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ぬん三が怒った

創作

 給食の時間がやってきた。ぬん三は今日、給食当番だ。
 ぬん三はみそ汁を運ぶ。なぜならいじめられているから。運ぶのが大変な汁ものは、クラスで一人だけベイマックスを見ていないぬん三が運ぶことになる。
 みんな、連れだって先へ行ってしまった何メートルも後ろから、一人でみそ汁を、大きな寸胴についた取っ手を両手でつかみ、またの間にぶら下げて、なんとか運ぶ。
 こんなの慣れっこだから、へっちゃらで運ぶぬん三。下級生のクラスの前のろう下を通るときだってみじめな気持ちにはならない。歌を歌うから。
CHA-LA HEAD-CHA-LA~」
 その瞬間、ぬん三は何かにびっくりして顔を上げた。ゆっくりみそ汁を置く。きつねにつままれたような顔で、きょろきょろと周りを見る。しかし不安は解消されない。困り果てた末に、ぬん三は腕時計の赤いボタンを押した。
 腕時計の液晶に博士の姿が浮かび上がった。口をゆがめ、かなり不機嫌そうだ。
――どうした、ぬん三くん? こんなお昼になんだってんだ?
「はかせ、たいへんだよ」
――だから、どうした?
 博士の口から舌打ちがもれる。
「あのね、ぼくがうたをうたってたら、おしりがあつくなって、今はつめたい」
 博士はしぶい顔で考えた。
――ぬん三くんは、今、何をしていたんだね?
「みそ汁はこんでた」
 博士は顔をしかめて目をつぶった。大きく鼻で息をつく。
――ぬん三くん……言いたくはないが、またクソをもらしたな?
「ええ!?」
――かんたんな話だ。君は、みそ汁の寸胴をまたの間にぶら下げて運んでいたはずだ。そこで力んだ君のしまりのない肛門からいつも通りの調子でまんまとクソがすべり落ちた。日頃からパンツもはかないで半ズボンの君のこと、クソは何のためらいもなくみそ汁に飛び込んじまったというわけだ。クソ汁とはこのことだ。
「ぼく、クソなんかもらしてない」
――それは、君が理解していないだけだ。ケツのネジがぶっ飛んでるんじゃないか? みそ汁の跳ね返り、つまり「おつり」が何よりの証拠だよ。短パンだから、跳ね返りのみそ汁も股間に直接あたるというわけだ。君はバカ面でそれにびっくりしたんだよ。自分のやったことがわかるか? 君は、みんなの食べるみそ汁にクソを入れたんだ。クソの4割は菌の死骸や細胞の残骸。君は最悪だよ。これが知れたら、クラスのみんなは何というかね?
「ど、ど、どうしよう」
 ぬん三はかわいそうにブルブルふるえ出した。
――神のみぞ知る、だね。
 そう言うと、博士は液晶に向かって唾を吐きかけた。ぬん三はびっくりして目を閉じる。おそるおそる目を開けると、時計の液晶は黄色っぽいあぶくだらけの人影を映していた。そこでブツリと、一方的に通信が切られ、真っ暗になった。
 難しいことを言われ、そして痰を吐きかけられて、ぬん三は今にも泣きべそをかきそうになって、しゃがみこんでしまった。
 神のみそ汁とはいったいなんなんだろう。クソがまじったみそ汁のことだろうか。神のみそ汁のことがバレたら、みんなはぼくをいじめるだろう。でも、バレなかったら、みんな神のみそ汁を食べるだろう。もし、これを食べて、みんなが死んでしまったら、その時はきちんとあやまろう。でも、死んでしまったらだれにあやまればいいんだろう。でも、ぼくもすぐ死刑になってしまうだろうし、どうすればいいんだろう。
 ぬん三はしばらく考えていた。顔はいつの間にか、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。それでも、ぬん三は力強く立ち上がって、前を向いた。
 今日みんなにいじめられるより、あとで死刑になったほうがずっといい。ぬん三はそう決めてしまった。
 それでも涙は次から次へとあふれてきた。時々そでで涙をぬぐいながら、重たいみそ汁を運んだ。やっと教室まで着くと、ドアは閉じられていた。給食当番のみんなが意地悪をしているのだ。また涙が出てくる。ぬん三はみそ汁を置いた。そして、涙を何度も何度も、つめたいそででぬぐってから、意を決してドアを開けた。
