ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ

 僕はいつものように、ご飯を食べるときの椅子を持ってきてその上に乗ると、押入の上の段に頭をつっこんだ。そしてお尻丸だしで、押入の中で音を鳴らし始めた。
*1
 ぼくの背中に誰かお客がいるのだろうか、うんともすんともない。茶をすする音だけがやっと聞こえて、僕は虚ろな目をしたまま押入の中で曲を奏でる。
 そして終わった。またしてもうんともすんともない。長い時間が経ち、誰かはもう退屈して帰ってしまったのかなと心配した時、声がした。
「そのギターは、いいギター?」
「いいえ、わかりません。このギターは、いいギターかもしれません。しかし、悪いギターかもしれません。世界中に、これよりいいギターがあるかもしれないし、ないかもしれません。もっとちがうギターがあるかもしれません。人によってちがうかもしれません。ていうか、ギター以外の音もしていたはず」
*2
「私はそのギターを見ても?」
「いいえ、できません」
「なぜ?」
「僕がこのギターを見せることは、僕がこのギターをいいギターだと考えていることになるからです」
「君は、そのギターをいいギターと考えてはいないんだね?」
「いいえ、実は考えています」
「なら、なぜ見せないの」
「わかりません。僕はこのギターはいいギターだと思います。でも、いいギターだとは言いたくないし、言っているのと同じようなことはしたくないのです。これをいいギターだと思う人だけ聴きにきてくれたら、ぼくはその人のためにやってあげて、それだけでよいのです」
*3
「嘘つけ!」
「ぼくは、セロ弾きのゴーシュというお話が大好きなのです」
「嘘つけ!」
*4
「嘘をつきました。今ちょっと思い出して、思い出したことによって今好きになったのです。こんなことがしょっちゅうです」
「君は、いい格好がしたいのだ」
「いい格好がしたいです。いい顔がしたいです。Wikipediaに載りたいです」
*5
「僕は、矢沢永吉の『成り上がり』を読んだことがないとは思えないほど、成り上がりたくてたまらないのが本当です。今、僕は誰の手も届かない押入の中に頭をつっこんでいますけれども、ギターを弾きながら、聞こえないのをいいことに、めいっぱい悪口を言っているのです」
*6
「あんなふうに、ぼくの悪口が、ぼくの口からでなく聞こえたら、どんなにいいかと考えることだってあるのです。それは悪口でも、その形で空気をふるわせるべきであり、誰かに聞かれるべきことかもしれないからです」
「でも、それではあまりに人任せ。誰かの何かを見て溜飲を下げるなんて。君はむしろ、そうなりたいのだ。完結し自立する悪として生きることに憧れているのだ」
*7
「僕が自ずからそうなれないのはわかっています。だから、僕は日々頑張りながら、ずっと助けを待つべきなのです」
「それは半端な男の甘い考えというものだ」
*8
「助けが現れなかったら? 助けが気に入らなかったら? 全然ありえる。わかってるはずだ」
「みんな好きに生きて、ぼくも好きに生きているからしょうがないのです。それならそれでしょうがないのです。ぼくはひとりぼっちです。今日みたく、やっぱりもうダメだと思うこともあります」
*9
「今のはストレートすぎました。実は最近、NHKで松本人志のコントと『プロフェッショナル』を見たんです。こんな気分はそのせいなのです」
「どうだった?」
「目指すべき星の光も、生きている限り、チラチラまたたいて見失ってしまうことがあります。がっかりしたというのでなく、幻滅したというのでなく、単純にわからなくなってしまったのです」
*10
「君はずっと前も今も、その押し入れから出て誰かをビックリさせたかったんだろう」
「僕は一生、押し入れから出られないような気がするんです。そんなことを考えると、もう、誰かの何かを見て刺激を受けたりすることも、少し退屈なのです。そんなことも考えるのです」
*11
「自分の中の変えがたいものが大きくなっているのなら、そうするべきだ。どうなんだ」
「わからないのです。どこに行くべきなのか、どうやって行くべきなのか、どうして行くべきなのか。いったい僕はどうすれば」
「そんな押し入れの秘密活動は止めて、コミュニケーションに生き甲斐を見出すしかないことぐらい、わかっているはずだ」
*12
「そうでしょうか。そうなんでしょうけど、絶対そうなんでしょうか」
「君が見切りをつけるなら」
「そうですか」
「じゃあ、いいね」
「もう少し待って欲しいんです」
 僕は大きなため息をついた。誰にも聞こえない。
*13
 ドアが閉まる音がして、人の気配がなくなった。
 僕はしばらく考えた。今日一日考えた。「海が嫌いなら、山が嫌いなら、都会が嫌いなら、勝手にしやがれ!」そんなことも考えたけれど、この引用はこれで合っているのか?
「お尻が寒い。気分は変わる。また明日、そして明後日、いつまでもがんばろう。きっとがんばろう」
*14

*1:「Mick Avory's underpants」The kinks

*2:「Guitar and pen」The Who

*3:「ワカンナイ」井上陽水

*4:トムとジェリー』より「ウソをついたら」

*5:「I Me Mine」THE BEATLES

*6:「王様の耳はロバの耳」

*7:「HEEL」Rhymester

*8:「パーマンはそこにいる」

*9:「one」Nilsson

*10:「覚醒(オマエに言った)」エレファントカシマシ

*11:『BAGがでる』いがらしみきお

*12:「あんまり覚えてないや」Mr.Children

*13:「BREEZE」サザンオールスターズ

*14:「朝寝坊」大滝詠一