たぬきの回る電子レンジ

 今日も、宮沢賢治の話に出てきた人が杉をたくさん植えてつくった林のいちばん高い松の木の下で、週に一度のたぬき会議が行われていました。
 外せない議題としては、飯、色恋沙汰、モンハンの進度などがありましたが、本日はお日柄も良く、めずらしくたぬき達の足首も泥一つなくきれいです。そのいきおいに乗って、月に一度、人間に化けた上で参加する催し物について、どこに行くかと話し合いがされていました。
「ぜひともケーキバイキングに行くべきだ。梨狩りなんて、そのあたりに自然に生えてあるものを、お金払ってバカみたいじゃないか」
「人間がこしらえた梨は手入れが行き届いてみずみずしいし、昨日ネプチューンのホリケンがガキの七変化で『朝なに食べた、梨かーっ!』って言っていておもしろかったものだから梨がいいと思ってぼくはそう言った」
「ぼくはその時間、小麦粉の袋に頭をつっこんでずっとなめていたから見ていないよ、知ーらない。ミュージックラバーズがやってたよ」
「ちょっと、小麦粉って黄色い袋のやつですか? いちばん有名な?」
「そうだよ、紙みたいな袋のやつだよ。じゃあ聞くけど、ホリケンはいくら稼いだの? ボブサップより稼いでいた?」
「おぼえてないよ。指をさすのはやめて。小麦粉いいな。ぼくも食べたい。でも、ネプチューンのホリケンおもしろかったよ。みんな笑ってたよ。中村も笑ってた」
「きみ、なんでネプチューンのって言うの? 誰かとまちがえるの?」
 ざっとざわざわこんな調子です。
 先月は、みんなで小出監督のの講演会に行ったのですが、かつてないほど出席がわるく、今回はなんとか名誉挽回したいところでした。だからみんなすこし興奮気味だったのですが、ひときわ様子のおかしいたぬきがおりました。
 それは、棄てられていた電子レンジの中に住んでいて、いつも回るお皿の上で寝ているタヌゾウです。臆病者で、寝ることを「チンする」と心のうちで言って満足しているタヌゾウが、本日はお日柄もよく、いつ手をあげて喋りだそうかとそわそわしていました。
 タヌゾウがかわいそうなので、私の方から言いますと、実のところタヌゾウは、フジロックフェスティバルに行きたかったのです。なぜかと言うと、いとこのキツネの加藤コンジロウさんが、このあいだフジロックに行って、フジロックから帰ってきて、次の日曜にフジロックTシャツを着ていて、フジロックTシャツのかっこよさ、フジロックTシャツの黒さ、そもそもフジロックに行ったかっこよさ、フジロックに行けるという金銭的余裕、ロックへの一定以上の興味、マニュアル免許取得感、そういったものが感じられて、かっこよかったのです。
 みなさん、どうでしょうか。それを聞いたたぬきたちはみな一様に口をへの字にして、フジロックゥ?という顔をしていました。
「まず第一、たぬきにTシャツは似合わないよ」
「たぬきにはラガーシャツしか似合わないんだよ、本当だよ」
フジロックのラガーシャツは売ってるの? 二ヶ月前に行ったキングオブコメディ単独ライブでは、ラグランTシャツが売ってたね」
「ぼくは買った。家でおじいちゃんが着てる」
 らちのあかない会話にしびれを切らして、長老が出てきました。
「待て待て、そんなにやいのやいの言ってないで、タヌゾウの意見もちゃんと聞いてみよう」
 なるほど、みんな、息と目をこらしてタヌゾウの言葉を待ちましたが、肝心のタヌゾウはかなしくてかなしくてひとりでに泣けて仕方ないのを、無理やり大きく目を開き、なみだをいっぱいためているのをごまかしながら、杉の木を見上げて立っているのでした。
「では、わしから質問しよう。ジェスチャアで答えるのだ」
 タヌゾウは、なみだがこぼれるのが心配で心配で、目の横わきをさも痒いようなふりをして手でこすりながら、小さくうなずきました。
 長老はしばらく考えて言いました。
「見たいバンドがあるの?」
 タヌゾウは首をふりました。いないけど、行きたい。と思いました。
「見たいバンドないの?」
 タヌゾウはうなずきました。長老は、いまの質問は失敗した、と思いました。
「Tシャツがほしいの?」
 タヌゾウはうなずきました。長老は、これで軌道修正された、と思いました。
コヤブソニックではいけないの?」
 タヌゾウはわかりませんでした。もしかしたらそれでいいかもしれないと思いながらも、黙っていました。
コヤブソニックでいいの?」
 タヌゾウは、コヤブソニックコヤブソニックと心の中でくり返してみました。すると、不思議と、なんかちがう感じがしてきました。
 タヌゾウは首をふりました。コヤブソニックじゃありません。と思いました。
「苗場って遠い?」
 タヌゾウはわかりませんでした。わからないけど、行きたい。と思いました。
新潟県です」
 誰にも分け隔て無いたぬきが横から言いました。タヌゾウはなんだか自分に味方してくれるような言い方だと感じました。
