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ワインディング・ノート7(スタインベック・旅役者・ギールグッド)

 あまりにも無礼だった自分。それで平気でいたのは、なぜかと考えないでもない。
 自分の中に「完璧な人間」たちがとぐろを巻いているので……という仮説はしばしば頭をよぎってきた。
 例えば、誰かが人を褒めているところを見るにつけ、求めてもないのに、スタインベックがこうした言葉をもって待ち構え、遠からずその文言を発見する。

ぼくには強く信じていることがひとつある。人という種族がただひとつもっている創造的なもの、それは個人の孤独な精神だということだ。ふたりの人間がいれば子供をつくることができるが、集団がつくりだせるものを、それ以外にぼくは知らない。個人の意志によって統御できない集団というのは、恐ろしくも破壊的な原理だ。個人的な精神は非常に貴重なものである。
(ジョン・オハラへの手紙  テツマロ・ハヤシ編/浅野敏夫訳『スタインベックの創作論』より)

 
 「集団は集団の構成員を増やすことしかできない」とまでスタインベックは言っているが、これは太宰が貶める「徒党」「孤高」の考えにずいぶん近い。
 このアメリカ人作家は、ノーベル文学賞を受賞する2年前の1960年、58歳のとき愛犬と放浪の旅に出た。この旅は『チャーリーとの旅』という本にまとめられていて、これは実にいい本で、大好きだ。
 少し引用させてもらいたい。身の上話ばかりしていると、他人の話をしたくなるのだ。とびきりいい他人の話で、つくはずもないおとしまえをつけたくなる。

 旅の途中、スタインベックは、「ハコガメのようなトレーラー」を牽引している「骨董並みに古いセダン」に乗った「カウボーイハット」をかぶった男に、かなり控えめな方法で出会う。
 放浪している者同士、ちょうどサバンナの動物たちが水辺に集まるように川岸で50メートル離れて、互いをしばらく確認し、それから出会うのだ。

礼にかなった適切なタイミングを見極める感覚は、誰にでもあるに違いない。私が彼に声をかけようと決め、実際に歩み寄るべく立ち上がってみたら、ちょうど彼もこっちにぶらぶらと歩いてくるところだったのだ。彼もまた、待ち時間は終了と感じていたらしい。

 
 彼のことを「みすぼらしい中にも堂々たる気品がある男」だとスタインベックは書いている。話を聞いてみると、職もなく、家を売って買った車でアメリカ中を回り、「学校とか、教会とか、軍人クラブとか」で文化行事として朗読会をやって暮らしているという。「どこであれ、お客が二人か三人集まるところなら」と彼は言う。
 スタインベックは、自分と同じように、犬を連れたこの役者に魅了され始める。だから「演目について聞かせてください。どんな脚本を使っているんです?」と訊ねた。

「盗作していると思っていただきたくないんですが」彼は言った。「私はシェイクスピア劇の名優、サー・ジョン・ギールグッドの台詞回しに私淑しているんです。ラジオで彼の『人間の時代』という一人芝居のシェイクスピア劇を聴きまして、研究のためにそのレコードを買ったんです。台詞や声音や抑揚で、彼がどんな名演をしていることか!」
「あなたもそれを演じていると?」
「はい。ですが盗作ではないんです。前口上として、サー・ジョンを聴いたことや私がどれほど感銘を受けたかを話しています。それから、彼がいかに演じていたかお目にかけましょうと告げるんです」
「そりゃあ賢明だ」
「ええ。演技にも箔がつきますから、効果もあるんです。それにシェイクスピアなら著作権料もいりません。だから盗作にはならないんです。彼への称賛を世に広めているようなものですし、私はそのつもりでやっていますよ」
「お客さんの反応はどうですか?」
「そうですね、観客に台詞がしみ込んでいくのが見えますから、今では私もすっかり慣れてきたんでしょうね。皆さん私のことなど忘れて、芝居の中へ入り込んでいきます。もはや私を変人と思っている人もいません。――さて、ご感想はいかがです?」
「思うに、ギールグッドも喜んでるでしょうね」
「ああ! 私は彼に長い手紙を書いたんです。そして私が何をし、いかに演じているかを伝えました」
 彼は後ろのポケットから厚い財布を出した。そしてきちんと畳まれたアルミ箔の包みを抜き出し、それを開いている。中から指で注意深く取り出したのは、小さな一枚の便箋だった。一番上に宛名があって、文面はタイプライターで打ってある。こう書いてあった。
    
  親愛なる……様
 ご親切で興味深いお手紙に感謝いたします。貴殿のご活動に込められた誠実な称賛に気づかぬようでは、私に役者たる資格はございません。あなたに幸運と神のご加護があらんことを祈念いたします。
                    ジョン・ギールグッド
    
