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ネギトロと井戸の話

創作

 おやしきには、ふかい井戸がありました。でも、今ではぜんぜん使われておりません。にゃぜにゃら、ある日をさかいに、このおやしきの人々はみんにゃ、水を使わにゃいでもよくにゃったからです。
 みにゃさん、お亡(にゃ)くにゃりににゃってしまったのです。おもい出すのもむごたらしいことですが、大きにゃ地面のガタガタで、それはそれはお月様のように大きく明るく丸い、りっぱにゃシャンデリアが落っこちたのです。まっちろいクロスのテーブルをかこんでいらしたみにゃさん、みにゃさんほんとうによい人でしたが、そのよいみにゃさんのところに重たい重たいシャンデリアが落っかぶさって、みんにゃぺしゃんこににゃって、後には円卓一面のネギトロ巻きだけが、血まみれて残ったものでした。
 しかし、にゃぜ、そんにゃにたくさんのネギトロ巻きが? 実は、ここの末の坊っちゃんが、ネギトロ巻きを、とても好きにゃのであります。その日は坊っちゃんの七つににゃった誕生会で、今宵ばかりは、坊っちゃんの大好きにゃネギトロ巻きを、しにせの料亭からあつらえて、パーティーをしようという手はずににゃっておりました。
 では、にゃぜ坊っちゃんはネギトロ巻きを、好きにゃのか? そこで、井戸にゃのであります。ネギトロがとれるのであります。石積みの深い井戸にゃのですが、ちょいともぐれば、その石の隙間から、後から後から、ネギトロがしみ出してきているのです。にゃんともふしぎにゃことです。坊っちゃんはこれをうんと小さにゃころから、夜にゃ夜にゃ、パジャマ姿で忍び出してきて、銀のスプーンでほじっては、それはそれはうまそうに、舌つづみを打っておりました。坊っちゃんの周りには野良猫がたくさんおりまして、おこぼれにあずかって、うまうまむさぼっておりました。
 にゃにをかくそう、この野良猫というのがわたしたちのことであります。いやはや、さぞかし、驚きにゃさったことでしょう。猫がしゃべるにゃんて、腰のひとつもぬかしたでしょうか。無理もありませぬ。まあ、気にせずお聞きください。われら野良猫、ネギもすこしにゃら平気です。
 ネギトロのことは、坊っちゃんとわたしたちのヒミツでした。坊っちゃんは、わたしたちをジャマッケにはしませんでした。これが坊っちゃんのえらいところです。学校では、家庭教師もついてもらっておるので、すこし、えらぶるところがあり、ずいぶんきらわれている分もあったようだが、少にゃくとも坊っちゃんは、わたしたちを、ジャマッケしたり、イジワルしたり、ワルグチを少しも言わにゃかった。ツゲグチするわけじゃありませんが、わからにゃいと思って、にゃんだかんだと言う人もあるのです。ほんとうです。こんにゃことはあんまり言いたくにゃいですが、おやしきにお招きされる、そうそうたるお客様の中でも、たとえば蒼井優とか、ワルグチを言う人もあるのです。ああいう恋愛体質の人は、つきあう人が変わりますと、猫をすきにもきらいにも、至ってどうでもよくもにゃるので、ワルグチも言うし、かと思えば、季節変わって毛だらけのブーツをはいてきて、首からぶらさげた一眼レフをバシャバシャいわせて、猫にゃで声を出したり、ため息ついたりするのでした。あんまり信用しにゃいのが肝要とぞんじます。
 おやしきは、山おろしの風が吹くので、どこもたいへん寒いものです。猫にはひじょうにこたえます。そこで坊っちゃんは、やねうらにつづく戸を開けて、そこにわたしたち猫たちをまねき入れてくださって、そこへネギトロもたんと置いてくださって、にゃんとお礼を言えばよいやら、将来はさぞかし、りっぱにゃ人ににゃるだろうと思ったやさきのでき事でして、ほんとうにもう、あんにゃことににゃるとは……ネギトロをたべちらかしたり、好きほうだいにおしっこしたり、やねうらは、何年もかけて、わたしたちもぬき足さし足歩くほど、フカフカ、グズグズと音を立てるあり様でした。ちょうどその下に、あのシャンデリアがあったというのは、にゃんにも知らなかったのです。
 わたしたちはみんな、あの日の夜、そこにあいた大きにゃ穴から、それを見下ろしました。それは、ずうっと下にありました。まん丸にせい列したネギトロのまわりでは、みにゃさんの血とガラスのグシャグシャが、月の明かりをキラキラ無闇にはじいて、何とも言えず、お日様のようでもあり、くだんの井戸のようでもありました。
 今も井戸には、ネギトロが日に日にあふれてまいります。わたしたちは坊っちゃんが恋しい。ネギトロはおいしい。風がつめたい冬のさむさ。どこにも、ものかげはあるものです。さようにゃら。にゃら。