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ワインディング・ノート22(カツマタくん・いがらしみきお・『IMONを創る』)

ワインディング・ノート

 先日、ポテチ光秀さんの「カツマタくん」というマンガがあって、おもしろいなと笑っていました。


【漫画】カツマタくん | オモコロ


 このハッピーなマンガをどうこうするつもりはあんまりありません。
  それこそマンガ的な土壌を鑑みてコロコロコミックがどうとか『のんきくん』がどうとか、ナンシー関的に「読者=視聴者」を見つめる勝俣のまなざしがどうとか、コピーされた顔にマンガ的記号を付されてどうとか、スカトロジーがどうとか、それら全部が結びついてどうとかを書くこともできそうですが、その 程度のことだったら再びこれを書き始めなかったでしょう。

 一読して思い出したのが、いがらしみきおの『IMONを創る』だったので、僕は書いてみることにしました。
  この本は、1992年に出版された本なのですが、内容は1990年頃に書かれております。とりあえず相当に変な本であり、そして、ほとんどまったく知られていない本です。タイトルが当時流行していた 『TRONを創る』のパロディであるように、人間用のOSとは何かを語った本なのですが、僕はせっせと半分以上を引き写し、これについて考えていたら、他人をいっさい気にすることなく具合よく生きられるようになりました。
 つまり、これは後で激しく後悔するかもしれませんが、どうもカツマタくんのように生きられるようになったという風に感じているのですが、とにかく、なんとかそういう結論になるように考えていきたいと思います。最近、巷では、「哲学は役に立つのか?」なんてことが語られていますが、それについても有益なものになるはずです。読む元気があれば。

 いがらしみきおによれば、人間が導入すべきOS「IMON」とは、「Itsudemo Motto Omoshirokunaitona」=「いつでも もっと おもしろく ないとな」とのことです。「Igarashi Mikio Office」のことでもあり、その会社名を指すこともありますので、引用文中は文脈によってください。
 で、「IMON」の3原則というのがありまして、

①リアルタイム
マルチタスク
③(笑)


 リアルタイムというのは、いつでも最新の情報を取り入れて記憶を更新し続けることです。その前に、いがらしみきおはこう書きます。

  人間は、そのメカニズムからしてリアルタイムなのである。しかし、記号化することのよってリアルタイムを実現させてきたはずだが、その記号化によって、リ アルタイムを疎外してきたということもあるのではないか。いわゆる、生きる目的、または愛、でなければ死。これらのいわゆる、文学的命題というものは、記号化できないことばかりである。
 それをなんとかして記号化しようと悪戦苦闘してきたのが"文科系の不良"というもので、そして彼らはそれを記号化しえなかった。100年をかけても。
 記号化しえたのは、記号化しようとした悪戦苦闘のありさまのほうではなかったか。その結果として、人は生きる目的と愛と死を持ち出されると、条件反射的に悪戦苦闘してみせるということになる。そんなことしなくてもいいのに!

  それでは、生きる目的や愛や死を記号化するとはどういうことか。記号化するとは、普遍化するということである。たとえば1+1=2のように、出された問題についていつでも答えられる、ということである。我々は、生きる目的や愛や死の意味を問われた場合、明快には答えられない。
 とりあえず明快に答えるものが、この世にあるとすれば、たったひとつだけある。それが宗教だ。
 しかし、宗教にとどまらず、我々にとって"好きだ"というものは、ほとんどが宗教的になる。
 これは"好きだ"というものが、生きる目的や愛や死、めんどくさいからこの3つは以降、頭の発音だけとってイアシの疑問と言うが、そのイアシの疑問をとりあえずは持ち出さなくてもいい時間を保証してくれるからである。ワタシにとってのゴルフのように。
 宗教は、その"持ち出さなくてもいい時間"を永遠にしたい場合に有効になるだろう。しかし、この世に永遠はない。この世にROM(引用者註:読み出し専用メモリー、書き換えが不可能なもの)が存在しないように。


 このあたりの話は、このノートの21まででさんざん語ったことです。ほぼ全て、文科系の不良たちの悪戦苦闘について書いてきました。彼らは、何か書いている時だけ、イアシの疑問から逃れられたのです。イアシの疑問について書いている時ですら。
 僕はこの悪戦苦闘が実に好きなんですが、人間として現実を生きる上では、最も強く影響を受けたのがこの『IMONを創る』という本だと断言できます。
 さて、人間がリアルタイムであるとはどういうことか、という話が続きます。

 最近、前向きであることが好ましい。勝つにしろ、負けるにしろ、笑うにしろ、泣くにしろ、ゴルフで150叩くにしろ、池に入れるにしろ、前向きであるということ。これをなくして、人間がリアルタイムであることは難しいにちがいない。
  実際、我々は何ごとかをやり続けているかぎり、思考が深刻なループをしたりはしないようにできている。それはひとえに、生き物としてリアルタイムである務めだけは果たしているからに違いない。それよりなにより、我々が生き物で、しかも生きているのなら、本来は思い悩むことなどなにもありはしないのではない か。少なくとも生きているのだから。生き物としてなすべきことの第一は、"生きている"ことである。そして、それが生き物としての3.14なのだ。
 つまり、オカネ持ちになることや、コイビトができることや、有名人になることなどは3.14の小数点第三位以下の端数でしかない。しかし、その端数の方が問題だ、というのが現代というものである。


  この後、聖書の「思い煩うな。空飛ぶ鳥を見よ。蒔かず、刈らず、倉に収めず」という言葉をひきながら、そんな言葉は今の時代では、「なんで病気なんかする んだ! やめろ! 病気なんか。健康はいいぞ。健康になれ」と言うのとさほど変わらないといがらしみきおは言います。もうそんな時代ではない。ニーチェドストエフスキーも言っていたではないか、と。
 だから、ゲンダイの人間は、病気にかかったままどう生きていくかということが問題になってきます。そこで、満を持して「IMON」の3原則が登場します。

  IMONの3原則である"リアルタイム"は、その病気をしたまま生きていく方法の中のひとつでありうるはずだ。しかし、我々が"リアルタイム"である限り、必ずや何かを失うだろう。社会的に見れば、自然破壊という"環境の消費"が残り、文化的に見れば流行の盛衰という"意味の消費"に加速度がつく。これもまだ"リアルタイム"というシステムが招く、ひとつの結果であるだろう。
 それは"まちがったリアルタイム"であるから、そうした破壊が行われるのだ、とワタシは言わない。我々は往々にして"正しい"、または"まちがった"という言葉を使うが、情報処理をその使命として生きるものに"正しい"も"まちがう"もないのではないか。

 
 未来学者トフラーの『第三の波』を思い起こさせます。トフラーは、人類に訪れた大変革を3つに分けました。
 第一の波=新石器時代の農業革命。第二の波=18世紀の産業革命。そして、第三の波=20世紀末の情報革命。
 産業革命は自然破壊を招き、公害も発生し、温暖化やらなんやらの問題も招きました。それがまちがいだったかと言えば、リアルタイムを生きている人間にとっては、正しいもまちがいもないのだといがらしみきおは言います。坂口安吾のようです。
 これだけは誤解のないよう申し添えておくと、未来学もまた、人間がリアルタイムの存在であるという観点から出発する学問であります。みんながんばっているんだ。
 では続きを読んでみましょう。というわけで続きます。

 

IMONを創る―パソコンユーザーのための新しきOSをもとめて… (アイコンブックス)
 

 

第三の波 (中公文庫 M 178-3)

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