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非・マーガレット

 部屋の中央に全面強化プラスチック製の檻があって、その中で、サルが機械的にずっと往復している。
 そこから5mほど離れたところに、落語家がいる。即席の高座に、たくさんの輪ゴムでくくり付けられている。口にはガムテープが貼っつけられている。
 檻と落語家の間では、なにやら男が作業中だ。銃を三脚みたいなものに輪ゴムで取り付けている最中らしい。男が動くたびに、落語家から、銃口がチラチラ丸見えになった。
 何分経っただろう。サルが何往復しただろう。
「よし完成」
 声がしたと思うと、檻の上からヒモつきのバナナがゆっくり降りてきた。サルが「マジで?」という顔で大反応した。一瞬、普段はトマトのように赤い尻が、青白く輝いたように見えた。
 完成と言ったのに、なおも男は忙しそうに動き回り、やがてダンボール箱を二つと、プラスチックバットを一つ、檻の中に放り込んだ。サルがびっくりした。そこで改めて言った。
「完成。サルがめっちゃビビった」
 落語家は銃を見つめた。引き金にかかったヒモは、天井の百円ショップで「そんなのよく見つけたな!」という特殊な輪っか付きの画鋲をくぐり、檻の中のバナナに伸びていた。小5の図工の力作クオリティである。
 男は落語家のガムテープを一気にとった。
「痛っ! く、工藤くん、許してくれや!」
 工藤くんと呼ばれた男は、何重にも立てかけられていたパイプいすを一枚、ぞんざいに広げた。そして、逆向きに腰掛けた。なぜこういう時、人は逆向きに座るのか。工藤ちゃん気取りなのか。
「始めるぜ落語家。ルールは見ての通り。サルがバナナを取った瞬間、引き金が引かれてお前は死ぬ。生き残る方法はただ一つ、サルの気を引くこと。引き続けろ」
「そ、そんな! 無理や!」
「黙れ! 得意の話術でやりゃいいだろ!」
 いきり立った工藤くんの怒声に、サルがまたビックリした。落語家は輪ゴムの中で泣きそうな顔をした。
「落語家なんだろ!」
「工藤くん、仲直りしょぉ! な!?」
「うるせえ! 黙れハゲ!」
「く・・き、君は」
「黙ってろハゲ!」
「き、君は人間のクズや!」
 落語家は態度を一変させ、目をつり上げた。工藤くんは体を硬直させた。
「ハゲは帽子をかぶればわからへんけど、クズは帽子をかぶってもクズや! 工藤、お前はクズや!」
 体中の輪ゴムを伸ばし、落語家ははき捨てるように叫んだ。
 工藤くんは口元を震わせながら落語家を見つめていたが、やがて大きなため息をついた。
「久しぶりに聞いたぜ・・・あんたが言うことはいつも一緒だ。三ヶ月前、食うために道を諦めた俺にあんたは言った。君は人間のクズや。あのときもそう言った」
「そうや! お前は諦めの早い負け犬、正真正銘のクズや! 俺にもできると調子よくこの世界に入ってきて、何もできん。話の一つも覚えられん。ちょっと寒いとわしの羽織を膝に掛けてぷよぷよしとる。四連鎖もできん。いやですと無理ですと風邪ですしか言わん。このアホンダラ! みんな、食うも食わずに一生懸命稽古しとるんや! ドアホ!」
「ツルッパゲ。なら証明しろよ。証明してみろよ! 食うより大事な落語があるのか、そのサルで証明しろ。落語なんかくだらねえんだよ。生きてりゃいいだろうが。マジになりやがって。ジジババの趣味だろ、死んじまえ。落語なんかサルだって興味ねえよ。誰もてめえに興味なんかねえよ。あんたはサルにシカトされて死ぬんだ。俺を侮辱するとどうなるか、思い知らせてやるぜ」
 工藤くんは立ち上がり、出口に向かって歩きだした。工藤くんは振り返らなかった。ごめん振り返った。そして言った。
「タイムリミットは、1時間だ。既に、あんたの一番弟子にはメールを送ってある。奴が演目終えてメールを見れば、すぐに大事な師匠を助けにくるだろう。かわいがった甲斐があったってもんだろ? クソやろうどもが。あばよ」
 重いドアが閉じられた。
 サルはバナナを見上げすぎたのと、寒いのとで首が痛そうだ。ぐるんぐるん首を回している。お疲れの様子だ。ケツも寒そうである。落語家は大きく息をついて、打開策を考えている。
 サルが一つの箱に飛び乗った。途端にこのひらめき顔である。ここにいる時のケツはあたたかいという発見をしたようだ。落語家の眉がゆがんだ。
 さらにサルは、バナナがいつの間にか自分に近づいていることに気づいたように、バナナを二度見した。落語家の咽がぐびと動いた。
 しかしサル、首がまだ痛い。ごりごり回す。落語家はさっきよりも熱い息をつく。
 サルがまたひらめいた。そうだバットで、あのバットで首をマッサージしよう。落語家の生え際から汗が一斉に飛び出してきた。
 バットを抱えて箱に飛び乗った時、サルはふいにバナナを見上げた。サルがベーブ・ルースに見えた。
「あかん!」
 一世一代の落語が始まった瞬間、銃声が聞こえた。あわてて始めたのは桂三枝の『エレクトロニクス・ハウジング』であった。
 銃の下にくくりつけられたレコーダーのテープは、サルがバナナを食べ終えてもむなしく回っている。今もまだ回っている。