んこみての

 その頃を夕刻と呼んでよいのでしょうか、お日様の光がずいぶん弱まったことを確かめて、私たちは色とりどりのスポオツウェアに着替えて、町へと出ていきます。靴紐をしっかり結んで玄関ポオチへ出ると、一花姉さんはもうストレッチを済ませて私をにこやかに待ち受けていました。私は一花姉さんから青いヘアゴムを受け取って髪をくくりました。
 盛んに屈伸をしている私を一花姉さんはまじまじと見ました。
「あなたのおひざは、このごろますます物騒になるわねえ」
 さっきから私のひざは屈伸のたびに、ポキポキ、ポキと滑稽な音を立てていました。わたしは恥ずかしく両手で二つのひざ頭をさすって「よして」と言いました。「どうしたらこのひざ、ポキポキ鳴らないようになるのかしら」
「そうじゃあなくて」と一花姉さんは笑いました。「どんどん鋭くなるみたいじゃない」
「ああ」近ごろ、私の身長は夏草のようにうんと伸びたのです。一花姉さんも二園姉さんも追い越してしまいました。二人がそれほど背が高いというわけではないのだけれど。
 いつも準備の遅いのは二園姉さん。眠たそうな顔で出てくると、一花姉さんの視線の先、わたしの足を目をやりました。そして小さく何度もうなずいています。
「なんていうかお肉の方が追いつかないのねえ、きっと」と一花姉さんは二園姉さんに、良い返事を求めるように言いました。
「そのうちきっと、体育座りであごを切って保健室に運ばれるわよ」と二園姉さんは真っ赤な薔薇色のウィンドブレエカを、肘まで無雑作にまくり上げながら言いました。一花姉さんはさも愉快そうに笑っています。
 わたしたちの年の頃は、上から二五、二二、十六といった具合なので、どうしても姉さんらはわたしをオモチャにしたがるのです。わたしはそれ、何にもいやではありません。薄い毛布をかけたような、涼しげに温かい、そんな心地がするのです。
 一花姉さんを先頭に、二園姉さんと私が横並びになる形で歩き出しました。いつからかウォオキングに出かけるときは、自然にこのフォオメエションを取るようになっていました。
 今日もまた、早速、目はしのいちばん利く一花姉さんが、声をあげました。
「二人とも、ほら」ちょっと振り返った一花姉さんの、なんともふつくしい切れ長の目元が、そちらを見ろと伝えてまた顔の向こうに隠れます。
 それをたどると、あ。あの電信柱。あの根もとに、うんこ。わたしたちは、フォオメエションや、スピイドや、心の内に、見え隠れするテンポのようなもの、それも崩さず、電信柱の方へと近づいていきます。そこで慌ててしまっては、他のものを見逃すことになりかねないのだから、いつも心を満足に、落ち着けていなければならないのです。
 それでも、はやる気持ちが抑えられるものでしょうか。姉さんたちが心なしか、くんくん早足になっているのがわかりました。私も遅れないよう、くんくんついていきました。
 わたしたちときたら、まるっきりうんこを取り囲むようにして立ちました。そして、とっくり見つめました。それはやはりうんこでした。ふうむ。犬のものでしょうか。
「一姉さん」私は一花姉さんに声をかけました。
「ええ」一花姉さんはぜんぜん、うんこから目を離さずに言いました。「そうね」
 わたしは怒られたような気持ちして、口をつぐんで、姉さんたちにならって、しばらく見ました。しばらく見ていますと、思わぬ発見というものはあるもの、はたと、ずいぶん電信柱のすれすれにしてあるものだと気づきました。これでは、その時しっぽはどこにあったのでしょう。そう考えると、こいつはもしかしたら、人のうんこではないかしら。むずかしい。コナンくんというのはえらいものだ。頭がくらくらしてきました。
 ちょうど、お参りがすんだ時みたいに、わたしたちは、誰とも言わずに、一人ずつ針でつっつかれたように歩き出します。無駄なおしゃべりはしません。黙々と、腕を振って歩きます。しばらくうんこも何も無く、歩道のへだたりの無い、住宅の居並ぶ道にさしかかったとき、後ろから車がやってきました。
「一姉さん、車」わたしは前ゆく一花姉さんに声をかけました。
