保坂和志さんと対談した

 保坂和志さんと対談した。何が話せたわけではないけれど、保坂さんの「群像」の連載に自分のことが書いてあったので書きたくなった。
 その連載の第六回のタイトルは「鉄の胡蝶は歳月に夢は記憶の彫るか」となっており、単語や助詞が固定されないで水に浮かんでるみたいに変わってきている。そこに書かれた「乗代雄介との対談補遺」は、自分には良くわかる話でありながら、同時に自分ならそんな言葉は使わない使えないという言葉で書かれていたので活力になった。
 その書かれた言葉が少し前かだいぶ前かにその言葉や文になろうとしていた際、つまり書くという行為の最中に保坂さんが考えていたことは、自分が考えていたことと同じなんだと、けっこう心から思えてしまう。最終的にああして誌面に固まった言葉が、自分の思いようや書きようとは当たり前だが異なるからこそ、書こうとしていることが同じであると信じられるというか、異なる同心円から同じ中心に働きかけているということだけは、その中心から返ってきたように思える波紋でしかない文章が伝えてくれる気がするという、そういう実感を持つ時がたまにあるのだ。理解されたというのとは違う、もっと大きな何かに対する自問自答の応答の痕跡か響きを人知れず発見するような。それを「歌のように」と言い切るには歌に対する実感が僕には足らないけど、書かれたものではなく書こうとしていることをわかりたいというのが、僕が対談の後でまたぞろずっと考えたことだった。
 対談が終わったあと、講談社のある護国寺駅から池袋駅まで有楽町線で保坂さんと二人で帰った。途中、腰の曲がったおばあさんが、小さいキャリーバッグを転がして一人乗ってきた。池袋でどっと降りた後で保坂さんが話しかけて、僕たちはおばあさんを、階段を避けたルートで改札まで導いた。ゆっくりした足取りに合わせて、エスカレーターならいいと言うからエスカレーターに乗った。まだプラットフォームを歩いていた時、僕はキャリーバッグを持ちましょうかと訊ねた。おばあさんは「これがないと歩けない、支えられない」ということを言って、顔は見えなかったが笑っているようだった。杖代わりのほとんどからっぽのキャリーバッグだったということで、そう思って注意して見ていたら、点字ブロックを越える時もほんの少し浮かせて下ろしている。その動きがあまりに滑らかだからそうと知るまで気がつかなかった。エスカレーターに乗っている時、今度は保坂さんがキャリーバッグを持ちましょうかと訊いた。おばあさんはまた同じことを言った。
 二人とも別々のタイミングで、(あの)キャリーバッグを持ちましょうかと訊ねたのが、なんとなく嬉しくて時々思い出している。おばあさんと、見送るというより置いていくような形で別れた後で、保坂さんは前にライブに行こうとしたら鳩を助けた時のことを思い出したよみたいなことを、そこに浮かべておくみたいに言った。僕はぜんぜん何も思い出さないようだった。