キ印映画「ザ・タマキン」

 名バイプレイヤーとして四百本以上の作品に出演した服部さんも、今ではタマキンがバスケットボール大まで肥大したせいで一線から退いてしまった。
 しかし、膨れあがったタマキンはどうも見た目の割に良性らしく、映画への情熱を失わったわけではない服部さんは、まだまだ現役でやれると頑張り、巨大なタマキンをぶら下げて沢山のアマチュア映画に出演している。
 僕はそのマネージャーとしてお手伝いをしているというわけだ。
 服部さんの役どころのほとんどは地球外生命体の卵役かタヌキの長老。マネージャーになって一年、日本全国で地球外生命体とタヌキの長老が出てくる自主映画が若者達によって山ほど撮影されていることがわかった。
 今日は東京のとある大学の映画サークルの作品に呼ばれた。監督は爽やかな長髪の男で、両手に提げた一番大きい伊勢丹の紙袋に左右のタマキンを入れて現れた服部さんを前にして開口一番、
「思ったより小さいな」と呟いた。
「そんなことないですよ」すかさず僕は言った。
「今は寒いから縮こまっているだけだ」服部さんもムッとして言った。
「いや小さいよ。タヌキの長老は自分のタマキンを荷車に乗せて運ぶんだけど、小さくなった荷車の買い換えをしようか真剣悩むシーンがあるんだ。この大きさじゃ、荷車を買い換える必要性がなくなってしまうな」
「その荷車はどれくらいの大きさだ?」
 服部さんは、怒るどころかやる気を増したらしい。黒沢映画「夢」にも兵隊役で出演した経験がある服部さんは、こだわりのある映画監督を求めていた。今まで服部さんが参加したアマチュア映画ではどこでも服部さんをVIP待遇で迎え、タマキンでかいですねタマキンでかいですねとチヤホヤされていたが、そのぬるさに違和感を感じていたのも事実だ。でも、目の前にいる男は違った。服部さんはそれを感じ取ったのだ。
 荷車は確かに服部さんのタマキンを乗せてもまだ余裕があった。
「ちょっと待ってろ」服部さんは渋い声で言い、タマキンを乗せた荷車を操って慣れた仕草で建物の陰に消えた。
 2分後に現れたタマキンは荷車からこぼれ落ちんばかりに大きくなり、何より赤かった。そして服部さんは目の前にあるタマキンを、片手運転でボリボリ掻きながらやって来た。
「監督、こんなものでどうかな」
「やっぱりプロの俳優はちがうな」
 監督は全てを了解したらしく、手際よく撮影開始の準備が進められた。
 服部さんがタヌキの特殊メイクを施される間、僕は服部さんのタマキンをひっかき、雑草や小石をすりつけた。寒空の下、服部さんのタマキンは勢いよく湯気を立てていた。相当の痛みと痒みだったろうが、服部さんは眉一つ動かさず、みるみるタヌキの長老へと変貌していった。
「このシーンは、どういうシーンだ」タヌキの長老が監督に聞いた。
「荷車にタマキンを入れてとぼとぼ歩いてきたタヌキの長老が、下り道と起伏の多さでバランスを崩して横倒しになり、イモ畑に落っことした土つきタマキンを泣きながらキレイにするシーンです。前半の山場なので、迫真のをください」
「せーのアクション」の声で撮影が始まり、荷車にタマキンを入れてとぼとぼ歩いてきたタヌキの長老が、下り道と起伏の多さでバランスを崩して横倒しになり、イモ畑に落っことした土つきタマキンを泣きながらキレイにした。
「カット!」の声が鳴り響いた。続いて「OK!」の声。
 スタッフの拍手が鳴り響く中、「おつかれさまです!」と言って僕はタマキンに後ろからバスタオルをかけた。鬼気迫る顔とわずかな笑みの服部さんがそこにはいた。そんな顔を見るのは初めてだった。


