ワインディング・ノート32(サリンジャー/キルケゴール/『死に至る病』)

 もう少し「星」を頼りに話を進めましょう。
「シーモア―序章―」で、語られ役であるシーモアは「小説家」である弟のバディに向けてこう批評を綴ります。

 なつかしきバディよ、今夜は陳腐なこと以外、何を言うのも恐ろしい気がする。結果はどうあれ、どうかおまえ自身の感情にしたがってくれ。ぼくたちが登録するとき、おまえはぼくのことでずいぶん腹を立てた〔その一週間前、彼とわたしと数百万のアメリカの若者は最寄りの小学校に行って、徴兵の登録を済ませた。わたしは、わたしが徴兵カードの空欄に記入したことを見て彼が微笑しているのに気づいた。家へ帰る途中ずっと、彼は何がそんなにおかしかったのかわたしに説明することを拒否しつづけた。わが家のものなら誰でも証言できることだが、彼は自分にとって都合よく事がはこびそうにみえるときは、かたくなな拒絶者になることができた〕。ぼくが何を見て微笑していたかわかるかい? おまえが著述業と記入したからだ。いままでこんなに美しい婉曲な言い方を聞いたことがないと思ったのだ。ものを書くことがいったいいつおまえの職業だったことがあるのだい? それは今までおまえの宗教以外の何ものでもなかったはずだ。そうだとも。ぼくは今すこし興奮しすぎているようだ。ものを書くということがおまえの宗教である以上、おまえが死ぬとき、どんなことをたずねられるかわかるかい? だがはじめに、だれもおまえにきかないようなことを、ぼくに言わせてほしい。おまえは死んだとき、すばらしい感動的な作品を手がけていたかと、きかれることはないだろう。それが長編なのか短編なのか、悲しいものか滑稽なものか、出版されたかされなかったかきかれることはないであろう。おまえがそれを手がけているときは、調子がいいかわるいかをたずねられることはないであろう。それを書き終えるときがおまえの最後の時になることを知っていれば、おまえはその作品を手がけてきたであろうかということすら、きかれることはないだろう――そんなことをたずねられるのは、あのあわれなゼーレン・Kだけだろうと思う。確かなことは、おまえに対して二つだけ質問が出されるということだ。おまえの星たちはほとんど出そろったか? おまえは心情を書きつくすことに励んだか?


「おまえの星たちはほとんど出そろったか?」
「おまえは心情を書きつくすことに励んだか?」
 この質問と、以下の質問は、全く異なるものとして書かれています。
「すばらしい感動的な作品を手がけていたか」
「長編なのか、短編なのか」
「悲しいものなのか、滑稽なものか」
「出版されたかされなかったか」
「それを手がけているときは、調子がいいかわるいか」

 ものを書くということが宗教的なものである場合、最も大事なことは下のグループのようなちゃちなものではないのです。
 『死に至る病』で絶望について書いたゼーレン・Kもといキルケゴールのように考えるなら、そんなことには、とっくに絶望しなければなりません。
 キルケゴールは、「絶望は、絶望=死に至る病からの治癒の最初の形式だ」と難しいことを書いています。

 絶望そのものがひとつの否定性であり、絶望についての無知は新たなひとつの否定性である。ところで、真理に至るためには、ひとはすべての否定性を通過しなければならない。


 つまり、あらゆる絶望を克服し、知ることで、絶望自身の治癒の端緒にしなければならないのですが、『死に至る病』で僕が読み取り考えられことと言えば、「永遠なものを失」い、神の言など信じるに値しないと絶望し、絶望し尽くした時に、その絶望の届かぬ領域に、神や自己が初めてその姿を現すだろう、それこそが真の信仰である、というようなことです。
 しかし、その繰り返される「絶望」にピリオドをもたらす者などいるのでしょうか。
 キルケゴールは、全ての書き物を宗教に捧げたと言いたくなるような人ではありますが、その死は、本人が頓着していなかった現世的な死としてとらえれば、やはり「のたれ死に」にふさわしいものでした。

 長い沈滞期に別れを告げて、キルケゴールは程よい健康状態を楽しんでいたようであった。ところが、彼は1855年9月の下旬に病気になり、10月2日に道端で倒れた。その後、彼自身の要求により、コペンハーゲンのフレデリク病院に搬送されたが、病状は悪化する。キルケゴールの姪によると、病院に担ぎ込まれたとき、彼は死ぬためにここに来たと言ったらしい。六週間後、11月11日に、彼は42歳で亡くなった。死因ははっきりしていないが、診断書には躊躇いがちに結核と書かれていたという。
 夥しくも華々しい文筆の仕事に消耗し、或いは個人的な生活とデンマークキリスト教の惨めな状態に消沈して、キルケゴールは単純に生きる意志を喪失してしまったように思われる。最後の見舞いに訪れた終生の友人エミール・ベーセンは、結果的に彼の人生の大半がうまくいったということをそれとなく優しくキルケゴールに語った。すると彼は、「私がこの上なく幸福でもあり、この上なく悲しくもあったことの理由はそれだ。なぜなら、私はこの幸福を誰とも分かち合うことができなかったのだから」と答えた。そして、彼は「死と共に、この絶望から解放されることを祈っている」と続けている。
(『哲学者たちの死に方』)

  
 絶望の果てに真の信仰があると考えるキルケゴールは絶望の内に死んだ。
 シーモアは「おまえはその作品を手がけてきたであろうか」と語っています。そして、この質問は、ゼーレン・キルケゴールだけがたずねられる(受身)とも。
 「それを書き終えるときがおまえの最後の時になることを知っていれば」という前提があるので、キルケゴールはそれを知らなかったとシーモアは言いたいのかも知れません。
 「死と共に、この絶望から解放されることを祈っている」と今際の際で安らぐことなく言ったキルケゴールは、生涯を通じて宗教について、それによって真の信仰を目指すが如く書き続けました。「シーモア―序章―」でキルケゴールの「ものを書くこと」についての文章を、カフカと並べて引用していることから、キルケゴールは「ものを書くこと」と「宗教」にまたがる最良の例として出されていると考えられます。
 「死ぬまでやる」ということは、死ぬまで考え続け、書き続けることであり、途中で何かが終わるということはありません。人生を投じてやり続けるべきことであれば、その中で、ましてや生涯のある時期に何か成し遂げたものがあるか、などという成果主義的な質問は、意味がないのです。そこで「芥川賞をとりました」「ノーベル文学賞をとりました」などと答えるのであれば、その人にとって、「ものを書くこと」は宗教以外の何ものかなのでしょう。
 「ものを書くこと」が、死ぬまでやることを余儀なくされるような宗教になるのであれば「それを書き終えるときがおまえの最後の時になることを知ってい」るはずなのだから、「その作品を手がけてきたであろうかということすら、きかれることはない」はずです。
 が、キルケゴールは死の六年前に書いた『死に至る病』の中で詳細に書いた「絶望」が、死をもって終わるとは思っていませんでした。「永遠なものを失う」のが絶望だと書いている彼は、死ぬことで永遠なものになれるとはとても考えられず、せいぜい絶望から解放されることを「祈る」にとどまります。そして、それは生前にとっていた態度となんら変わるものではないのです。
 だから、無論もう「作品」を書くことなどできなくなる死後、それでもなお絶望から解放されないであろう「あのあわれなゼーレン・K」だけは、永遠なものから、こう訊かれることになります。
「おまえはその作品を手がけてきたであろうか」
 もう書くことはできないのにそれを問われるとしたら、やはり相当にあわれなことだと僕は思います。

 

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)

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死に至る病 (岩波文庫)

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哲学者たちの死に方

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