ヤバいヤバいとみんな言うけど

 オッス、俺の名前は、芝キサブロウ! 大学2年の遊び盛り! 今日も今日とて悪ノリ写真の毎日毎日サークルかけ持ちクリパに宅飲み連日連夜の合コン街コン、友達100人できちゃってワロタヤバすぎ、どーすりゃいいのよキャンパスライフ! そんなわけで、人間関係、新規開拓、奇妙奇天烈、摩訶不思議の毎日に新しい風を吹き込むぜ!

 奇妙奇天烈。摩訶不思議。これらが四字熟語でないという衝撃の事実のヤバさに驚きながら(3日かけて友達全員に自慢しよう)、俺は俺とて今、2,3個同じ授業を取ってる、トオルの家にトオルと向かってる。俺はいつもどこかに向かってるな、ヤバいな、そう思ってる。
「しかし、ちゃんと知り合って3ヶ月ぐらい経つけど、トオルの家に行くの初めてだな!」
「そうだね」
 トオルは、名字が「本気名倉(まじなぐら)」というヤバいこともあり、ミステリアスな雰囲気を備えている。授業はいつも一番前の端っこで受けていてヤバイし、共通の知識のある特定の友人とツルむのでもない、要はぼっちってやつだ。ヤバすぎるだろ。
「じゃあ、なんで俺がトオルみたいなヤツと一緒にいるかって言うとさ」
「え?」
「逆にトオルと仲良くすると、なんでなんで、キサブロウ本気ウケる、あいつと仲よくなるなんてヤバすぎ、もしかして宇宙人? てな具合に、他の奴らに一目置かれるってわけなんだよな」
「そうなんだ」
 思ったことはつい口にしてしまう俺の悪癖(あくへき)が出た。しかしこのヤバい悪癖(この前、ドイツ語の授業で覚えた)が、俺の魅力でもあるし、今まで生きてきてこの悪癖(ドイツ語はレポートだったからタカちゃんにオゴるからっつってやってもらってAとってまだオゴってない、ヤバい)で困ったことは一度も無いからまぁ別にいっか。とまた喋っているうちに、トオルが一人暮らししているアパ、マンションに着いた。ヤバいハイタワーだった。
「え! すっげえ高級マンションじゃんかよ! そびえ立つヤバさ…! こんな片田舎でどんな暮らししてんだ! もしかして超金持ち!? こいつぁ皆に話し甲斐あるぜ! こんな良いネタを持ち前のトーク術でおもしろおかしく決してスベらず話したら、ヤバイ、一体、俺は何星人に喩えられてしまうんだ…!」
「でも、このぐらいのところに住まないとさ…大変でしょ」
「大変? 俺も親の仕送りぶっこんでそこそこの家住んでて、宅飲みするたびに、みんなにほんと良い部屋だよねと褒め称えられ、単独で女を連れ込むのにホント便利っす、あざっすヤバっすって感じだけど、それでもこんなとこには住めねえよ! ここ、家賃いくら?」
「10万円」
「じゅ、じゅ、じゅ、じゅ、じゅ」
 俺はあんまりにも驚きすぎて、じゅ、じゅ、とどもり続けながら、オートロックのドアをくぐり抜け、じゅ、じゅ、革張りソファの置いてあるロビーを通りすぎ、じゅ、じゅ、。広いエレベーターに乗り、じゅ、じゅ、降りる時はトオルのために開ボタンを押してやって、じゅ、しばらく歩いて部屋の前にきて、じゅ、じゅ、
「じゅ、10万円!?」
 と、腰を抜かしてひっくり返ってしまった。
「芝くん、おもしろいね。でも静かにしてもらえるかな。入るよ」
「ヒィヤッホ~~~~!!」
 と言ったあと、アッと気づいて、人差し指を口元にあててシィ~という動作をする俺、この俺。ヤバすぎるな。ひょうきんすなあ。
 高級感のある重たそうなドアが開いて部屋に入る。
 なんと、まだ10月だと言うのに、冷房が不自然なほどガンガンに効いていた。
「寒くない…?」
 俺は寒くなると急激にテンションが下がるのだった。宮崎県南部で生まれたから。