 その瞬間、クラスのみんなが騒ぎ立てる声が、塊になってぬん三の体にぶつかった。
「またクソをもらしたんだろ、ぬん三!!」「しかもみそ汁に! きったねえなあクソったれ!!」「クソもらしーー!!」「そのクソ汁、お前が全部飲めよーーー!!」
 みな待ちきれなかったというような顔を浮かべ、大声で叫び、ぬん三に物が投げつけられた。
 ぬん三は、罵声や怒号、飛んでくる消しゴムのカスや鉛筆、紙くずを一身に浴びながら、一番前の席に座っている博士を見た。
 博士は振り返ることなく、一心に時計を拭いていた。白い豊かなヒゲのふくらみだけが、ぬん三のところからも見えた。
 もともと、塩分制限をされている博士は給食のみそ汁を食べられない。なのに、バラした。みんなに、すぐに、バラしたのだ。
 ぬん三は博士の頭頂部から後頭部にかけてのむき出しの頭皮を、血走った目でにらみつける。その火花が、ぬん三の腹の内に今までずっと溜め込まれてきた恨み辛みのどす黒い油に火をつけたのだろう。かつてない憤炎が燃え上がった。その強すぎる怒りのあまり、ぬん三の体は、体内で爆発が起こっているような振動をあちこちで起こし、ドアがガタガタ震えだした。
 ぬん三のまたの間からは、ボタボタボタボタ、次々とクソが落下していた。それは、滝のようにみそ汁に飛び込み、飛沫を上げた。
 教室は楽しげな阿鼻叫喚に包まれた。愉楽に酔った子ども達の中で、ぬん三の底知れぬ怒りに気づいた者は誰もいなかった。ぬん三が怒ったことなど、これまで一度もなかったのだ。
 ぬん三は白目だけになり、10キロはあろうというみそ汁の寸胴を軽々と持ち上げていった。触れられぬほど熱い底に右手をあて、そのまま頭上に掲げ、しっかり支えている。獣のような熱い息が、勢いよく鼻や口から漏れ続けていた。
 にぎやかな声は一瞬で止んだ。
 その静寂の最中へ、ぬん三は突き進んだ。近くの者は小さな悲鳴を上げながら席を立ち、道を空ける。
 博士はそれでもなお振り返らない。博士の隣の席の女子、クラスのマドンナ東雲さんも腰が抜けて動けないようで、おびえきった目でぬん三を見ることしかできない。ぬん三はそちらには目もくれず、博士の背後へ歩み寄り、止まった。
 スクールカースト上位に君臨する博士を心配する声が遠慮がちに飛んだが、それは届かないほど小さく、弱々しかった。誰もが博士はおしまいだと思った。クソ入りのみそ汁の寸胴を、鬼のような力で頭にかぶされるにちがいない。死んでしまうかもしれない。全員、目を覆う準備はできていた。
 しかし、予想に反して、ぬん三の動きは、みそ汁を掲げたままで止まっていた。
 何かがおかしい。腕がブルブル震え出した。
 その時、博士が突然立ち上がった。年齢に見合わぬ動きだった。東雲さんを片手で抱え込むと同時に、もう一方の手で腕時計のしぼりを回しながら、その場を横っ飛びで離れる。
 同時に、ぬん三の手は力がこもらずまっすぐに伸びた。みそ汁の寸胴は不安定に揺れ、すぐに戻れないほどに傾き、逆さになり、落下していく。ぬん三の頭へ向けて、一直線に。
 金属の音と、すさまじい濁流の音が教室全体を震わせた。
 ぬん三は寸胴をかぶり、みそ汁とクソまみれで倒れて動かない。時計のついた右腕は、まだビクビクと筋を引きつらせていた。
 誰もが、声も出せないほどの衝撃を受けて立ち尽くしていた。
 博士は、床の上で、東雲さんを守ろうとおおいかぶさった体勢だった。しかし、全てが終わったことを理解すると、東雲さんを抱え込んだまま、半身だけをみんなの方に持ち上げ、時計をつけた腕を天井に伸ばして言った。
「なあに、こいつでちょっと強めの電気ショックを与えてやったというわけじゃな」
 教室は、悪を打ち砕いたことを祝福する歓声に包まれた。
 このタイミングなら行ける。博士はそう判断した。下になっている東雲さんに再び覆いかぶさり、キスした。太い舌を入れ、かき回して味わいつくし、か弱い股ぐらをまさぐり、鷲掴みして力をこめた。なんて悪い奴だ。