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少女A 読書ノート

 彼女が全てのテスト日程を終えた日の深夜、夜更かしな家族の寝入りばなのことだったが、彼女は手入れの行き届いた自分の部屋で、長い間とりかかっていた読書ノートを書き終えた。彼女は虚ろな目でいったんそれを閉じ、また開いた。消しゴムを使わない手癖のせいでところどころに塗りつぶしがあるその文章――字は綺麗と言えた――を前に、いちどメガネを外して目頭をおさえた。

   題名 『水族館の歴史』
   著者 ベアント・ブルンナー


 昔から水族館が好きでした。サンシャイン水族館も品川も海遊館も、鴨川も八景島も名古屋港も、ちゅら海も沼津港の深海水族館も、かごしま水族館も宮島の水族館も登別のマリンパークも家族みんなで行きました。
 暗く青い海に沈んだような館内では、人間の方の肩身が狭く感じられます。なるべくゆっくり歩き回って見上げた魚たちの美しさは、そのくせ地上に出たらすぐに忘れてしまって、また見たくなって足を運ぶのです。私は愛くるしい姿を見せるほ乳類たちより、魚の方が好きな気がします。
   
「今でこそ水族館の存在はあたりまえになっているが、百五十年前、まったく異質な世界を窓からのぞく経験がどんなに驚異的だったことかを忘れてはならない。」
     
 大航海時代以前、海は不吉な出来事や死を連想させ、タブー視されていた場所だったといいます。ましてやその底は、何も棲むことができない暗黒の世界です。
 事の始まりは一八四六年、、研究者の家の水槽でした。イギリスの海洋生物学者アンナ・シンは、海から持ち帰ったサンゴをガラスの鉢に入れて観察できるようにしました。毎日、容器ごと四十五分間しっかり振って酸素を補給したりしています(メイドさんたちが一生懸命振っているのを考えるとなんだか微笑ましくなります)。そんな環境でたくましくも自然増殖したサンゴはメイドさんたちをびっくりさせて、結局、3年も生きたそうです。とはいえ、その頃はガラスも税がかかって高かったみたいだし、そうそう簡単にはいかなかったようです。
 しかし、魚を室内で飼うという魅力に人はあらがえず、その後どんどん広まって、学者や愛好家によって進歩発展していきました。その中でも、特にがんばっていたのが、フィリップ・ヘンリー・ゴスというイギリス人で、「アクアリウム」という言葉の生みの親でもあるとのことでした。彼の本は、きれいに彩色された絵やちょっと気取った文が載っています。小さな赤いエビがかわいくて、私は私の本棚に置いておきたくなりました。
 設備は長足の進歩をとげていきます。酸素を自動で補給できたり、丈夫なガラスができたり、技術によって大規模化が可能になったアクアリウムは、お金をとって公開されて娯楽施設となり、次第に「水族館」へと姿を変えていきます。
 人々は並べられた水槽をのぞきこんで、イソギンチャクやサンゴを見て目を丸くしたり、さんざんうろつき回った挙げ句、いったい見るものはどこにあるのかと入場係に詰め寄ったりしたといいます。展示した魚はいともかんたんに死んでしまって、次々と目録から削除されました。

     ここから先は筆跡がいささか細いものに変わっている。彼女が逆さまつ毛を処理した日、帰宅して冷凍のパスタと袋詰めのサラダで簡素な夕食――その日は両親も弟もいなかった――を済ませた後で書いたものらしい。