 私は感心して息をついた。そして彼の指がうやうやしく便箋を包み、アルミ箔の鎧の中に封入してからしまうのを見守った。
「公演依頼をもらうために誰かに見せたりは、決してしません」彼は言った。「そんなことは考えたこともありません」
 そして私も、その通りだろうと思った。
 彼はグラスを振り、中に残ったウイスキーがプラスチックを洗うのをじっと眺めた。この仕草にはしばしば、主人に器が空になったことを知らせる意味がある。私はボトルの蓋をとった。
「いえ」彼は言った。「もう結構です。演技術で最も大切で効果的なのは退場の仕方だと、ずいぶん前に学んだのです」
「しかし、私はもっとお話をうかがいたいんですが」
「それではなおさら、おいとましなくては」
 彼はわずかに残ったウイスキーを飲み干した。
「問われることはそのままに」彼は語った。「そして引き際は潔く、おもてなしに感謝します。ご機嫌よう」

 
 こうして役者はあっけなく去っていく。スタインベックは「彼は正しかった。彼の退場の演技は、私の疑問をますますかきたてたのだ」と述懐している。
 思わぬほど長く引用してしまったが、自分はこの話が本当に好きである。登場人物たち全員の、隅々にまでわたる誠実さがたまらなく好きである。

 おそらく「完璧な人間」がいるのであれば、彼らのようにしか関係を取り結ぶことができないのではないに違いない。
 役者は、異郷で出会った人間とかりそめの「徒党」が組まれる前に、自ら退場してしまう。もちろん、相手が大作家であることなど知る由もない(ただし、彼は最初に声をかける時、ある種の勘の良さから「役者仲間の方ですか?」と声をかけた)。彼はジョン・ギールグッドを実に深く尊敬しており、その名演を伝えること、その名演を真似ることのみを生き甲斐にしている。
 他方、それに答えた名優の「貴殿のご活動に込められた誠実な称賛に気づかぬようでは、私に役者たる資格はございません」とは、なんと控え目で当を得た言葉だろう。
 称賛というのは世間にありふれている。しかし、疑われていない言葉によって行われた称賛は、言わば「故郷を甘美に思う者」から放たれているのであり、そこにあるのは共同体的なよろこびである。今日、そうした称賛はネットワークを使って、実ににぎやかに贈答される。

 しかし、言語とは、言葉とは、「徒党」そのものである。同じジャーゴンを使えば、ひとたび彼らは仲間になる。太宰がそれを信じきれなかったように、村上春樹がそれを「お文学」と言うように、シェイクスピアの役者として名を馳せたジョン・ギールグッドも、そのような贈答的称賛には鼻が利くのである。いや、ジョン・ギールグッドが全てのファンレターを筆まめに返していた人物である可能性もあるだろう。調べると日本でシェイクスピア劇が行われる際に演技の方針について書いた手紙を出したりもしているようだが、かと言って、全てのファンレターに返事をしたかと言えば、そんなことはないのではないか、というのが自分の個人的意見だ。
 なぜなら、彼の必要最低限の文面から、アメリカ中を犬とともにどさ回りするような「活動に込められた誠実な称賛」こそが信用に値するという思いがうかがえるからだ。ギールグッドは「誠実な称賛」に気づいたからこそ返事をしたのだろう。そして、「誠実な称賛」というのは昔も今も、絶えず絶滅危惧種なのである。ここはずいぶん勝手を述べたが、自分はそう思う。

 尊敬する人物からの言葉を後生大事にアルミ箔にくるんで、それを生き甲斐にアメリカを彷徨っている貧乏役者。
 彼もまた、言葉を、法や慣習を信じてはいない。その証拠に、彼はどんなに自分の得になるとしても、手紙を誰にも見せないと言っている(確かに見せていればもっと仕事はあるだろうから信じてやってほしい)。
 彼が適用する唯一の例外は、自分と同じような人間、つまりその場限りのどこにも所属しない放浪者、つまり「全世界を異郷と思う者」だけだ。だから、スタインベックには手紙を見せることができる。
 自分はこういうことを書いて、手紙をうかつに開陳する自分の首を絞めている。自分が誠実でないとは、また他人を引き合いに出して自分を貶めるのは辛いことであるが、それを隠したら、誠実に至る道すら塞がれてしまうだろう。引用は良心に基づき、その損益を問わず、合理を避けて使用されるべきである。

 この出来事に触れたスタインベックもまた、その「作り手」と「受け手」の理想的で美しい関係、芸術の広がりのあるべき姿を見出したに違いない。旅を終えた2年後、ノーベル文学賞の受賞演説において、こんな言葉を残している。

 文学は、人気のない教会で祈りを捧げながら、人をあげつらう青白くひ弱な聖職者によって広められてきたのではなく――また、薄っぺらな絶望を弄ぶみせかけの托鉢僧のごとき、世を捨てたエリートのための玩弄物でもないのです。
(テツマロ・ハヤシ編/浅野敏夫訳『スタインベックの創作論』)

 
 しがない放浪役者とジョン・ギールグッドの小さな便箋の記憶は、まぎれもなくノーベル賞授賞式の壇上にまで持ち込まれた。そんな風に信じてもよさそうな言葉である。

 

チャーリーとの旅

チャーリーとの旅

 

 

スタインベックの創作論

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