雑種サンタと黒人専門学校

 クリスマス・イヴの朝、俺は胸騒ぎで目を覚ました。元気のいい瞬きを2発すると飛び起きた。それも、喉から暴れ豚(馬の倍、緊迫感がある)のようにせり上がってきた声を出しながら。
「ポチコ!」
 ガラリと窓を開けると、やっぱり、やっぱりだよ。隣の戸叶さんの家の2階の窓からタライになみなみ溜められた糞尿が投げ棄てられる場面だった。いつもそうだ。
 タライを離れて一度舞い上がった糞尿、その落下地点を見ると、
「ポチコ!」
 三角の屋根の上に反り返って、スヌーピーのように腹を出して寝ているじゃないか。
「雑種のくせして、ポチコ! そのままじゃあ、浴びちゃうよ! イブの、朝に!」

 シャンシャンシャンシャン……
 
 この音は? 今も言ったようにイヴの朝に気の早いこの音は……? シャンシャンシャンタさん……?
 見ると、空の彼方に動物と赤いものが見えた。空気が澄んでいるので、遠目からでもトナカイとサンタだとわかった。
 しんぼるの冒頭ぐらい長く退屈なので、思うさま首の骨を鳴らしたりしていると、息を吸おうとしても、空気が一向に流れてこないことに気づいた。それでいて苦しくはない。大気が停止しているのが肌感覚でわかった。
 しかし、シャン音は聞こえ続けている。つまり、この音は、この世界のルールとは別のルールで鳴っているんだ。
 時間が止まっているんだ。
 見ると、戸叶さんの糞尿も空中で束になって停止しており、かなりイヤだった。あと、なんとなく視力が良くなっているような気がした。

 シャンシャンシャンシャン……
 
 窓の前に、トナカイの牽いている橇がつけられた。木製の橇だ。ちがう、橇じゃない。丸木舟だ。そして、トナカイと思っていたのはトムソンガゼルで、ましてやもう一頭はシマウマだった。
「シゲ」
 サンタは手足の長い、頬骨がすごいタイプの黒人だった。トムソンガゼルのしっぽを指先で撫でながら、僕の名を呼んだ。
 狼狽している僕に、黒人サンタは続けた。
「質問ハアト。早クぷれぜんとヲ言ッテ。時間ナイヨ!」
「プレゼント?」
「ソ! 早ク、ホラ!」
「じゃあ、えーと、あの、調理師専門学校の制服代が欲しい」
「嘘デショ!?」
「調理師の服じゃなくて、通うときの制服」
「嘘デショ、チョット! テイウカ、ソンナノアルノ!? 私服ジャナイノ?」
「あるみたい。高校みたいにクラスも教室もあるんだって。それで、俺みたいに高校卒業した人だけじゃなくて、おじさんとかおばさんとかと一緒のクラスって。説明会で聞いたから」
「ヘェ、ドコノ専門?」
「え、それは……いいじゃないですか。どこだって」
「ナンデヨ。言ッテヨ」
「いや、なんか…ヤなんすよすみません」
「言ッタッテワカンナイヨ。ソモソモ知ラナイシ。知ッテルヨウニ見エル?」
「そんなこと言われても、ヤなもんはヤで……」
「調ベナイカラ! 絶対、調ベナイカラ!」
「いや、そういう問題じゃなくって」
「ジャア、ドユウ問題!?」
「だから、これと言って理由ないけど、なんとなく……初めて会ったし……」
「……専門学校ニ行クコトニ、引ケ目を感ジテルンジャナイノ!?」
「え?」
「ダカラ自信持ッテ、言エナインジャナイノ!? テイウカ、犬イイノ? ぷれぜんと、犬ノコト言ウト思ッテ予定変更シテ駆ケツケタノニ、ゴチャゴチャゴチャゴチャ、専門学校ノ制服トカ、くらすアルとか、ドウデモイイヨ!」
「……」
「アノネ、今カラ、ワタシ、南スーダン行クノ。初メテダカラ、前日ニ早メニ行ットコウトシテタラ、三角屋根デオ腹ダシテ寝テル犬、うんちブッカケラレル寸前、見エタヨ……普通ニウズクマッテルナラトモカク、アノ体勢デうんち迫ッテタラ、ホットケナイヨ……マズ、うんちノ重ミデ、背骨イタメルノ避ケラレナイノ悟ッテ…最悪ノ場合考エタヨ……ダカラ、来タヨ……デモ、ソレ、ソレッテうんちから犬助ケルコトネ…ソレ、職務管轄外ヨ……ダカラ、シゲ、君ニ話シカケタヨ。ぷれぜんとニスレバ、助ケラレルカラ……1日早イケド、ソンナノドウデモイイカラ……」
「……」
「ドウスルノ?」
「……」
「ネエ」
「……」
「フテクサレテルノ!? 専門学校ノコト言ッタカラ!?」
「は? は…?」
「犬ノコトヨリ、不思議ナコトヨリ、自分ノコト優先ナノ!? コンナ時ニ、自分ノ面子バッカリ!? 今考エルベキコトハ、マズ、犬! 百歩譲ッテ、コノ状況ニツイテ疑問並ベテ食イ下ガルコトデショ! ナノニ、ナゼ、ドシテソンナ事、気ニシテルノ! 勉強シナカッタノ、自分デショ! 友達ガミンナ大学行ッタッテナンダッテ、自分ノセイデショ!」
「別にみんなじゃないし」
「ナニ!?」
「いや、いい、いい」
「ナニガ!? ソヤッテ、何ニモ関係ナイコトデ、自分ガ引イタッテ既成事実ツクッテ、自分ノ勝チヲ自分ノ中ニダケ捏造シテ、一人ニナッタ時ニ、ソレ眺メナガラ納得シテ、自分ノ身守ルノ!? ソレ、勝チジャナイ、言ウナラネ、不戦敗ダヨ!! 悪イ癖ダヨ!!」
「意味わからない、あんたのこと知らないし」
「聞ケヨ! 考エテヨ、人ノ話、人ガ真剣ニ話シテタラ、聞カナイトイケナインダヨ! 理由ナンテ無イヨ! 聞イテヨ!!」
「聞いてるし、受け答えしてるし」
「シテナイヨ、シゲ、私、聞キタイ言葉、聞ケテナイヨ!! サッキカラ逃ゲテバッカリダヨ!!」
「……」
「シゲ、言ッテヨ。今マデノ話、全部忘レテイイカラ、気ニシナイカラ」
「……」
「言ッテヨ、私、"サンタさん"ダヨ。来タヨ」
「…が……気がする……」
「エ!?」
「なんか妙に視力が良くなってる気がするわ……」
「ハア!?」
「すげえ……見えるわ…なんだこれ……」
「ドコマデ馬鹿ナノ!?」
「意味がわかんないんですけど」
「シゲ!!」
「黒人が、急に、ハ?」
 黒人の目つきが急に変わった。殺されると思った。
「ワカラズヤ!! うんち、ブッカカレ!!!」
 2秒後、大気が再び流れ出し、うちの犬にキャインとウンチがぶっかかった。俺はしばらく、びっくりして走り回る糞尿まみれのポチコを見ていた。
 せまい庭をグルグル駆け回って、いつの間にか庭に落ちていたシマウマの糞で足を滑らせ、派手に転倒した。
 クリスマスと黒人が大嫌いだ。