 この時代の人が、今の水族館を見たらどんなに驚くことでしょう。
 広く暗い館内では、水槽が光をかたどったように浮かび上がっています。そこに、一張羅の紳士が、細くしまったコルセットに広がったスカートの貴婦人を連れて、どれどれと胸を張り、影となってやってくるのです。彼らの目の前には夢のような光景が広がります。魚が空を飛んだように見える海中トンネルや、ぐにゃぐにゃゆがむ大きな水銀玉のような魚の群れ、色とりどりの光を透かしてたゆたうクラゲ。見わたすこともできないほど長く続く、天井を突き抜けた水槽の前に突き当たると、とてつもない大きな魚ともサメともクジラともつかないもの(それはジンベエザメというのです)が、自分の方に悠然とせまってきて、素知らぬ顔でゆったりと方向をかえて、斑点模様や震えるエラのか弱い裂け目を見せつけるように通りすぎていく。
 その時、紳士と貴婦人はどんな顔をしているでしょう。何もかも、見たこともなければ夢にえがいたこともない新しい世界が目の前に広がっているのですから、目を見張り、息をするのも忘れて、人生を押さえつけられるような衝撃を受けるに決まっています。
 私は、居もしない彼らのありもしない驚きと、自分に起こるくだらのない驚きを、どうしても比べてしまいます。
 私は、今の世の中を、今の進み具合の中で、今まさにそうするみたいに驚いて、変な言葉ですが、ほどほどに驚いているという気ばかりするのです。想像しなかったけど、想像してもおかしくなかったものが、私の前に現われて、私を喜ばせたり、悲しませたりして、身の丈に合っていると思います。そして実につまらないと思うのです。
 そういえば、あんなに好きだったマンガも、それで読まなくなったように思います。つくられたものが変なのは当たり前で、私はこの現実を生きています。驚きを、歓びを、感動を、はたまた嫌気を、サプリメントでも飲むように摂取して自分を保つようなようなことの全部がむなしくなりました。大切な時間を台なしにして、打ちひしがれた自分の姿が浮かぶのです。
 この前、私、また一人、誰かに告白されました。その人が私を好きなことは、うすうす勘付いていたんです。その人の考えていることがわかってイヤになって、心配していた通りになるのです。まして私はそれを未然に防ごうともしないのです。ああ、あの人を自分のものにしたくてたまらないという、そういう気持ちはよくわかります。でも、それなら黙っておくのが美しいのに。
 好きなことを、好きな人にも、秘密にしておきたいと思いませんか。私は思います。今もそうしている気がします。先生にもわかりますか。
 秘密にした分だけ、大事な気持ちになったり、価値があるように感じたりするのは、取るに足らない錯覚でしょうか。気持ちはすぐにはっきり示した方がいいとか言うけれど、でも、隠した分だけ驚きがあったら、それは価値があるということではないのですか。
 その人は、私に振られたんだけれど、自分の勝ちで終わろうとして、私はその人に腹が立ってきて、悪い女になって、誰でも言えるような言葉を並べたら、みっともなく生唾をのみこんでいました。
 たぶん、誰かに言うはずです。言わないはずがないんです。そういう人だから。自分のことにしか興味がないから。話す言葉がそのまま自分と思っているから。
 好きという言葉は曖昧ですね。でも、それでしか表現できないものがあることもわかります。この世に生きてきた人たちが、思い人に向けて「好き」と発したその震えが、世界のどこかに、吹かれた落ち葉がひとところに集まるようにして、折り重なっているように思えます。そこをさぐったら、私の「好き」と同じもの、それかとても気に入るものがきっと見つかる気がするもので、やっぱり「好き」と言うほかない気がします。
 もしもどこかから、聞くも愚かなおどろおどろしい噂を耳にするようなことがあったら、くれぐれも気になさらないでください。私は状況を悪くさせる才能に恵まれているみたいです。なにしろ私の好きな孤独というは、恐ろしい言葉があるものだと思いましたけど、「修学旅行のバスの窓際でカーテンにくるまって、流れる景色を見ながら味わえる」ものなんですって。

 これより後、筆跡にそれほど変化があるわけではない。ないが、その趣に変化が見られる。少なくとも、彼女の字を習慣的に目に入れ続けてきたものであれば、見抜けるぐらいの変化ではあった。
 それというのも、彼女には、本を読み終える前から感想を並行して書き始めるという癖があった。巷にあるような断片主義とでも呼ぶような本に関わる一家言のゆえではなく、単にそのせっかちな性格のゆえである。さかのぼれば、幼少期の彼女はカチカチ山で二度泣いた。一度はおじいさんのために。二度目はたぬきのために。

 相変わらず、とりとめなくってごめんなさい。そういえば、この本を読んでいたら、仲の良かった友達に水族館への誘いを断わられたことを少し悲しく思い出しました。あの頃の私は、どうかしていて、どうかしたままもう戻れないのです。操り人形だとしたら、中途半端に糸が切れて突っ立っているのが精一杯の様子です。でも、恐ろしいことに、人形の方はともかく、操り手の方が飽きてしまっているのです。
 次から次へと、居心地がいいとはいえない世界のようですけれど、そんな世界を生き抜くために、ぴったりの言葉をこの本で見つけました。
   
『優雅に、しかも堂々と休み、軽々と泳ぎ、生き生きと遊び、狡猾に潜み、懸命に格闘する』
   
 ハンブルクの水族館の冊子に書かれていたそうです。こんなふうに生きられたらステキですよね? 魚と同じように。たとえそれがガラスの箱の中だって。いえ、ガラスの箱の中だからこそ。
 これからどんどん暑くなります。先生、そろそろ帽子をかぶるようになる頃ですね。くれぐれもお体に気をつけて。