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6回裏、東北楽天イーグルスの攻撃は

 父さんは11年間、僕の父さんであり、15年間、母さんの夫であり、それ以外ではなかった。日曜日の夜をのぞいては。
 ホテルマンだった父さんの休みは火曜日だけ。と言っても火曜日には何にもしない。家にいて、ときどき散歩をする。僕が帰ると、父さんはいつも家にいて、ソファの端に座ってテレビを見ていた。
 日曜日は毎週、忙しくなる土曜に泊まり込みで仕事をしたあと、夕方には帰ってきていた。僕らと一緒にごはんを済ませると、父さんは出かけて行った。隔週で、クローゼットから大きなサイコロを持ち出していく。それは小堺一機がお昼の番組で使うサイコロだった。「情けない話」「あきれてものも言えない話」なんて書いてあるアレだ。父さんはカラフルなそいつを、僕が使っていたサッカーボールを入れる網に入れて肩に掛け、友達とトークをするために出かけていくのだった。家でもほとんど喋らなかったから、サイコロがあるといいんだろうと僕は考えていた。
 父さんはいつも僕が寝る前には帰ってきて、それから一週間、またいつも通り仕事をこなし、母さんの厳しい視線に耐えながら月1万円のお小遣いで細々と暮らしていた。なんとなく興味のありそうなゴルフも、ときどき録画して見るだけでやらなかった。まだアパートの2階に住んでいた頃、父さんはよく雑誌を拾ってきた。僕は当時、幼稚園かそこらだったが、テーブルの上にのっていた落ち着いた色合いの地味な絵が表紙の雑誌をよく覚えている。父さんは窓の方を向いて、それをじっと読んでいた。そんな風にして貯めたお金で買った新しいマンションに越してくると、まとめてゴミに出すのが面倒だからという母さんの希望で、それもさせてもらえなくなった。

 もちろん、母さんは父さんを愛していたから、父さんが死んでしばらくはずっと泣いていた。葬式の雰囲気や慌ただしさに気圧されて心の底から泣くことのできなかった僕の横で、母さんは泣きやむことがなかった。母さんは、僕のハンカチまで使って泣いたのだ。
 父さんの携帯電話は、解約せずに名義を変更して、使える状態でリビングに置いてあった。僕はよく、父さんが家にいてチャンネルを手放さない母さんから逃れて野球を見たくなった時、何にも言わずにそれを持って自分の部屋に行った。父さんが死んだ後、その時は気にも留めなかったメールボックスや着信履歴なんかも見てみたが、母さんからおつかいを頼まれるか、仕事の関係で時々くる他は何にもない、広告のメールさえきていない、見てるこっちがうんざりするようなものだった。
 死んでも、父さんは父さんのままだった。だから、僕たちはあの日、お父さんのお墓参りになんか行くべきではなかったんだろう。
 父さんが眠っているお墓――そんな風に僕には思えないけど――は、車で行けばそれほど時間はかからない。
 車内で聞いたけれど、母さんはそれまで、毎週火曜日にお墓参りに行っていたらしい。僕が学校だけど、父さんと一緒に過ごしていた時間だから思い入れがあるのだろう。僕は、父さんが死んでから母さんの知らない一面をどんどん知ることになった。でも、それが本当の母さんだと思うぐらいには、本気だし、必死だし、痛々しいと僕には思えた。なら、どうして父さんが生きているうちに、と不思議に思うぐらいに。それとも、僕が知らなかっただけだろうか。
 お墓でのことは思い出したくもない。
 道行き、僕は案外と華やかな仏花から垂れてくる水で靴下を濡らした。それを母さんに隠しながら、後についていった。母さんが怪訝そうに立ち止まったその先に、女の人がいた。
 女の人はしゃがみこんで、大きなボストンバッグから何かを取り出そうとチャックを開けているところだった。そこから現れたカラフルな色が目に映った時、僕は心臓が狂って止まらないような不安に襲われた。
 お墓の立ち並ぶ場所に似つかわしくない派手なサイコロ。父さんと同じサイコロ。小堺一機と同じサイコロ。いや、同じではなかったかも知れない。母さんの動揺と言ったらなかった。僕はそれを見て、出目に書かれた「トークテーマ」が父さんのと同じものではないことを唐突に悟った。
 女の人は泣いていた。母さんのように泣いていた。そして、お墓に何の痕跡も残さず、サイコロを抱えて反対側から帰って行った。鼻をすする音が、いやに僕の耳に残った。

