サザンオールスターズ「栄光の男」を聴きながら製氷する夜

 久しぶりに氷をつくっています。
 早々に一つの穴を満たした水は、溢れて隣の穴にこぼれ逃げてゆきます。
 次の穴から次の穴へ、同じ形に象られてゆきます。
 キッチンの電灯一つが照らすその下の、小さなシンクの囲いの中の、所帯じみた製氷皿の凹みの上、そこを横滑りしていく味気ない、ぬるけた水道水は、最近、それでもだいぶ美味くなったそうです。冬場はよく飲むのでそうと思います。
 シャンパンタワーと原理を同じにしても、その水は高さというものを知らず、27歳になったばかり、都合良く考えれば今、3分の1ほどの穴が埋まってしまって、それでも水は後から後からみつみつ押してきます。
 そんな風にしながら、ミュージックステーションを見ていました。サザンオールスターズが出るので。僕、好きなので。
 歌が始まったので、蛇口を水の止まる寸前まで締めました。細い線が、水滴の数珠つなぎになりました。こんな風に時間を扱えたらどんなに良いでしょう。
 自分のやりたいことをやろうと大学を休学した1年間、僕の心臓は絶えず毎分120を打って、何度も何度も病院に通いながら、家ではずっと寝ていました。パソコンは打っていましたけれど。
 どんな動物も拍動の上限は2億回でそれが打ったらおしまいと聞きますから、水の出を1年ゆるめた分、1年分持って行かれたのかも知れません。なんだか悪い冗談のような1年でした。

ハンカチを振り振り あの人が引退(さ)るのを
立ち食い蕎麦屋の テレビが映してた
しらけた人生で 生まれて初めて
割り箸を持つ手が震えてた

「永遠に不滅」と 彼は叫んだけど
信じたものはみんな メッキが剥がれてく

I WILL NEVER CRY 
この世に何を求めて生きている?
叶わない夢など 追いかけるほど野暮じゃない
悲しくて泣いたら 幸せが逃げて去(い)っちまう
一人寂しい夜 涙こらえてネンネしな

  桑田佳祐が歌うのを見ながら、僕はバカのように泣いていました。サザンなんかで泣いて、また天ミドにバカにされるでしょう。もういなくなったから、バカにしないでしょうか。
 今の2度目の一人暮らしでは向日葵や朝顔なんか育てています。植物はよいです。水なんか干上がって土が茶化けてくると、黙ってしおれています。死ぬまで黙っていると思うとかわいそうになり、水をやったら、うどんなんか茹でる間に、しゃんと前を向いています。
 泣いたら幸せが逃げていっちまうそうなので、泣かないようにしたいと思っていますが、こんな風に優しくされると泣いてしまうのです。
 「風立ちぬ」では泣かないのですが。

ビルは天にそびえ 線路は地下をめぐり
現代(いま)この時代(とき)こそ 未来と呼ぶのだろう 
季節の流れに 俺は立ちくらみ
浮かれたあの頃を思い出す

もう一度あの日に 帰りたいあの娘の
若草が燃えてる 色づいた水辺を

  中学生の時です。
 吉祥寺の駅前のショッピング施設ができたばかりの頃でしたが、街の頃合は今よりもう少し小汚かったような気がします。
 浮かれてはいませんでしたし、その頃に帰りたいとも思いませんが、そうその頃、同級生から遠ざかりたくて、素面じゃ言えないような場所でさっさと初めてセックスをして、何も変わらない夕方の電車に乗って、母にただいまと言って、春巻を食べて、母は食感を変えるとか言って、春巻の皮を表にしたものと裏にしたもの、半分ずつ作っていて。
 そんな時期のあれこれ、実際、あれとこれ、というぐらいのことしか覚えていないのですが、そうした記憶も知らないうちに薄情に凍ってしまって、手の届かない心臓のところを白くにごらせているようです。
 全ての記憶があやまたず同じことになるなら、捨て鉢に、にごるだけにごってくれろと思います。

生まれ変わってみても 
栄光の男にゃなれない
鬼が行き交う世間 渡りきるのが精一杯
老いていく肉体(からだ)は 愛も知らずに満足かい?
喜びを誰かと 分かち合うのが人生さ

 こんな風に励ますのは勘弁してくれと繰りかえ巻きかえ思いながら涙を流しながら、今日を境に何かが変わるような予感して、なんて、そんな絵空事や御伽噺を何べん頭に描いたことかと半ば情けなく、半ば滑稽に思い出します。
 次の穴に急にオレンジジュースやファンタが満たされるでも無いのに、何を期待してたのかねえ、全くもって馬鹿と振り返ってみても、凍りついた昔話は応えず、やっぱり静かににごっています。
 だから期待ばかり繰り返すし、昔の自分のような人を叱りつけたくなるのでしょう。
 凍りついた自分に言ってもつまらない言葉を、他人の水に吹き込むのです。
 人に影響を与えたいなんて一番ひどい言い草だと思いますが、なぜひどいと思うのかはわかりません。
 いえ、きっと昔に、僕がそう思っていたのです。
 人に影響を与えたいとかなんとか。
 人を、自分と同じようににごらせたいとかなんとか。

優しさをありがとう 君に惚れちゃったよ
立場があるから 口に出せないけど
居酒屋の小部屋で 酔ったふりしてさ
足が触れたのは 故意(わざと)だよ

満月が都会のビルの谷間から
「このおっちょこちょい!」と俺を睨んでいた

I WILL NEVER CRY 
この世は弱い者には冷たいね
終わりなき旅路を 明日天気にしておくれ
恋人に出逢えたら 陽の当たる場所へ連れ出そう
命預けるように 可愛いあの娘とネンネしな

 ところで、しかし、だから、つまり、僕は人生こういうものであってほしいです。
 そうでないと、遠ざける意味も無いような気がしますから。
 遠ざけておくために、人生は輝かしく、素晴らしき哉と誰もが口を揃えて手を取り合って言うようにあってほしいと思います。
 つづらの話をしていいですか。
 舌切り雀で大きなつづらや小さなつづらが出てきますが、大きな方は確かお化けなんかが入っていましたが、金銀財宝地位名誉の詰まった本物の大きなつづらというものが世の中にはあるのでしょう。
 そんなものは栄光の男が手に入れるのかも知れませんが、その大きなつづらにも、小さなつづらに入っているものはちゃんと入ってあるはずです。自分だけが満足する程度のささやかな何がしかが、きちんと、底の方にでも。
 そして、それだけ入っていれば多分いいのだろうと思います。
 綺麗事かも知れませんが、氷でできていないものがあるとしたら、ほんときっとそれだけだと思います。
 でも…と子どものように口ごもりながら、そうだと思います。
 それは、人生は、幸せは、見ていた方が欲しくなるでしょうか。見てない方が欲しくなるでしょうか。取り急ぎ、それだけ知りたいと考えます。
 明日は母が来るので、氷をつくりました。
 氷をつくるのは久しぶりです。

 


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