「寒いよ。18度」
「寒いんだろ。じゃあ、なんで?」
「やっぱり……その、臭いが、気になるじゃない。僕は不精だから、どうしてもたまってきて…」
「え、ゴミが?」
「え、うん、まあ、そうだね。だから、みんなよく、こういうとこに住まなくて上手くやってるなぁと思うよ…」
「いや、見た目キレイそうだけど…それに電気代だってバカにならないじゃんか、こんな廊下にまで軽井沢みたいに……夏の……」
 ていうか、玄関から一本通った長い廊下にドアや収納がいくつもあった。
「ていうか、何部屋あるんだよ…!」
「4LDKかな」
「一人で!?」
「まあ、半分は物置って感じだけど……」
「物置って、そんな……!」
 と、手近にあったドアを開けると、その部屋もますます冷やっこい。そして、部屋いっぱいに、発泡スチロールのトロ箱が天井の電器スレスレまでびっしり積み重なっていた。人が入れる場所は、1畳ほどしかない。
「そろそろ、その部屋がいっぱいになっちゃうんだ……」
 背後からした声の異様さに振り返ると、俯いたトオルの顔は不気味にゆがんでいた。そして、よほど冷たいのか、雪国の女の子みたいに頬が赤くなっていた。
「これって……一体何……?」
「え、アレだよ……送る前の、アレ」
「アレ……?」
「そうさ、アレ……」
「わけがわからないし、おっかないよ……これじゃみんなに自慢できねえし……スベっちゃうよ……」
「ここまで来て何を言ってるのさ。信じられないかも知れないけど、僕は不精者だって言ったじゃないか…君に来てもらえば、こんな僕も仲間に入れてもらえるかなと思ったんだけど」
「話せるようなことじゃないんだろ、いやだよ。気味悪いよ。俺、帰る。意外と繊細だし、ヤバいことには関わらないように、悪ノリ写真とかも身内にとどめて、Twitterとかもしないって自分にきちんとルール科して、そういうことをやっちゃいそうな奴にはちょっと威圧的にからんで間違いが起こらないように牽制しながら上手にやりくりして、ついでに言うと例えばほら、あの、種田ゆかりみたいなややこしくなる女とは絶対にヤらないようにしながら生きてるんだ。俺、帰るよ」
「待ってよ」
「待たないよ。コレのことも、まだ何も知らないから、黙っておくし。大丈夫だよ。俺、口堅いんだ。今日はごめんな」
 俺はトオルのわきを通って帰ろうとしたが、細い体でふさがれた。
「わからないなんて、嘘ついちゃって」
「嘘じゃないよ、なんだよコレ、こんなにいっぱい。箱、箱、箱。わからないよ、通してくれよ!」
 力尽くでどかして通ろうとしたが、びくともしない。どこにこんな力が。恐ろしい程のパワーだぜ。フットサルサークルに入ってはいても運動だけはからっきしなのでムードメーカーを務めて幹事とかも惨めに映らない程度に適度にがんばってきた俺のこと、でも俺、その俺だから、今回はヤバいと思った。
「今回はヤバい」
「みんなやってることじゃない」
「やってないよ、こんなことは。頼むよ、出してくれ。今日のことはなかったことにしよう。寒いし、こわいし、いやだよ」
「もっと部屋の中に入りなよ。しらばっくれるんじゃないんだよ」
 壁のように立ちふさがっている本気名倉トオル。ドアの枠にぴったりはまって、どんなに押しても微動だにしない。でも、触れていると、そこに満ちて今にも飛び出して襲いかかってきそうな恐ろしい力で、小便ちびりそう。
 俺は離れて、部屋の中の、スチロール箱のそばまで来て、深呼吸して、異変に気づいた。
「くさい……」
「そうだよ」
「うんこくさいよ……」
 俺は泣いていた。寒いし、怖いし、うんこくさいし、泣いちゃった。