「ふむ……ここは、何県だ?」
「長野県です。長老、知らないんですか?」
「何時間ぐらい?」
「新幹線つかって3時間ぐらいです」
「ならぬ!」
 鶴の一声に、たぬき達はざわつきました。
「行くなら行くで、思いっきり遠出をしたい。バカタレが。ノータリンが。今日の話し合いを踏まえつつ、フジロックとの間を取りつつ、ここはグッと近場で手軽に安く、Twitterで知り合ったバンドの人のライブに行くことにしよう。誰か、事前にDを送っておくように」
 長老は、大人の事情を語って解散。タヌゾウは、さも平気な顔して、みんなと同じように帰って行きました。みんな、タヌゾウの方を見ないよう見ないよう気をつけながら、絶妙な角度で帰って行きました。
 みなさんは長老を悪いたぬきだと思ったでしょうか。でも、長老の方にもよんどころない事情がありました。先々月のキングオブコメディ単独ライブ、先月の小出監督、今月のtwitterで知り合ったバンドマン、どちらも長老の一存で決めたことですが、本当を言うと、もうお金がないのです。
 今までのことは全部、長老がお金を出していたのです。でも、そのお金が巣穴のどこをさがしてもありません。
 忘れもしない2004年12月、志村けんの自宅から盗み出した貴金属類(1500万円相当)と現金40万円、そのお金がとうとう三ヶ月前、尽きてしまったのです(もちろん盗みは悪いことです)。
 志村けん、彼の金の力で羽振りよくたぬきの長にのしあがったのはいいものの、振り返ってみれば何の教養も本当を話す家族も友人もなく、むなしさも募る一方なのですが、老いにまかせてそれをほったらかせるのがまたくやしくもあり、日々、己がこしらえた己を保つのが精一杯のところ。さすがに3ヶ月もつづけて安くあげてしまったので、みんなどんな風に思うでしょう。だって、前々回の時も「先月は6泊8日で地中海を回ったというのに、どうして今月はキングオブコメディの単独なんだ」と不満は方々から出ていたし、前回は「どうして小出監督の講演会なんだ」と誰もが怒った口調で、いつも、みんなで行けばどこでも楽しいとニコニコ参加していたいいケツをした雌のたぬきも枯葉に名前を書いてよこして欠席でした。
 ああ、来月からどうしよう。そう考えると、タヌゾウのことなど、かまってはいられないのでした。おわかりいただけたでしょうか。

 タヌゾウは、電子レンジへの帰り道、ぼくはやはりもうダメだとこうべを垂れて、重たいしっぽをひきずってとぼとぼ歩いていました。
「最近、メイプルストーリーも頭打ちだし……」
「まだメイプルストーリーやってるの!?」
 茂みから驚いて、でもゆっくり飛び出してきたのは、カタツムリでした。でっかいカタツムリでした。
「う、でかい」
 タヌゾウは口元をおさえておどろきました。家庭用複合機ぐらいありました。
「なんだか落ち込んでるみたいだけど、どうしたんだい? メイプルストーリーがうまくいかない……ってだけじゃなさそうだけれど」
 かまわず話しかけてくるかたつむりに気圧されながらも、タヌゾウはがんばって答えました。
「それはそれであるんですが、実は、別の事情もあるのです」
 タヌゾウは、かたつむりの巻きの隙間につまったゴミを見つめながら、事情を説明しました。でかい分、すごくよく見えるんだ。でかいからだ……気持ち悪い……。
「へえ、なるほどなあ。結局、声のでかい奴の意見が通るってことだよな。でも、そんなのつまらないよ。かと言って、君も声を張り上げたら、そんなのミイラ取りがミイラってもんだ。じゃあどうするかって? もう、一人でやるしかないよ。もっと、自分を大事にしなよ! 乗りな!」
「え……!?」
「乗んな!」
 なんで、今、言い方を変えたんだろう。気持ち悪い。全員気持ち悪い。ぼくも気持ち悪い。
 でも、タヌゾウはまたがっていました。乳白色が茶色く濁ったような殻は、たぬきの手で触ってもざらざらとしていました。その感触に、タヌゾウは激しい吐き気を催しました。気づけば、ほんの少しずつ、もう動き出しています。調子悪い時の真っ黄色の痰が垂れるように斜めに傾き始めた殻の、むした苔目にほこりがつまった巻きを見ていると、その最後の、小さな小さな穴とも呼べない真ん中の点に、お風呂場にまきちらしたゼリーのように時間をかけて引き裂かれながらどろどろと吸い込まれてしまいそうな気がしました。
 タヌゾウは激しく嘔吐しました。タヌゾウの吐くのは砂です。吐瀉物を顆粒にしたもので、少し濡れると味がします。口の中が砂でいっぱいになり、たちまち咳き込みながら、のど元をせり上がって永遠に止まらないどこか気持ちのいいそれが全部、かたつむりの湿り気でできたねずみ色の軟体部に降りかかりました。
 じゅうじゅうとすえた臭いが蒸気とともに上がる中、これは罰だとタヌゾウは思いました。ぼくはこの人と行こうとした。その罰なのだと思いました。