おじいちゃんと僕、そして金

 金運を上昇させるお守りをハンドルに八つぶら下げたマウンテンバイクにまたがり、少し思案する。
 病院にいるおばあちゃんは封筒をくれない。家にいるおじいちゃんは封筒をくれる。ここから導き出されてしょうがない答えにむしゃぶりつきたいが、まだ小学生だし、将来を考えて、なるべく冷静にいきたいもんだ。
「病院、ちょっと遠いし、緊張する」
 僕はそう言っておじいちゃんの家に向かった。
「よう来たな」
 戸を開けるとおじいちゃんが迎えた。歯が無いが、いいやつだ。
 挨拶もそこそこにこたつにもぐりこむ。
「こたつって、なんだか、ホッとしちゃうよね!」
 ここでしか出さない真ッピンクの歯ぐきを出して言う。これが後々効いてくる。"ふところ"に、ボディブローのように効いてくるんだ……。
「まんじゅう食うか」
「うん!」
 従順で素直、お母さんよりおじいちゃんおばあちゃんが好き、孫の鏡、それが僕だ、こんなビニールでびっちり包まれたまんじゅう誰が食うんだ、という気持ちにメリハリをつけ、姿勢を正してPS Vitaをしていると、おじいちゃんの顔がマックスレベルで真剣になった。
 笑え! と心で叫びながら、何か言い出すのを待つ。でも、全然言い出さない。老人はかなり溜める。一日中ヒマにしてテレビばっかり見ているからそうなるんだ。玉袋のようにたるんだ時間の感覚。もう手の施しようもない。でも、これまで一生懸命、働いてきたんだからな。
 わかった、話していいよ。僕の時間を、おじいちゃんにあげる。僕は促すように、PS Vitaを置いた。
「テレビ見るか」
「うん」
 がっしりしているくせにしわとしみだらけの手でリモコンを渡された。吐きそうっ。毛が太いんだよな。電源を入れると、いつの間にかうっすらかげり始めていた部屋に、テレビの明かりが浮かび上がる。ボタンを押すごとに、二人で見つめる画面が、ぱちぱち移り変わって壁に光の色をつけた。
 僕としては破産したアメリカの貧乏人のニュースにかなり引きつけられたが、クライマックスシリーズのニュースを見ることにした。
 電気をつけたい。というかぼちぼち帰りたい。お金もらって帰りたいな。1時間半いたからもういいだろう。
 僕はトイレに立った。冷たい廊下はぎしぎしと鳴る。どこか荒々しいおしっこをぶちかまして、ついでにスクワット20回。
 さあ、用意しろ。おじいちゃん、封筒を用意するんだ。
 戻って来ると、部屋はさらに暗くなっていた。そこにおじいちゃんが紛れるように座っていた。こわっ。こたつ布団の僕が抜け出たところから赤い光がもれて、ボス戦の雰囲気だ。
 僕は電気をつけた。反射的に封筒をさがす自分がこわい。
「勇気」
「なに」
「おばあちゃんが死んだら悲しいか」
 お、思わず電気を消してしまった。またおじいちゃんが闇に沈みこむ。慌ててつける。
 別におじいちゃんは、怒ってはいないようだ。真面目な話をするようだ。
 僕はそっとこたつに入った。
「おばあちゃんな、もうダメかもしれないんだ」
 おじいちゃんは震える声で言った。
「え……」
 そういえば、おばあちゃんは今回、すごく長く入院している。もう入院にも慣れてしまったから、気にしていなかったけれど、この間見た時、すごくやせていたような気もする。
 もうダメかもしれないんだ、と言ったおじいちゃんの言葉が頭の中に繰り返し響いた。僕がここで遊んでいる間、おじいちゃんの心の中に、ずっとこの声が震えてあったんだと思うと、たまらなくなった。
「何度もお見舞いに行ってくれて、ありがとうな」
「いや、僕は……」
「ばあさん、喜んでた」
 僕は本当はもっとお見舞いに行けたんだ。僕は……。
 すると、おじいちゃんが何か差し出した。
 気づけば、僕の目からは涙があふれて、こたつ布団の上に、ぼたぼたと大きな玉をつくっていた。
 手にとってわかったけれど、それは二つに折り畳まれた青い封筒だった。
 ひとまず開け、三千円を確かめ、取り出し、ポケットにつっこんで、空封筒をまた同じように折り畳んで、涙を拭いた。
「おばあちゃんが…嘘でしょ……何買おうかな……」
「勇気」
「うう……病気、そんなに悪いの……?」
「勇気」
 おじいちゃんの声はもういつもの通りだった。いや、それどころか、昔、仏壇でお鈴を4つ打ちして怒られた時のような……。
 何かがおかしい。
 自分のしたことが思い出せない。
 僕は今、何をした?
 もしや、僕はひどい間違いを犯したのではないだろうか。
 まずい。
 頭蓋骨が鋭いトゲを一瞬生やしたような感覚。
 心臓が口から飛び出しそうだ。
 汗が噴き出た。
 おじいちゃんが僕を見ている。落ち着いた口ぶりでしゃべり出す。
「勇気、お前がその封筒を開けずにそのまま涙を拭いていたなら、手にしているのは、こっちの茶封筒のはずじゃった……」
 こたつの陰から、ゆっくりと茶封筒が現れた。
「あっ」
 思わず声が出た。
「は、はめられた……!」
 老いた指によってつまみ上げた茶封筒は、光り、輝いている。
 何か長方形のものがスケて、あまりのありがたさに、目がつぶれそうだ。
「そ、そいつ、そいつは」
 わかるよ。僕にはわかる。あれには五千円札が入っている。絶対、百パーまちがいねえよ……あれには、長年、僕の欲しさを一身に浴びている五千円札が……一万円のやりすぎ感を適度に排して小粋に決めるのにうってつけのお金の神回……。
「そうじゃとも……」
 そこで急にテレビから飛び出してきた、荒々しい英語。
 こちらのチャンネルでもアメリカの貧乏人のニュースが流れ始めた時、取り返しのつかないことをしたのだとはっきりとわかった。
 今、僕は終わったのだ。
 外で、マウンテンバイクの倒れる音がした。