名も知らぬ遠き島より

 バスケ部キャプテン(モテモテ)の豪快なダンクシュート(モテモテダンクシュート)が決まり、スコアは5ー0になった。黄色い歓声がこだました。
 ゴール下で立ち尽くしているのは、こないだジャングルからサルと一緒に転校してきた男、ヤシノミ(中2)。彼は今、初めて挑戦するバスケットボールというスポーツでいいようにやられていた。サルは転校翌日に逃げ出し町なかで作業着の男たちに追いかけられ、愉快な全国ニュースになっていた。
 負けているというのに、肩で息をするヤシノミの顔に浮かぶのは笑顔、ウソちがう、笑顔じゃない。笑顔は見せていない。あの顔は、小さい子がボウリングに行って大人用レーンにチャレンジ、全部ガーターで迎えた第四フレームの二投目が投げた瞬間にガーターとわかった時の、夢も希望もない顔だ。
 小さい頃からジャングルで育ったはずの男は今、都会に出て高い壁に突き当たり、ふてくされている。双眼鏡でのぞいてみると下を向き、「は? は?」とつぶやいているではないか。まさに最初の威勢がウソのようだ。
「バスケ部キャプテンとやら、日本テレビにタモリは出てるか?」
「ん? どうかな。出てるっけ? 出てないんじゃないかな」
「ジャングルテレビにはでてたぜ。レギュラーで!」
「ピピーー! 試合開始!」(審判)
 いったいあの頃の威勢はどこにいってしまったのだろうか。
 世界一のマンガ「スラムダンク」の序盤、主人公の桜木花道(赤い髪をした不良)がバスケットボール部の赤木キャプテンとワン・オン・ワンで対戦したとき、ド素人のはずの桜木花道が、ルールを無視していたとはいえ豪快なスラムダンクを決めてしまった。それを単行本で読んだとき、赤木の頭が長くて不自然だったし、胸がふるえた。
 もしあの時、桜木花道がダンクを決めなかったら、翌週のジャンプで一番後ろの方に載っていただろう。そして柔道がからんできたあたりで、「井上雄彦先生の次回作にご期待ください」の悲しい文字が印刷されていたはずだ。そうすればあの感動は生まれず、『BUZZER BEATER』を本棚にどうしまうかあれこれ悩むこともなかった。
 つまり、主人公ってやつはいつでも、体当たりのリアクションで周囲を巻き込み続けなければいけない。息継ぎ無し。そして自分の人生では誰もが主人公(さだまさし)なのだから、68億人が全勢力をかたむけてドタバタ劇の一番砂ぼこりが立っているとこへ飛び込んでいかなくてどうする。

 転がったボールをキャプテンが拾ってやり、放り投げた。が、ヤシノミは下を向いて無反応。ボールはぶら下げた手首に当たってむなしく弾んだ。
 体育館がざわざわした。
(もう、絶対に、ボールを受け取らない気だ)
 弱い人間ども、どうか目をそらさないでほしい。人はこうして、自分が主人公なのか疑うようになる。コンクリートジャングルだからいけると思っていたヤシノミでも一発でこうなってしまうのだから、最初からこの殺伐とした社会の中でもまれてたら、もっともっと早めに卑屈になってしまうだろう。6歳ぐらいで、こいつには勝てないと認めた人の飲み物を率先してつぐようになり、シャボン液を譲るようになり、一人でしかプレイできないゲーム(さんまの名探偵)を後ろで盛り上げるようになる悲しい運命(さだめ)だ。
 一応、もう一度投げてみたが、今度はヤシノミが当たる瞬間に斜めを向き、ケツに命中した。
 キャプテンは性格もよかったので、困った顔を浮かべたあと、機嫌をとるため特別ルールを提案した。
「ヤシノミくん、確かにこの勝負はフェアじゃなかったよ。そこで、こんなルールはどうだろう。実は体育館にはロープをたらすことができる機能があるんだけど、ロープを沢山たらしてバスケをするんだ。ジャングル育ちの君は、ロープからロープへドンキーコング状態でゴールをめざし、ぼくはロープをゆらしてディフェンスする」
「ウホ?」
 機嫌を直したヤシノミはボ−ルを脇に抱えて、ロープが用意されると一気に登っていったが、すぐ降りてきて「天井こわい」と言って死んだ。翌朝、サルがつかまり、ジャングルの精霊たちは一瞬空を見上げて悲しそうな顔をすると、円高と円安の勉強を始めた。