 花は水ももらえずベランダで枯れた。そして母さんは沈み、また怒り狂った。
 自分の部屋ですさまじい物音を聞くたび、僕は自分にできることを考えた。
 トークするぐらいいいじゃないか。
 そう言おうかとも思った。でも、それが「トーク」でないことぐらい、僕にはわかっていた。はっきりわかったわけじゃないけれど、母さんの怒りがそれを証明していた。
 母さんがトイレに行った時――こんな時でもトイレには行きたくなるのがなんだか気の毒だった――僕は父さんの携帯電話を避難させた。もう夜の9時になろうとしていた。今夜は夕飯もままならないと悟り、僕は父さんの携帯電話でワンセグテレビを見ることにした。
 今日は日本シリーズがやっている。しかも、去年から30連勝中の大エース、田中将大が先発だ。僕はそれを楽しみにしていた今朝のことを思い出した。
 6回の表、0-0。マーくんは2死満塁のピンチを背負っていた。実況のアナウンサーは緊迫した様子で、2ストライクから粘るロペスとの対決を伝えていて、解説陣はほとんど黙っていた。
 リビングからは凄い物音。母さんが何か重たい物を床に力任せに払い落としたらしい。そんなこと絶対に、誰にもさせなかったのに。
「インストレートォ! 152キロ! 初めて、このゲームで吠えた! 右の拳を突き上げました! 負けないエースの真骨頂!」
 マーくんはすごい。ソファを殴るドスドスという音が、ワンセグテレビと同じくらいの音量で立て続けに響いた。ソファ自体が揺れながら動く音もする。ふざけんな、という声にならないような怒鳴り声も聞こえた。
 僕は携帯電話を持って家を出た。ドアを閉めると、暴れる音は何も聞こえなくなった。
 台風も過ぎた東京の10月はもう震えるほどに寒い。風も強く吹いている。
 マンションの前には、汚い川がある。ずっと下ると、東京湾に続いている。時々、風でシワを寄せながら、黒いものがぬらぬらと動いていた。
 僕は蜂の巣みたいに白い明かりがつぎはぎに並んだマンションのベランダを背にして、コンクリートの堤防に携帯電話を置いた。
「六回裏、東北楽天イーグルスの攻撃は――」
 さっぱりしたアナウンサーの声で、なんだかますます肌寒く感じた。
 その時、物凄い音で窓が開く音が響いた。瞬間的に、自分の家の方を見る。6階、左から2番目。
 そこから、あのサイコロが勢いよく飛び出した。
 サイコロは不安定に揺れながら、薄闇の中を、黄色やピンクの糸を引くようにまっすぐすべって、そのまま川に落ちた。
 波紋が消えて、サイコロが川を下って目の前にきた時、『旬な話』という出目がかろうじて見えた。小堺一機の「フレッシュ!」と言う声が夜空に響いた。
 もう一枚、ダウンジャケットでも着てくれば良かった。母さんはちゃんと窓を閉めただろうか。寒いし、いくらなんでも近所迷惑だ。
 サイコロはもうぼんやりとした色彩しか見せないで、人の目を盗んだまま海へ向かっていった。
 神はサイコロをふらない、と何かで聞いたことがある。なら、サイコロをふるのは人間だけだろう。せめて、ぷかぷか浮いて回転しながら、どの出目とも決まらないまま、ずっと、広い海の真ん中へ行ってしまって欲しい。母さんが何も話さずに済むように。何かを話さなければいけないなんて、バカげていると僕は思った。小堺一機は狂っていると思った。
 父さんの携帯のテレビが楽天の先頭打者のヒットを告げて、僕は海に漂うサイコロのことを考えるのをやめにした。