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『シークレット・サンシャイン』

 ひどいネタバレ。
 まず、うちでは家族でレンタルしたDVDを共有してるんだけど、母親が観たら「よくわかんなかった」と言ってた。「何が言いたかったのかしら?」と言ってた。「そうだねぇ」と生返事をかますのは、うちの母親はこうやって映画を観ていくしかないことがもう決まってしまっているからで、それで全然かまわないと思うからこそ、人間の個人個人に起こる森羅万象のプリズムが反射しあうこういう映画を観て心が震える。
 未亡人の主人公が息子まで殺されるのって救いなくない? でも宗教があった! って展開で話が進んでいくけど、こんな腐るほど人間だらけの世の中だから、神様に接触している中でも「おい神様てめえ!」って声が聞こえてくるわけ。「こんなんなっちゃってけど、え? 神様いんの?」ってぐらいの理不尽な理不尽な不幸がある。
 自分の子供を殺した憎くてしょうがない奴を、神の教えをイエスの教えを受けて許してやろうと面会に出向く主人公。そこにいたのは、神に出会って「ええ、神は許してくださいました」と安らかな顔をしている人殺しだった……!
 「もう許されている人間をどう許すのか?」という問いが生まれるところに救いはない。ないよね、どう考えても。自らの利他的な「許し」が利己的なものとして暴かれる時、目の前の男は「許し」にあぐらをかいて利己的に開き直っているようにしか見えなくなる。神の「許し」をどんなやり方で利用してもいいとして、それでも安らかな心を持てない最悪な状況に追い込まれたなら、宗教なんて意味まったくなし。なぜなら、最悪の状況に追い込まれた時にこそ人間を救うのが宗教だったはずなのだから。
 だから主人公は宗教そのものを憎む。こういう気持ちってすごくよくわかる。宗教じゃなくても、自分を裏切ったものが人に認められているって現場はつらすぎる。そういうの学園マンガで読んだりしたことあるし、人生の中で味わったりしたことあるもの。
 で、主人公はつらすぎて頭おかしくなって、何が神だふざけんなって、キリスト教の集まりの中心人物的おっさんをエロ〜く誘惑したりするんだけど、救いがないわけ。そんなの成功したって、私怨が成就するところになんか救いはないわけ。しかも中途半端に成功したんだかしないんだかで、超むなしい。
 ソン・ガンホ演じる男は、こういうとこでものすごく重要な役割を果たしてる。こいつは映画が始まって十分ぐらいかな、そっから出ずっぱりで、主人公が好きだからってずっと付きまとってんだけど、どう考えてもダメ、脈無しなわけね。で、主人公がキリスト教にすがった時も、自分も宗教入っちゃうわけ。もちろん見るからに信心ゼロで、泣いてんの見て引いてるし。さっきの、許すために面会行くって時も、主人公の付き添いで一緒に中に入るんだけど、建物の中に入るとき、彼女の仲間が外から「ファイト」って声かけたら、振り返って鼻で笑うの。ここ、ものすごい印象的。ああ、こいつ何にもわかってない。こいつには一生、彼女の気持ちなんてわからないんだと強烈に思うね。
 ところがところが、それが重要だったりするわけ。悲劇の主人公の気持ちを慮ってくれる人って、観てると、実はたくさんいるの。それこそ、教会の仲間は、親しかれ親しくなかれ、彼女のために祈ってくれる。でも、彼女は救われないの。そんな時にこそ、ちゃんとまともに、それこそ御心から慮れないのにそばにいてくれる人っていうのが、人間の人間同士の関係性の中で大きな意味を持ってくる。それこそ「救い」になってくるって、一見矛盾してるようなことが確かにあるの。だから人間のことは、何度映画化しても面白いし、映画を観て人生が変わってしまう。
 光が当たってりゃいいもんじゃなくて、誰かに光を当てることで、人間が生き生きしてくるってのも、大事だよね。彼女は、ものすごく愛に満ちた光を当てる唯一の存在である子供を失って途方に暮れて、今度は罪人に光を当てようとしたんだけど、ダメだったわけじゃない。それで、失意の主人公のためにあれこれ手を尽くしている人たちが生き生きしてくればしてくるほど、光って、幸せってなんなんだろうというこの映画の仕掛けたなぞなぞが難しくなってくる。
 これはね、救いを与えるという救いに関する映画なのよ。
 いつだっておかしいほど誰もが誰か救いを与えて与えられて生きるわけでしょう。ソン・ガンホは別に何も困っちゃいないんだけど、それは彼女が救いだったからで、なんだかずっと楽しそうなんだよ。しょうもない猥談しかしない仲間がいて、彼女がいて、それが救いだから、ちゃんとチャーミングに生きていけてるんだ。
 人間の関わりの中で、我が子に与えるように、誰かに救いを与える者として存在しているって光。それが悲劇の中ですらもたらされてしまうっていうのは救いでしょ。そう考えたら、実際この世の中は、人間らしくしてたら、たった一つの救いだらけなわけ。
 それで、終盤のとこ。彼女が人間らしかった頃にもたらしたものが、その光を失わずにいて、さりげに射してきて、笑顔が見えるのは実にグッときちゃう。
 そこで何か変わるんだ。変わるからこそ、主人公はソン・ガンホに鏡を持たしてやるわけだ。だって、人間はそうやって、救いを与えて、与えられて生きていくしかないんだから。
 それを読み取れない母親にげんなりもするけど、もうそろそろ母の日だな、とか思ったりする。そういうこと。