「当たり前じゃないか。うんこじゃないか」
「ヤバいよ、君は……」
「ヤバいことはないよ」
「だってこんなに、もしかして、コレ全部……ヤバい……」
 俺はこんな時にもヤバいヤバいとしか言えないのかと情けなくなった。ヤバいヤバいと繰り返してきたのは、俺が棲んでいる人間関係の中に、ヤバさが全く無かったからだ。
 俺達は外の世界を見なくて済むように、今いる内の世界を完結させるために、ヤバいヤバいと言うしかなかったんだ。
 自分達にあるものと、ないものを、俺達は痛いほどわかっていた。わかっていたから、決して言及しなかった。言葉にしなきゃ、無いのと一緒だから。そして逆に、ラーメンの大盛り具合に、飲めばそうなる泥酔の具合に、ヤバいヤバいと口出すことで、ヤバさを有ることにした。
 実際、俺達は何にもヤバくない。外の世界には本当にヤバイ奴がいる。そんな当り前の真実を知ったら、というか目の当たりにしてしまったら、俺達は自分の世界の狭さを思い知ることになる。そうなったら、俺達はそこにいられない。
 俺達がこの世界で一番でいるためには、世界は俺達だけであるべきだった。学生なのに起業したり、世界中の山に登ったりはもってのほか。インドなんか絶対に行っちゃダメだ。資格を取ろうとしたり、真面目に勉強するのだってダメだ。そんな奴は俺の周りにいちゃならない。時間を早めることはしちゃいけない。
 どうせ俺達は、モラトリアムを終えたら、一応出来は悪くないし、そこそこの職について、何にもヤバくない世界で、またぞろヤバいヤバいと自分に時々言い聞かせて細々生きていくしかないんだ。なら、この数年を好きに生きて、大人になって、あの頃はヤバかったし実際にヤバいと口でも言ってたし相当ヤバくらかしてたんだな、俺の人生はヤバかったと振り返るぐらい、誰にも迷惑をかけてないし、いいじゃないか。本当にヤバい奴は、そんなことに関わらず、ずっとヤバいんだから。
「芝くん、どうしたのさ、何がヤバいのさ」
「いや、その逆だよ。全然、ヤバくなかったんだ……」
「そうだろ」
 涙が止まらなかった。悲しいわけじゃない、でも、おさえることができなかった。実家に帰りたい。もう疲れた。この生活に疲れ果てていたんだ。お母さんの顔を思い浮かべた時、まちがいがおこった。
「ヤバい……」
「え?」
「うんこしちゃった……」
 白状した。もう俺はボロボロだった。少しとかじゃなく、全部出ていた。寒いし、怖いし、うんこくさいし、うんこしてたし、どうしようかなと思った。
「困るよ、箱の中でしてくれなきゃ。さあ、早く脱いで」
「え……?」
 有無を言わさず俺の前にかがみこむトオルの頭頂部を見ていたら、足が震えてきて、うんこがさらに出た。全部出たと思っていたさらに上をいって全部出た。少しおかしかった。
 トオルは気にせず、俺のベルトをゆるめて、ボタンを外し、そのまま下にずり下ろした。
 恥はなかった。それ以上におびえながら、しかし母親に頼るように、されるがままにしていたし、トオルの肩に手をつきさえした。そして、幼い頃そうされる時そうしていたように、目をつむっていた。片足ずつ抜き取られると同時に、細いズボンから温かい湿気が放たれる。元々うんこくさい空間で、今でしょ!と新鮮な感じのする臭いが自分の鼻までのぼってきた。
「よし、あとはこいつだけだね」
 トオルは俺のボクサーパンツのゴムを引っ張ってパチンと弾いた。
 たっぷり出た硬さのある糞がハンモックみたいにゆさゆさと揺れるのを下半身に感じて俺は情けない。
「君、カルバンクラインって名前なの?」
 トオルが俺を見上げてわざとらしい口調で言った。
「え? それはブランドの名前…」
