今週号の高橋の顔

 俺は再び、エベレストの頂上を訪れた。
 そこには、俺の立つべき位置が、おしっこでバミられていた。Tの字を逆さにした黄色い形のすぐそばに「くろだ」という俺の名前。そして、おしっこが余ったらしく、少し離れたところがかなりまっきっきになっていた。
 話は、三年前のうるう年にさかのぼる。
「痛い痛いたいたいたい。てめっ、このっ」「うるせっ、このっ、うるせっ! 痛いたいたい」「二人ともやめろ。こんな美しい景色の中でやめろ!」「卑怯者めっ、こいつっ」「てめっ、タイムタイムタイム、バカヤロッ」「コラ! 先生の言うことを聞けないのか! 他の国の人も見てるからやめろ!」
 白井とのケンカの理由は覚えていないが、日本の恥さらしだから俺たちは拳を下ろした。しかし、あのときの憎悪が燃え盛るような高ぶりはよく覚えている。キャンプファイヤーで何をやったかは全然覚えていないが、激しく燃える炎の柄のTシャツを先生が着ていたことは不思議と覚えているように。
「三年後、同じ場所で決着をつける。先生、それならいいでしょ」
「決闘か。決闘なら、よし!!」
 先生の鶴の一声が俺達の運命を決め、雪崩を起こし、あと30mで頂上だった中年アメリカ人登山家夫婦が巻き込まれて麓まで滑り落ち、尻を激しくすりむき、離婚した。
 どうやら白井も腰抜けではないらしい。このバミリを見る限り、近くにいるのはまちがいないし、色や量、どこをどう見ても絶好調。かなり体調が良さそうだ。
 あれは一年前だったか、先生から頻繁に手紙が届くようになった。
「あの時は「決闘だからよし」と言ったが、あれから先生も色々とあったので、君たちのことについても考えを新しくした。まず、先生、アメリカ人に訴えられた。離婚調停と同時に、雪崩がなければ離婚することはなかったとして、先生に対する損害賠償が請求された。結果は、雪崩との因果関係を証明できないとして、おとがめなし。それ以来、先生、時々考えるんだ。あの時までは、先生が時々考えることといえば、あのときカラス何くわえてたんだろ、とかそういうことだったが、ヘビ?ということだったが、最近は、人と人が争うことについてよく考える。人生ゲームで集中攻撃を受ける人の気持ちを考えるようになった。その場の流れで、軽い気持ちで、人は人を攻撃する。その場のノリだから、本当はわかってやっているから。そう言い聞かせながら、同じことを繰り返していく。流れに身を任せてしまうなら、自分の声など必要ない。繰り返しているうちに、聞こえなくなる。自分の声に耳をそむけていると、そのうち、本当に聞こえなくなってしまう」
 最後の方は世界第一位のマンガ「リアル」のパクりだったので、鼻白んだ俺は真っ二つに手紙を破り捨てた。二週間後、伝わらなかったと思って、今度は「リアル」全巻が、あろうことか全巻マンガドットコムから俺宛てに送られてきた。放っておくと、次の月も送られてきた。それから毎月送られてきた。半年もすると、いやになった俺は全巻マンガドットコムから来るダンボール箱を開けずに廊下に積み上げていった。箱の数は数え切れず、窓をふさいだダンボール箱の山が光を遮った。
 白井のもとにも同じ手紙が届き、破り捨ててここに来たらしい。なぜなら、ふつうならエベレストの頂上にあるはずがない、単行本のオビと、ジャンプコミックスの新刊お知らせが目白押しのチラシが何枚かまとめて捨ててあった。奴のもとにもリアル全巻セットが。極彩色が白銀にぎらついている。これは、自然と集英社の戦いだ。
 チラシが突風で吹き飛び、集英社が標高8000メートルに散った時、大きな轟音が頭上からどんどん近づいてきているのに気づいた。
 上空を見上げると、ヘリコプターだ。近くでヘリコプターが見られて、まず嬉しかった。そして悔しかった。白井がヘリコプターを片手運転しながら、下をのぞきこんでいたのだ。さらに奴は、柔道着を着ていた。俺は着たかった。
 白井はためらいもなく、20m上空から飛び降りてきた。無人になったヘリコプターがバランスを失ってどっか飛んでいくのをバックに奴がくる、どんどん下降してくる。そして、まだこちらまでだいぶ距離があるのに、空中に本気で飛び蹴りを入れた。
 疑問に思ったが、蹴りをくれた体勢のまま、「やれることは全部やった」という顔で落ちてくる白井を見て、俺は「あっ!」と声をあげた。
「ストツーの、ケンが強キックを出した体勢のまま落ちてくるやつだ!」
 俺は間一髪、転がり避けた。すると、背中に何かぶつかった。おそるおそる振り返ると、全巻マンガドットコムのダンボール箱だった。どこかで、ヘリコプターが爆発する音が聞こえた。