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イリュージョン

 僕がこしらえた「天狗が鼻をTENGAに突っ込んで動かす爆笑動画」(6秒)の再生回数が200回を突破した夏、父さんが軽自動車につけるドリンクホルダーのドンピシャのやつを買い、妹が遅い初潮をむかえた。つまり、うちの家族はノリにのっていた。
 でも正直、人より倍ぐらいは輝けているかどうか、今どのあたりのポジションにいるのか、精神面で人より余裕を保てているか、自分はどれだけ高見にいて他人はどれだけ低いところにいるのかを気にする僕としては、この状況を見ると母さんが弱い。これでは、母親が外務省でセックスレスAランクの中町くんと比べるとさすがに弱い。
 考えていたら、なんだか胃がムカムカしてきた。母さん一人、この波にのりきれていない。母さんが家族の足を引っ張っている。歯ぎしりが止まらない。ドアとか引き出しを強めに閉めてしまう。
 そんなある日、食卓で父さんが嬉しそうに言った。
「お母さんの義足が二段階バージョンアップしたそうだ」
 ワッ。二段階? 僕と同じく母さんを認めていなかった妹は、さっきまで腕を組んで斜に構えて口をひん曲げていたというのに、一瞬のうちに口をひん曲げなくなった。
 僕はと言えば、一つの要素も談志師匠の体勢を崩さない。妹を叱咤する意味もこめ、努めて冷静に聞いた。
「どんな機能があるんだよ」
「膝の関節が2つあるのよ」
 ワッ。妹はきたねえ歯をこぼして、まっすぐ前を向いてしまった。僕は逆にますます口をひん曲げる。
「椅子の下に、足先を完全にしまいこませて固定できるのよ」
「言わせてもらえば気持ちわりいよ!」
 僕は組んだ腕を左右に細かく振るわせ、そのまま右手を頬にあてて呻いた。妹はもう腕を組んでいない。後はもうバンダナを取ってしまえば、陳平、お前はもう終わりだぞ。僕は毅然とした談志のまま妹をにらみつけた。
「弱いよ。まだ弱い。のれてない」
「お兄ちゃん、何言ってんの」
「これじゃあ中町くんに勝てない。義足のお母さんじゃあ外務省でセックスレスのお母さんには勝てない。シティー派な感じがするもん」
「お兄ちゃん」
「しまいこめたってダメだよ。どう頑張ろうと義足じゃないか」
「ユウト」
 父さんが僕を呼んだ。父さんに名前を呼ばれるのはずいぶん久しぶりだった。
「母さんの新しい義足のふくらはぎを見てみろ」
「すごく便利になったのよ」
 母さんは優しく微笑んだ。顔だ。この顔だ。いつもこの顔。事故の後も決して変わることないこの顔だ。
 僕は椅子に寄りかかってずり落ちながら、それでも談志師匠のモノマネを崩さず、不機嫌に「太田は俺の子だ」と言いながらテーブルの下をのぞきこんだ。
 薄暗い。椅子の足に混じって、硬い母さんの足が見えた。僕の視線を感知したかのように、そのふくらはぎが開いた。そこにはファンタグレープが納まっていた。よく冷えた、僕の大好きなファンタグレープが。
「冷温庫になっているのよ」
 ファンタグレープが。心の中でそう繰り返した時、僕はバンダナを下げて目を覆っていた。すぐに熱い液体がしみこんできた。
 何も見えない。それでも妹がバンダナを投げ捨てたことはわかった。これでもう学校で「男子・女子・談志」とイジめられることもなくなるはずだ。僕たちの暮らしは良くなっていく。僕たち家族は今、ノリにのっている。