ワインディング・ノート19(宮沢賢治・「最後の手紙」・手塚治虫)

 宮沢賢治の最後の手紙を紹介します。ここまで見てきたように、ありえない完璧を求めて思索と創作を続けた宮沢賢治が、その人生と人間に、まったく悲しい自己評価を下した、死の十日ほど前の手紙です。ここまで読んできた義理。貴方様におかれましては、一言も漏らさぬように読んでいただきたいと思います。

  八月廿九日附お手紙ありがたく拝誦いたしました。あなたはいよいよご元気なやうで実に何よりです。私もお蔭で大分癒っては居りますが、どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除こらず、咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり、或は夜中胸がぴうぴう鳴って眠られなかったり、仲々もう全い健康は得られさうもありません。けれども咳のないときはとにかく人並に机に座って切れ切れながら七八時間は何かしてゐられるやうなりました。あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんがそれに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、じぶんの仕事を卑しみ、 同輩を嘲り、いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味わふこともせず、幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが、しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考では、本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。どうか今のご生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。いろいろ生意気なことを書きました。病苦に免じて赦して下さい。それでも今年は心配したやうでなしに作もよくて実にお互心強いではありませんか。また書きます。
(昭和八年九月二二日 柳原昌悦宛て)


  そうなのです。「完全な現在の生活を味わわない」者として、「過去」にあったものを味わい、考えを尽くし、「銀河鉄道の夜」を書いた作家でさえ、そうなのです。何がそうなのですなのか、はっきりと言えませんが、そうなのです。そうなのです、と僕はくり返すほかない。あなたが「物言わぬ読者」であれば、わ かってもらえると思います。リツイートもブックマークもしなくてよいですから。
 完璧を目指すとはこういうことです。完璧の末路をうすうす知りながら引き寄せられ、「本気に観察した世界」の中で、「全世界を異郷と思う者」として、その通りの末路をたどる。
 「空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味わふこともせず」という箇所があります。「どうか今のご生活を大切にお護り下さい」というところもある。それだけが「ほんたうの幸ひ」だと賢治は考えています。

 この文が心にともす火が消えないうちに、今こそマンガの神様のもとに戻りましょう。この火の美しさや苛烈さを、どぎつく想起させる者のもとに戻りましょう。
  手塚治虫が「今のご生活を大切に」したでしょうか。「空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味わ」うこともなかったあのマンガ家は、誰の話にまともに耳を傾けたでしょうか。そんな彼の「完璧」を誰が知るでしょうか。彼の仕事ぶりが、凡百のマンガ家が想定する「完璧」を楽に超えていたのは、火を見るより明らかではないでしょうか。
 何度も申し上げましたが、こういう奴らは誰しも、「完璧」に誰よりも近づきながら、「完璧ではない」と首を振り続けます。
  おそらく、先ほど似通うと言ったのは、こういう態度のことなのです。だから彼らに終わりはなく、安寧の地も満足もなく、その終わりのなさが、末路に重なっていく。彼らはいつも、届かなかった者として、死ぬことになる。最期の言葉が「仕事をする。仕事をさせてくれ!」だった人間に、かける言葉があるでしょうか。
 僕は今、彼らに安寧の地がないと言いました。それが、「全世界を異郷と思う者」なのです。

    故郷を甘美に思う者は、まだくちばしの黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、既にかなりの力を蓄えた者である。全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。


 この中で、苦しみ続ける者は誰か、明白なのではないでしょうか。
 そしてまた「新しいもの」があるとすれば、それを生み出すのは誰かも、明白なのではないでしょうか。
 「全世界を異郷と思う者」は「過去」にすら異郷を見出すでしょう。そこには、自分に影響を与えたものがたくさん転がっている。彼らは、異郷にいるからこそ、強くそれを自覚します。
  だから、彼らは影響をそっくりそのまま出すことを恥じます。むしろ、その影響の全てからできるだけ逃れた位置に、ただしそれほど遠くなく、自分の場所を見つけるのです。
 彼らは、ここに至ってようやく「個性」を獲得します。本来、「個性」とはこのレベルにしか適用できない言葉であると僕は思います。
 人がそれぞれちがっていることはそれはそうですが、それは、個性という言葉に付与されたような曖昧な肯定感を超えて、ただ「ちがっている」のです。

 

宮沢賢治全集〈9〉書簡 (ちくま文庫)

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