて曲を作ることや、野球選手になりたくて野球をすることや、小説家になりたくて小説を書くことが努力だと思っているうちは、前途は多難であるどころか、その前途自体が存在しないのである。「好きなこと」は自分が今大事に抱えているものではなく、それを好きでいるための日々の行為の中にしかない。

 それら「すること」のためにする行為が「すること」の中に理想を象るのであって、何者かになりたがっている者の多くが直面している現状はそこに足らない。とはいえ条理だけが支配するのではないこの世には前途なしに夢を叶える者がいるのも事実で、それが希望という名において理想を代替してしまうみたいなことはある。その錯覚に目を凝らしながら一所に腰を据えてしまっている人は、幸せ者と言えるのかも知れない。実際、カフカはこんな風に書いている。

「理論的には、幸福になるためのじつに完璧な手だてがひとつだけある。すなわち、自己のなかの破壊しがたいものを信じ、しかもそれをめざして努力しないことである」
(「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」『カフカ全集3』p.35) 

 
 松本隆は、本書でも職業作詞家となっていく自分の変化をたびたび語っている。町田康との対談で「サビだなんだかんだというのを覚えたのは、ハッキリ言って作詞家になってから」とも言っており、はっぴいえんど時代の歌詞は、「一晩で三つか四つ書いたこともある」という。それでよかったことが、それでよくない場面にも直面する中で、変わらざるを得ない。
 こうした変遷は、破壊しがたいものを信じないことでもあった一方、破壊しがたいものをめざして努力することでもあったろう。その深化のきっかけは、筒美京平が曲を出してくる際に与えられることもある。藤井隆の「究極キュート」の作詞作曲のエピソードは、そのような人間と仕事することの幸福をまたしても思わずにはいられない。

京平さんから曲があがってきたら、こちらが狙っていた詞の繊細なニュアンスをぶっ飛ばすようなパワーがあって、僕もびっくりした(笑)。そりゃあ、タイトルは「究極キュート」だし、サビは翔んでてもいいんだけど、まさか全部翔んでるとは思わなかった。ジェーン・バーキンも何も跡形もなく蒸発しているから(笑)。今回のレコーディングは自分自身、すごく勉強になったよ。三○年以上やってると、もう何が起きてもそんなに新しいことも驚くこともないんだけど。
(p.209) 

 

 こういう積み上げていくものと壊されていくものの葛藤とバランス取りの連続が、ジャンル全体の進歩を支えているとも言えるわけだが、そこに偉大な足跡を残した人間がいたところで、時代はある意味ではだらしなく変わっていく。筒美京平の死でさえ、大多数の若者の心を驚かさない。
 それでもとにかくジャンルは続く。しかし、連綿と続いてきた足跡を見ないでどう続くというのか。

――京平先生は、最近の邦楽をどう思われますか?
筒美 特に新しく出てきたいわゆるロック系の人たちとか聴いてると、最近のメロディはどうなってるんだろう? と思うことがあるよ。たとえば、向こうでどんなに新しい人が出てきても、コード進行とかわかるわけ。こうなってこうなって、って。でも、今の日本はそんなのと関係なく発展してるサウンドがあるんだよね。その人たちはその人たちで何かを参考にしたり、影響されたりして、作ってると思うんだけど。最近はそう思うことが多い。
松本 うちの娘が最近よく聴いてるのは何だっけ? ラブ・サイケデリコとか?
筒美 ラブ・サイケデリコは洋楽のスタイルでしょ。それはわかるわけ。でも、洋楽と歌謡曲をまぜながら独特に発展してきたところにいる人がわからない。
松本 でも、フォークのときもそうだったんじゃない? 異常な発達したわけだし。
筒美 いや、コード進行とか、そういうものはセオリーがあるじゃない。フォークならコード進行がわかるメロディがあったし。でも、最近のロック系といわれるものは、アメリカにもイギリスにもないものなんだよね。
松本 日本独特のものなの?
筒美 そうなんだよ。向こうの人で言うと、ビョークとかマリリン・マンソンとか、両方嫌いだからああいうのを聴いてもいいとは思わないけど、でも、音楽的にはこういうことをやってる、というのはわかる。ところが、最近の日本のロック系のモノには本当にわからないのが出てきてる。
松本 セオリー外なんだ。
筒美 そう。でも、自分が年を取ったなあって思うのは、そういうのが「いい」と思えないんだよね。若いときは「いいと思える許容量」があったんだけど。
松本 でも、どんなものでも基本はあるんじゃない?
筒美 誰でもきっとどこかで基本は取ってると思うのね。日本でも向こうの人でも。でも、そういういわゆるロック系の人たちは独特の取り方をしたんじゃないかと思う。洋楽と歌謡曲があわさっていくときに、その(洋楽の)基本じゃないところをすくいとってきたんじゃないかって思う。
松本 どの時代にも「奇をてらう」ということがあると思うんだけど、それとも違う?
筒美 たとえば、パンクだってブルースのコード進行だったりするわけじゃない。ただ、歌い方が違うだけで。そうじゃなくて、音自体に対する何かなんだ。このごろの若い人は洋楽を聴かないで、いわゆるJポップしか聴かないでしょう。そういうものから発生してると思う。洋楽や他のも聴いてた人なら「これは間違ったコードだ」って気づくことも、それ(Jポップ)しか聴かなかったら気づかないじゃない。そういう間違いの部分をすくいとっちゃったんじゃないかって。
松本 なるほど。
筒美 音楽って分解すると実に理路整然としてるんだけど、そうじゃなくてその先の感覚の部分だけをすっと持っていったような感じかな。
松本 突然変異というか、ウイルスというか。
筒美 そう、ウィルスみたいなもの。でも、そのウィルス自体に何かを感じるようになってるんだと思う。
松本 たぶん、サンプリングの時代以降、楽器が弾けない人たちも「作曲」しだしたからじゃないかな。
筒美 そうかもしれないね。
(p.180-182) 

 
 長く引用したのは、この会話で松本隆が、相手の真意を探ろうと何度も質問を重ねるのを見て欲しいからだ。二人にとって、一つの歌を突き詰めていくのはこういう作業だったんだろうと思わずにはいられない。
 その末の、音楽の流れを汲まない当世の流行は突然変異ではなくウィルスだという結論をどう思うかは人それぞれだが、何のジャンルにおいても、それこそ自分が多少は足跡を辿ってきた文学においても、まあその通りですねという感じは拭えない。
 とはいえ、この対談から二十年近くが過ぎて、ウィルスが人々の生活の一部となって新たな規範を作り出すこともまた、我々が身に染みて知るところである。それもまた、何はともあれ変化だから「いい」と思いたきゃ思えることもわかっているが、それにしてもと年を取った筒美京平は考えている。
 その言い方にあえてのっかるなら、ジャンルの足跡を追ってきた者の多くは、ウィルスのはびこる世で、健康はいいぞ、なんたってそれは永らく続いて来た人類の「理想」だからと触れ回りたいと思いながら、それには見向きもせずにほとんどは過去の型違いに過ぎない弱いウィルスをせっせと作って世に問おうとしている人々を眺めている。そこでは、いったい何が目的とされているのだろうか。

 

サム・ペキンパー

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