花咲くコンプレックス

 昨日、絵がうまいタイプの舎弟が校舎の裏に落書きしておいたので、今日の決闘も雰囲気が出た。
 放課後を利用して、他校の制服が群れをなして7人ほど近づいてくる。
 番長の川藤は、ディレクターチェアに深く座っていたが、限りなく東にある高校からやってきた不良の中に見慣れない顔がいることに気づくと、思わずサングラスを外した。
 横で、いつ川藤が煙草をくわえてもいいように、雨の日も風の日も仮面ライダーV3ライターを待機している舎弟が察して、こう叫んだ。
「誰だてめえは!殺されねえうちに自己紹介しろ!」
 こちらには50人近くの不良がいたので、態度もでかかった。しかし、全く動じず、その男は言い放った。
「雑魚は降りしきる雪のように黙れ。それでもピーチクパーチクしてえなら、ケツの毛まで引き抜いてやる」
「ポエティックかましてんじゃねーぞ!?」
 一瞬、つむじ風が巻き起こったと思うと、たった今ポエティックと言った舎弟が、両鼻にライターをつっこまれた無様な姿で地面に転がっていた。
 男はゆらりと体をくねらせ、握り込んだ右手を前にのばした。ゆっくり拳がほどかれると、引き抜かれたケツの毛が風にあおられ、
「てめえ!よくも丸本を!」
 と詰め寄ろうとした別の不良の顔に一本残らずはっついた。
「ぎゃああああ!」
 川藤はまだ深く座ったまま、顔をかきむしりながら鯉が4匹だけいる池に飛び込んだ舎弟が派手に上げた水しぶきを見ても特に感想は無いとでも言いたげな顔で、主要四紙をすべて購読している鬼のような静かな迫力をたたえていた。
「ケツの毛まで引き抜いてやるぜ?」
 川藤の舎弟たちは後ずさりした。さっき初めて会った男の恐ろしさがわからないほど、成績オール1ではなかった。
 この時、川藤は静かに考えていた。
 俺は長い間、お前のような男を待っていた。すべて見渡すことのできる頂点にこの身をさらし、待ち続けていた。俺だよ。お前が抜くケツ毛は、俺だよ。一本残らずきれいに引き抜いてくれ。殴り蹴り刺し成り上がり、喧嘩の相手もとうになく、飢えを極めて今は飽き、花果の山にただ一人。自ら慰む孫悟空、ケツをまくれば野猿道。恋の一つもしたくなり、ケツの毛気になる17歳。清き我が身に憧れて、ヒゲそるワキそるケツ毛抜く。不惑の先に遠く見えるは、蟻と渡った天竺に、二人坊主の釈迦如来。遂に見つけた三蔵は、喧嘩の強い奴だった。
「う、うおおおお!」
「待て!」
 死ぬ気で飛び出そうとした舎弟を制して、川藤はディレクターチェアの座りを初めて浅くした。
「止めないでください川藤さん! こいつはやべえ! A級やべえス! でも、やべえからこそ、いかなきゃなんねえ。不良の端くれ気取るなら、まず俺が行かなきゃなんねえ。じゃなけりゃ、通販気取って海を渡ってきたメリケンサックが泣くってもんです。お、俺は、う、うらあああ!」
 それを合図に、最近入った者順で舎弟たちが次々と飛びかかる。
 男は入れ替わり立ち替わり現れる不良のケツ毛を引っこ抜きながら、抜くと同時に離し、離すと同時に抜き、季節外れのケツ毛の花を咲かせた。
 川藤は気が気ではなかった。
 バカ! あんなにやったら、疲れてしまう。疲れたら、仕事の方も雑になるはずだ。ケツの毛を引き抜く作業に、甘えやサボりが出てきてしまう。いや待て。奴はプロだ!ケツの毛を抜くプロだ!もしかしたら、むしろケツの毛を引き抜けば引き抜くほど、正確な動きになり、疲れも感じなくなる職人タイプなのかもしれない。そこまでのお方なのかも知れない。
 川藤は子供のように輝く目で、捨て鉢の叫び声をあげながら向かっていく自分の舎弟たちのケツ毛をばったばったと抜いていく男を見ていた。
「うわああああ!」
「・・・きた」
 怒号の中でも憧れの男の声なら聞こえる。噂は本当だった。
「うおらあああ!」
「・・れてきた」
「死ねぇぇ!!」
「つかれてきた。握力なくなってきた」
 川藤はその声を聞くか聞かないかのうちに、心のままに飛び出していた。ほぼ同時に、肩に重い衝撃が落ちた。川藤は崩れ落ちた。
 ぶら下がった肩を押さえて振り返る。
 まず、金属バットを構えた男が目に入り、なにをされたのかすぐにわかった。敵の幹部たちがニヤニヤ歯の抜けた笑みでこっちを見下ろしている。いつの間にか後ろに立たれていたのだ。これまで、一度も背後を取られたことのない川藤だった。
 それでも肩を押さえてふらつきながら、川藤はあこがれの男のもとへ、夢を追って走った。
 が、すぐに、その肩に蹴りを入れられ、派手に飛んだ。固い地面にまかれた砂利が乾いた音を立てる。
 それでも男の方だけを見て起きあがろうとするところに、蹴りが何発も飛んできた。鋭く鈍い痛みが全身に走り、誰のものとも最早わからない靴の裏とともに、自分の血へどが横っ面に激しく押しつけられた。
 それでも川藤は地に爪を立て、足をかき、這った。疲れているとはいえ、まだまだケツ毛を立派に抜き続けている男のもとへ、自分もどうしても行きたかった。
 チョビヒゲの不良が気づき、髪の毛をつかんで、無理矢理川藤の顔をさらした。
「こいつ、泣いてるぜ!」
「ダハハハハ!!」
 ふんぞり返って笑ったでかいリーゼントが、その体が戻ってくる勢いのまま、金属バットをその頭に振り下ろした。川藤は気を失った。ケツ毛ボーボーのまま、暗い鉛の底に沈んでいった。