「いや、ごめん、なんでもないよ」
 何を言ってるんだ。さっきも言ったろ。本当にヤバい奴は、ずっとヤバイんだから、俺のことなんかほっといてくれていいじゃないか…。
 いや、色気を出したのは俺か。俺が、我慢できなかったんだ。本当はヤバくない生活に厭気が差してたんだ。なんかむかついてたんだ。ほんのちょっとでいいから、ヤバさのスパイスを加えたかったんだ。
「ずるり」
 トオルはそう言って俺のパンツを下ろした。やはりイヤなのか、顔をしかめて口を結んで、鼻の穴はふくらんで強張っている。息を止めているんだ。
 尻が寒い。臭い。助けてくれ。
 俺は相変らずこの家の全てが恐ろしく、震えながら従うしかなかった。
 彼は平気を装って俺を見上げた。
「こういう硬いやつは実に助かるよね。僕のもこんなだったらな。これは、すぐに送るよ」
「これを、送るの…?」
「そうだよ。そういうもんじゃないか。そうしてるだろ」
「誰に送るの?」
「ネットで調べて、適当にだよ」
「それで?」
「それで終わりじゃないか」
「終わり?」
「送ってこられた人は、またそれをどこかに送る。そうやって汚いものが日本中をの道路を飛び交い営業所の不手際で暖まることで、街や部屋がキレイに保たれる。物体は移動し続けるんだ」
「何を言ってるの…?」
「僕はちょっと面倒がりだから、こうしてためこんでしまっているけど……みんな狭い家だし、ちゃんとやってるだろう」
「誰もそんなことしてないよ」
「なんでさ。だって、時々、誰かから送られてくるよ」
「それは、君が出したやつが戻ってきたんだ」
 トオルは俺に軽蔑の目を向けていた。
「じゃあ、君は部屋に垂れ流してるの?」
「いや、トイレでしてるよ」
「トイレ?」
「この家にもあるだろ。こんだけ広いんだ、あるはずだよ。広くなくったって、誰の家にだってあるんだから」
「そりゃあるよ、おしっこするから」
「うんこもしていいんだ」
「ダメだよ、こんなものが流れるはずないじゃないか。君のコレ、見てみろよ。しかと見てよく考えてみろ。でっかいうんこしやがって。こんなものがあんな小さい穴に流れるはずない」
 トオルは真面目な顔で言った。口の端に泡が溜まり始めていた。
「だって、みんなそうしてるよ……」
「何を言ってるんだ。頭がおかしいよ」
「え、だからそういうふうに」
「バカを言って。だいたい、君は大学の授業だってろくに受けてないじゃないか」
 トオルは立ち上がり、パンツを足首まで下ろした俺を置いて部屋を出た。不機嫌そうな物音が響いたかと思うと間もなく、空のトロ箱を持って戻ってきた。それを俺の前に放り出した。
「さっさとそれを入れて」
 必死に感情を出さないようにしているのがわかった。俺の心に新たな恐怖が満たされ始める。これ以上怒らせてしまうと、本当にまずいことになる。俺はうんこがこぼれないよう気をつけて足を抜いて、パンツごと入れようとした。なんて臭いんだ。なんてお尻がかゆいんだ。
「パンツは入れないよ当たり前だろ!」
「ごめん」
「常識じゃないか」
 しかし、パンツをひっくり返してうんこだけ入れても本当にいいものか戸惑って、マンゴーみたいに出したりしまったりしていると、
「急げ!」
 と怒声が飛んだ。反射的にゴロリとうんこを出す。ドドッ、ドッと物質的な音がした。
 ピロリロリン。
 血の気が引いて楽しい音のした方を見ると、トオルはいつの間にか俺に向かってスマホを構えていた。
「改めて人のやってるのを見ると、おもしろいもんだね」
 俺は呆けて立ち尽くしていた。トオルは盛んに何かスマホを操作し、一段落して微笑みを浮かべた。
「ヤバいね」