 撮影は順調に進んだ。監督のプロアマは関係無いという熱のこもった要求に、服部さんは見事に応え続けた。タヌキの長老が殺されると、次はヒロインの悪夢のシーンで震えてよく喋る邪悪な太陽役として出演し、そうかと思えばチングリ返しで巨大な蠅ベルゼブブの頭部(胴体はハリボテ)を演じてワイヤーアクションで池の上を滑空した。
 紛れもない傑作の予感を感じさせながらラストシーンの撮影となる頃には、気温は8度まで下がり、服部さんのタマキンは開始当初の10倍もの大きさになり、ついでにいたって普通の大きさである陰茎の方もずっと勃起していたが誰も気に留めなかった。もはや熱々の缶コーヒーをタマキンに10秒押しつけても、本体である服部さんに感覚が伝わらないほどだった。しかしむしろ、タマキンの陰から時折のぞく服部さんの顔は生気に満ちあふれていた。もはや僕の声など耳に入らず、監督の「せーのアクション」の声だけを待っている。
 僕は俳優という仕事の本当を思い知りながら、勢いよく蒸気を噴き上げ続けるタマキンの向こうでさっきタマキンに10秒押しつけられた缶コーヒーを飲んでいるはずの服部さんを思った。
「ラストシーンなんだけど、マネージャーさんも出演してもらいます」監督が急に話しかけてきた。
「え、僕もですか」
「そうです。服部さん演じる地球外生命体の水玉模様の卵から大玉が出てくるシーンです」
「大玉? SFXかなにかですか?」
「いえ、モノホンのタマキンです」
 振り返ると、スタッフ達が総出で服部さんのタマキンを紫と黄色で塗り込め始めていた。すごく文化祭のような感じがした。
「それをみんなで転がしていきます。行き先はアドリブで」
「ちょっと待ってください。タマキンの中身を取り出して転がすなんて冗談でしょう? 死んでしまいますよ! そんなことを許すわけにいきません!」
「でも、本人がそれでいいと言っているんで……作品のためなんで……」
「ダメです! 何を言っているんだ!」
 僕は服部さんの方を振り向いた。すでに怪しい卵と化した服部さんのタマキンを。
「服部さんも、ちょっとおかしいですよ!」
 そう声を荒げると、タマキンがピクリと持ち上がった。
「アオオオオオオォォン!」
 腹が破れると思った。空気と大地を震わせる途轍もない轟音。タマキンが左右に小刻みに揺れながら伸び上がってアコーディオンのように叫びを上げているのだ! 僕の中途半端に長い髪が後ろになびき、木々が一斉にざわめいた。
 その時、タマキンに雷が落ち、迷路のような血管が一瞬にして浮き上がった。タマキンはまた吠えた。
「タマキンだ! タマキンが怒っている!!」
 監督が狂気に充ちた笑顔で叫んだ。気づけば監督の顔も撮影当初から様変わりし、今では右目が真ん中のところで少し上下にずれていた。
 タマキンや監督、そのほか全てのものがやけに大きく見えると思ったら、僕はしりもちをついていた。
 作品を作るというのはこういうことなんだ。常軌を逸した作品は、命を投げ打つようにしか作れないものなんだ。そして今まさに生まれようとしているんだ。どこから生まれるかと言えば、やはりグロテスクなタマキンからに決まってる……。
 僕にだってこうした仕事に関わる上で必要不可欠な本能があった。脳天を突き刺すようなタマキンの雄叫びがその本能を奮い立たせていることは言うまでもなく、僕はシャツの腕をまくり「よろしくお願いします!」とタマキンに頭を下げて叫んだ。
「ありがとう」
 そう言ったのが服部さんだったのかタマキンだったのか、僕にはわからなかった。


「せーのアクション!」
 ヒロイン役の女が、血まみれの牛刀をかざして息絶え絶えに密室に逃げ込むところから始まった。もう死を覚悟していることは誰の目にも明らかだ。
 でも、彼女の目は淀みながら輝いている。無論死ぬ。だが世界の終わりの始まりを見たいのだ。
 密室の天井には、地獄にしかありえないほど毒々しい卵が二つぶら下がり、色のついた臭気をまき散らしている。中では鬼子が憎しみに満ちた音をジュクジュクとあげて胎動している。
 彼女は牛刀をかざし、一瞬、怯えたような表情を見せると横に思いきり振った。
 赤と白の大玉がドサリと落ちた。
「さぁ、みんなで!」
 監督の声で僕も含めたスタッフが一斉にそれぞれの大玉に駆け寄る。僕は赤の睾丸だ。そしてそのまま思いのままに転がし始める。大玉は赤黒い滴りを残しながら自ら進んでいるように思えた。坂道を勢いよく転がるのに追いつけず、睾丸はバス停まで転がり込んだ。赤と白の睾丸が汁気を増して跳ね回ると、クラクションが一斉にならされてバスが衝突、横転した。
 僕たちは構わず大学の敷地を出て、国道のど真ん中を睾丸転がしながら突っ走った。監督はバイクで追いながらそれを撮影した。二つの睾丸はやがて見慣れた道に入った。駅からまっすぐ行き、信号を渡り、右に入り、俺の職場のドアに睾丸が二つ、勢いよく詰め込まれた。