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一人暮らし

 私は居合いの達人です。すごいんだから。だって人間国宝。そのとき面接みたいのもあったよ。くそ、今日もまたYouTubeの削除依頼を出さないと。だってってあなた、凄くしつこく私の動画(農協牛乳のパックの上口を開いて逆さにしてテーブルの上に置き、その上に乗せたガンプラを真っ二つにするやつ。2ちゃんねるのまとめサイトとかで凄く話題になったし、世界中の外国人も見ているみたいで、外国語のコメントとかも沢山ついていたし、ザイールの人とかもいて驚いた!)をアップデートする調子者が世界中にいるから、何度も何度も依頼を出さないと追いつかない。きりがない。
 嗚ー呼、静かに暮らしたいのに。ここ舎人ライナーの一番奥の奥駅におまかせ単身パックで越して来たのも、街の喧騒からできるだけ、時々池袋とか新宿とかに行けるぐらいギリギリ距離取って心を滅して刀と向き合っていたいという一心からであった。朝方にカラスが鳴かないか(私は鳥が嫌いだ)とか、住民のゴミ出しは適度にきちんと行われているか(私一人ぐらいがサボッても糾弾されず、さらに秩序が保たれそうか)とか、契約前に夜中に幾度も偵察に来てみたこともあって、実によいところ見沼代親水公園駅。ライフがごく近くにあるし、あえて言えば、ドラッグストアも徒歩圏に三軒あって競合しているから、カップスープとかが目を覆ってしまうようなオドロキの値段でカゴの中にぞんざいに山積みされてたりして、まさに片手で目を覆い、声も出せずに笑みを浮かべたまま片膝をついてしまった次第です。店頭で。
 ところで私は部屋の中でも常に帯刀している。免許があるから真剣を持っても誰にも怒られない。認められたからなんだというわけではないが、そういう面ではありがたいなって思う。武道家たるもの一事が万事その道の上にいるのであって、十七、八の私に手習いをしてくれた唯一の師である近所の道場のおじいちゃん先生もその晩年は絶えず刀を放さなかったという。アルツと揶揄する人もあり、はっきりと診断も出ていたそうだが、私は初めて己を捧げうるものと人物に出会った若者特有にむんむんの純粋さをもって師を信じた。真偽はどうあれその実直な気持ちが私をここまで押し上げたとガチ確信している。師は徘徊していた夜更けに響く足音を頼りにOLを斬りつけたことで、現代の座頭市と後ろ指をさされ街を追われてしまった。私は涙に濡れ暮れて、その一件から漂ってきた不埒な噂から、ブラジャーにワイヤーが通っていることを知った。そしてその数十年後、ワイヤーの通っていないブラジャーもあること、それが女性の間で概ねかなりの好評で更に付け心地などを追及させたシリーズがどんどん生まれている事実を知るところとなった。
 当時のおじいちゃん先生の齢に追いついた私は今をもって無論、独り身である。左翼学生達がうろついていた大学で50年代を過ごしていた私は、既に己の道をこれと定めて心頭滅却、明鏡止水の心持ちで過ごしてまったく世間を省みなかったが、コミュニスト達から漏れてくる噂がどうしても気にかかってなんとなく、女も知らずに病院でパイプカットをした。ウソでしょ、どうしてだろうって時々思うけど、一も二もなく、刀と共に死ぬるためである。世の中、何かコレというがんばりに狙いを定める一方、世間と手と手をつなぎながら、期末テストの結果、マラソンのタイム、参加した大喜利大会の結果、誰のボケがツボであったか、果ては大会のシステムにまで言及したり、自作音源、自作小説、オリ(ジナル)絵、オリ写真、トイストーリーの実写化などを開陳した上、反響のさほど無いことに我慢できず、またちょっとした反響をいいことに、自らその長所短所、いちばん苦労したところ、今後の課題、ますますの精進の覚悟などを申し開き、いやあ、やったなあ、すっげえ時間かかったなあ、これぐらい言わしてくださいよ、はっきり言って苦労したなあ、いやでも大したことないです、リツイートありがとうございます。みたいなことをのべつまくなし酸っぱくなった口にも気づかずペラペラ恥ずかしくないのか、君も男だろ! 型の男たちがいるが、そーいや、男であるとは実際どないな事であろうか。いったい、男であるとは、君よ。若鳥よ。他人の目や女の目で揺らぐほど頼りないものであろうか。
