子牛担当

 僕が膝ノ裏ファミリー牧場を去ることになった日のことを話したいと思います。
 僕は14時の鐘がガラランガランと鳴ると、いつも通りかわいい子牛たちを連れて牛舎を出て、丘を登っていきました。子牛たちは尾をぱたぱた振って僕のあとをついてきて、時折うわずった声をふがふが上げて頭を寄せ合ってふざけたりなんかいます。牛というのは本当にかわいいものです。
 振り返って見下ろすと、牛舎の裏のイベント広場に人が吸い寄せられていくのが見えました。男の人がたくさんと、あと若い女の人がちらほらいます。みんな落ち込んでいるわけではないのですが、少し重い足取りのように映ります。さわやかな牧場には似つかわしくない人達ですが、こんな人が集まるのは、最近では珍しいことではなくなっていました。
 牛舎からイベント広場へ、ホルスタインのミエが一頭のろのろ牽かれていくのが見えました。
 子牛たちはそんなことを忘れて体をぶつけあい、鼻を鳴らしてはしゃぎまわっています。後ろ足をはねあげて一番よろこんでいるピッケはミエの子で、体の模様もそっくりなのでした。
 イベント広場ではきっと7人、男優がバスローブをまとって出てきた頃でしょうか。
「7人の母乳OK男優 VS. ホルスタイン」のルールは簡単です。先にへばった方が負け。
 拍手の音が小さく青空に抜けていくのが聞こえました。
 もうそろそろ吸って吸われての大活劇が始まる頃でしょう。吸うだけでなく、乳首近づけ口を開け、乳をしぼって乳を見る、なんてそんな下品なことも行われる頃でしょう。
 僕はポケットからゴムボールを出して、子牛たちの前でぶんぶん振って、
「ほらいくよいくよ!! 投げるよ! ボール! ねえ、ほら!! 投げた、アッ! 投げたよ!!」
 力の限り、丘のてっぺん向かって投げました。
 子牛たちは実に嬉しそうにモーモー言って、僕のわきを走り抜けてボール目がけて駆けて行きます。
 そのとき、何十羽の白い鳩がいっせいにイベント広場から飛び立ちました。続けて、色とりどりの風船がイベント広場から上がりました。いよいよそれが始まったのです……。
 こうなると、うかうかしてはいられません。僕は走って子牛たちを追いました。
「おらーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
 そして、ボールの周りをうろうろしている子牛たちを飛び越えます。
「こっちだよ!! こっちだこっちだ!!」
 子牛たちは僕に気づいて首を上げ、一斉にくりんとした目を大きく見開きます。
 僕は5mほど離れると、手に提げたカゴから泥だんごを取り出し振りかぶります。
 その時、丘の下から歓声が……。子牛たちが振り向きかけます。そこへ。
「おら!!」
 泥だんごを投げつけます。ピッケの顔のど真ん中、平らなところに当たりました。
「モ〜〜〜!」
 大きな声を出すピッケ。他の子牛も興奮してきます。
「ほら、ほらほらほら!すごいよ!すごいすごいすごい!あーすごい!あー」
 続けざまに、泥だんごをぼんぼん子牛たちにぶつけます。
 一瞬ひるんだ子牛たちでしたが、僕がだんごを投げていることに気づくと、おっかなびっくり薄目を開けて、よたよた歩いてやってきます。指笛のような音と、こころなしかチューチュー何かを吸う音が聞こえたような気がして、
「うわーーーーーーーーーーーーーーー!!」
と僕は走り寄り、一番前にいたタックの横から回り込むようにドロップキックを決めました。安定した体勢で丘を滑っていくタックを見ながら、他の子牛の動向をチェックし、にわかに興奮してきたのを見て取ると、
「これで終わりじゃーーーーーーーーーーーーーー!!」
と叫んで近海でとれた大ぶりのサバを取り出し、両手でしっかり持って、残りの子牛たちの元へ一目散に走り思いきり、何と呼ぶのか広い首の横っ面あたりに振り下ろします。
 光り物に対する驚きもあるのか、異様に興奮し、前足を上げてわななく子牛たち。
「かわいいね。かわいいね」
と声をかけながら(そうしないと子牛が不安になってしまうので)、サバを空中に、グルグル回転するように放り投げて子牛の注目を集めさせると、腰の拳銃を取り、二度撃ちます。
 ダン! ダン!
 大きな音に、血しぶきと魚肉が弾けます。ここ一番盛り上げようと、
「ほら、ほらほらほら!! すごいよすごい!! あーすごい!! ほら! ほらほら見て!!」
 サバを指さして叫んだ僕は、ふと我に返りました。
 子牛の食いつきが悪い。全然見ていません。子牛は体こそ丘の上、僕の方を向いているのですが、ぐるりと首を折り曲げて、丘の下のイベント広場をじっと見ているではありませんか。
 その憂いに満ちた表情を見ていると、僕にもまた「ヂューヂュー」という音や下品な息遣い、ガクガク震える牛の足腰の音が聞こえてくるような気がします。
「モ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 とどめは麓から伸びてくる大きな鳴き声でした。
 子牛たちはそれを聞き、特にピッケは一番に、息せき切って丘を駆け下りて行きました。
「ダメだぁーーー!! 行っちゃダメだぁーーーーーーーーーーーー!!!」
 僕は追いかけましたが、肛門丸出しで走る時の動物って必死だからすごく速いんです。子どもとはいえ勝てるわけがありません。
「見ちゃダメーーーーーーーー!! ほんとにダメーーーーーーーー!!」
 いくら叫んでも、みるみる差は広がっていきます。
 僕は子牛を守らんとするあまり、無意識に拳銃を構えていました。そして1発、よいお天気の下、ピッケのお尻に撃ち込みました。
 先頭にいたピッケがもんどりうって転がりこむと、他の子牛は左右に分かれ、逃げるように真横へ走って止まりました。
「ダメなんだ」
 なおも動こうとしているピッケを見下ろす僕の顔には、乳臭い風と大きな拍手が一挙に押し寄せていました。