 一花姉さんは何にも言わず、振り返って車を確かめましたが、その途中で、それはそれは美しい二度見をしました。わたしにはとてもスロウに感じたものです。一花姉さんのまなこは、ある一点に、まさに釘付けとなったのでした。わたしがそちらを振り向くと、目前、大きなトラックの銀色コンテナが、鼻のすれすれをかすめるように、ゴオと音を立てて、過ぎました。背筋の凍る思いがしました。
 それでも、一花姉さんのまなざしの先を、わたし、しっかり覚えていました。視界があけると、道の反対側に面している、民家の小ちゃな花壇、その波の形した、可愛らしいレンガの上に、うんこがありました。
「気をつけてよ」二園姉さんがぞっとしないという風に言いました。「今、そうとう危なかったのわかってる?」
 わたしは非常にうれしかったのですが、一花姉さんとわたしは、うふふ、あははと笑って、道路を足早に渡りました。もうほとんど、駆けるようでした。
 わたしたちはうんこを取り囲みました。一花姉さんは顔の前におりてくる一筋の髪を手でかきわけて、耳の後ろへ、色っぽい手つきで、何度も何度も送りながら、うんこを見下ろし、二園姉さんは、このためにショオトカットにしたのかしら、一つの動きもなく、意気のこもった視線を、投げかけていました。うんこに。二人の間ほどの長さに、髪を切りそろえて、ポニイテエルにくくっているわたしも、うんこを見てます。場所が場所か、先ほどの電信柱のやつよりも、断然、好ましく感じたりもしました。それをどう伝えようかしらんと、わたしはいつも思って、やっぱり黙っているのです。
「二姉さん」意を決して、わたしは言いました。
 二園姉さんは何も言わず、黙っていてと言うように、ちょっと首を振りました。二園姉さんは、何人もの男性を虜にしては、諦めを覚えさせてきた、その大きな瞳に、うんこを映して、そのままです。わたしは大反省しまして、姉さんたちにわからぬよう、太ももをつねりました。
 わたしたちは、ふたたび歩き出しました。一向わからないのですが、二園姉さんが、スポオツウォッチのボタンを何度か押して、不機嫌な美人の顔をつくって、確認しています。
 広いけれども、遊具まばらな公園までやって来ました。ここは近所の野良猫らのたまり場となっているので、毎日毎日、うんこだらけもいいところなのでした。この時ばかりは、誰も、うんこうんこと、目くじらをたてることもなく、そこかしこにあるものですから、反対に、無くてもともとなんて、実に満たされた気分で、フォオメエションも崩してしまって、公転する惑星に、二つの衛星が、くるくる近づいたり遠ざかったりするみたいに、うろうろやる次第です。あちらのうんこ、そちらのうんこと目を配りながら、水族館にいるように、ゆっくりと歩いていきます。姉さんたちの顔にも、落ち着いた微笑みが浮かんでくるのですが、わたしにはどうにもさっぱり理由がわかりません。
 すると、少し先にいた二園姉さんが、少し体を前にかしいだように立ち止まって、じっと一点見つめ始めました。そうすることで、残りのわたしらに伝えているのです。ここよ、ここよ、ご覧なさいと伝えているのです。素直でないのは、二園姉さんらしい。そういう風に思います。
 あれま。そこにはやっぱり、ひときわ大きく、立派で、興味を引かれるものがありました。私もならって、見つめました。そのうち、少し離れた道を先行く、一花姉さんも戻ってきて、見つめました。しばらく、三人でじっと、穴の開くほど、そのでかいうんこを見続けました。それにしても、でかいうんこと、思いました。うんこだ、うんこだと、頷きたい気分でした。それもそのはず、それは、うんこでまちがいないのです。私たちが見つめることで、どんどん、うんこらしくなるような気もします。ところが、ふと、ほどけてしまって、うんこなのか何なのか、さっぱりわからなくなる時もあるようです。
 だから、わたしはまた、いけない声をかけそうになりました。でも、ああと思って気をつけて、黙ってうんこを見つめました。こうしていれば、暇のあるとき、姉さんらと一緒に、うんこを見つめておれば、姉さんたちがうんこを見つめながら、いったい何を考えていることやら、いつかきっと、私にもわかる日が来るのかもしれない。姉さんらのうんこを見つめる目といったら、真剣を絵に描いたようで、私のようにふらふらしない、凛々しいものです。わたしはとてもうらやましく思います。