 そんなことを深くコンセントレーション高めで内部にインサイドに沈み込んで考えてしまい、敬愛する小野ほり氏のツイートを夜通し読み耽って男女関係について見識を深めてそのまま寝てしまった昼、インターホンが鳴る音で目を覚ました。ウソ、なんか頼んでたっけ? 鍵付きのチェスト? と小走りで駆け寄ると、佐川急便でなく、画面に映ったのは灰色服の痩せた中年の女であった。
「はい、人間国宝ですけど。御用は」
ダスキンの倉と申しますー。お掃除に来ました」
 そういえば頼んでいた。昨日イライラしてて忘れてた。グルーピーのことに苛立ってダスキンさんのことをすっかり忘れていた。家は片付いていないわけではないが、一度も掃除らしい掃除をしていなかったためひどく汚れており、ときどき思い付いて腕立て伏せ等の運動をした場合、ベッドの下に脱脂綿みたいな埃が群れていて、なんか、すごく、イヤだな……と思っただからこそダスキンにネットを介してよろしく伝えておいたのだが、グルーピーのことで失念していたのだ。
「おう」と言いながら部屋に入れると、女の方も余裕綽々で、室内を見回し「なるほどね」と言った。そしてすぐさま、腰に下げたカバンから何か取り出した。茶色い毛羽だった布様のものがチラリと見えたかと思うと、女は自信に満ち溢れた流れるような動作でしゃがみ込み、茶色い布様のものを持った右手を弓のようにしならせ、床を滑らせるようにそれを放った。茶色い布様はきるきる小さな音を立てて回りながらベッドの下に吸い込まれていった。
 便利な掃除道具があるものだ、とほとほと感心していると、女は腰に差していたらしい、金銭に余裕のあるコジキが空き缶空き瓶拾いに用いてやまない長いトングを取り出し、ベッドの下に上半身を突っ込んだ。突き上がった尻がこちらを向いている。(グルーピーどもが……!)
 女はすぐに出てきた。トングの先にトンカツがあった。埃をまとって2倍ぐらい大きくなったトンカツがあったよ。切っていない丸のトンカツを見るのは、ずいぶん久しぶり。言ってる場合か。私は顔をしかめた。
「うわっ、ちょっと、それ、トンカツか?」
「トンカツが一番ほこりとれんのよ。ほら、ごっっっっそりとれてるでしょ。うっぷ」
「うそだろう……やめてくれ」
 見ると、床にはトンカツの通った道が油がぬらぬら光っている。女の目が同じように輝くのを見て私はぞっとした。思わず柄に手を掛ける。
「トイレの汚れはカキフライが一番とれんのよ」
 何にも言わない私に気をつかったのか、女はそんなこと言う。
 そして「見たい!? 目立ちたい度胸、底抜け」とわけのわからないことを言いながら鞄から慣れた手つきで両手に2個ずつカキフライを取り出し、トイレに向かって人の家を全力で走っていった。これは狂っている。
 時代劇の動きで早足でもって追いかけると、女はもう便器にがぶりついて一心不乱に掃除を始めており、カキフライでごしごし内部をこすっている。うわ、力を込めるせいでつぶれかけたカキフライから黄色っぽい汁がにじんでいるのもおかまいなしで磨いている感じじゃないか。「途中で出てくるこの汁が効くのな」と小声でつぶやきながらじゃないか。
「酢の力な」
 酢の力ではないだろう。私は吐きそうになり、腰の刀に手をかけると間もなくその右腕を切り落とした。陶器のアイボリーに鮮血が散り、右腕は血をにじみ溢れさせながら床にどたと落ちて、カキフライを固く握ったまましばらく掃除の動きでのたくっていた。壁床にこすれたカキフライの衣がさりさり不快な音を立てて、やがて止まった。
 女の動きは鈍くなり屈みこむような体勢になったが、余った左手に持っているエビフライ(歯磨き粉のようなものがついている、僕は見た)を便器の中に差し込み、男の一人暮らしでついつい掃除がおろそかになる縁の内側をその曲線で磨こうとし始めた。
 そこはちょっと、助かっちゃうかもしれないな…。
 しかし、手の動きがのろくなってきた上、衣がぐずぐずに裂けてエビの白い身が見え始め、単にそれを撫でつけているような有様になってしまったし、それより何より血のにおいがひどい。なんだかもう、いいか。私は懲役覚悟で御免と叫び、おじいちゃん先生を追いかける。でも、一度でいいから自宅で猿を飼ってみたかったな。