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Mama don't go, Daddy come home

 家族で集まるなんて、ずいぶん久しぶりだ。家族っていってもたったの二人ぽっちだけど、お母さんが久しぶりに帰ってきたのだ。
 お母さんが腕によりをかけた、ぼくがいちばん好きな麻婆茄子の夕食を食べ終わると、ぼくたちは家にあるものだけで自衛隊の戦車に勝つというテーマで話し合った。
 ぼくが「エアガンがあるよ」と提案すると、お母さんは「バカか」と言った。
「バカか。向こうさんに本物があるのに、オモチャを使ってどう…バカか」
 勇気のくじけたぼくが黙っていると、お母さんは助言してくれた。
「もっと、アイディア主婦目線で自衛隊と戦うんだ。家に転がってるありとあらゆるものに戦闘能力を想定しな。まず、戦車の自由を奪わなくては、我々に勝ち目はないよ」
「動けなくするの?」
「そうさ。それに実際の戦闘じゃ、いきなり戦車の前に立って『ファイト!』とはならないだろう。リアルに考えなくちゃ。リアルに考えてこそ人生はおもしろいんだ」
「そうか。ぼくたちは、戦車に近づくところから考えなくちゃいけないんだね」
 とても難しい問題だ。戦車の一番絵に描きやすい部分、あのぐるぐる無限にまわる砲台。どこから飛び出したぼくたちにも照準を合わせるであろう、あの優れもの。
 ぼくのシミュレーターの実力では、たとえお母さんが剥いた甘夏で糖分を補給しながらでも、戦車に近づくことすらできなかった。お母さんも何か考えているようだが、ぼくの教育のためだろう、決して口を開かない。
 ぼくは頭をクールダウンしようと、冷蔵庫まで氷を食べに席を立った。ゴリゴリ氷を噛んでいるぼくの目に、シンクにある色々が飛び込んできた。
「お母さん、キャタピラに、このジョイをまき散らしたら、進めなくなるんじゃないの」
 お母さんは、ぼくの方を見て一瞬かたまり、
「天才か」と言った。でも、すぐに「いや、バカか」と首を振った。
「バカか。どうやってキャタピラの下にジョイをまき散らすんだよ。とんだ茶番だ。いったい誰がどうやって…バカか」
 せっかくいい案だと思ったのに、バカかと言われてうなだれたぼくには、これ以上いい案は出せそうになかった。それでもなお自衛隊に勝つ方法を考えていると、今は使ってない部屋の方からかすかに、テレビつけっぱなしにしてる時みたいな声がした。
 胸さわぎがして、ぼくは部屋まで廊下をすべった。
「必要なようだな」
 つぶやいていた。飼ってるハムスターが、小さな声で何度も、同じことをつぶやいていた。
「どうやらオレの力が必要なようだな。どうやらオレの力が必要なようだな」
 それは、ゲージに耳をぴったりつかなければはっきり聞き取れないほど小さな声だった。どうやら、ぼくがリビングにいる時はかなりでかい声を出してその存在をまず知らせ、近づいてくるにつれてトーンを落とし、げっし類なりにクールさを演出したらしい。
「やってくれるのか。飼い始めて一年、名前もまだつけてないのに、力を貸してくれるっていうのか」
「条件は、小屋の掃除だ。もう2週間してない。空気が黄色いぜ」
「うん、うん」
 ハムスターを肩に乗せてリビングに戻って、お母さんに意気揚々と作戦を報告した。ばれずに接近できるハムスターが、サビた回し車でも無理やり楽しむことができるたくましい四肢の力でジョイをまき散らす。
 お母さんはため息をつき「バカか」とだけ言って窓の外を見てしまった。
「どうして?」
「少ないよ。バカか。戦車をチョロQてんてこまいさせる量のジョイを、そんなオチビちゃんが、どうやって持って行って、どうやってまくっていうんだ。バカいうんじゃないよ。バカか。そういうのを焼け石に水っていうんだ。ハムスターくさいくさい」
 ハムスターはぼくの肩の上でうつむいてしまい、かなりのくささだった。実は、肩にのせた時点でそのすさまじさには気づいていた。でも、気づかない振りをしていた。
「自分にできることをしろよ」
「飲みます」
 ハムスターが、間髪入れずに丁寧語で言った。どうやら、お母さんを上官を認めているらしい。
「ジョイを、胃と頬袋がはちきれるまで飲みます。それで、キャタピラにつぶされます」
 ハムスターは肩を怒らせた。目は本気だった。本気でくさかった。
 ハートマン軍曹の目になったお母さんと、ハムスターの視線が交錯し、そこには確かに、かめはめ波の押し合い的なものが見えた。そしていったいあれは、体のどの部分の何という力をどう使っているのか見当もつかないが、二人の目はときどき二重になったりした。
 3分ほどバチバチやっていたが、ついに、ハーーーーッ!! という声がしたような気がしたとき、一瞬にして、母さんのかめはめ波にハムスターが飲み込まれた。
 ハムスターは前歯丸出しで戦意を喪失し、ペットショップのガラスケースの中、みっちり詰まった巣箱の一番下に丸まって、ほかのやつに踏まれながら寝たふりで生きていたあの頃の覇気のなさに戻ってしまった。
「だから足りないよ。バカか。いくらハムちゃんがジョイを浴びるほど飲んだって、足りないもんは足りないんだよ。根性で戦争ができるか。ジョイも頭も足りてないバカが」
 自衛隊と戦う時にハムスターは役に立つのかという根本的な問題が決着した。わいはダメや、ダメな男なんや。ハムスターはそんな目をしていた。毛並みも、本当にさっきと同じ奴かと思うほどグッと悪い。
 もうペットとしても立ち直れないんじゃないか、病院に連れて行かなければいけないんじゃないかと心配した時、その役立たずに、上官から任務が言い渡された。
「お前が飲むのは、ガソリンだよ」
 ハムスターが顔を上げた。ぼくも驚いてお母さんを見た。
「ガソリンを死ぬほど飲んで、大砲の先っぽから飛び込め。そして、中で爆発しろ」
 無茶だ! ぼくは叫ぼうとした。が、声がでなかった。ぼくの口を、ハムスターが横から前足で押さえつけていたのだ。ひょっとこ状態で、ぼくはハムスターの決意を聞くことになった。
「アイ・アイ・サー」
 そんな、だって、だいたい、そんなことをしたら。今まで、一年も一緒に、楽しく、掃除をしなかったのは悪かったけど、家族として暮らしてきたのに。
「ハ、ハムちゃん」なんとか別の手がないものか。ぼくは脳をフル回転させた。
「仕方ないのだ」使命感が芽生えたのかハム太郎口調になっていた。
「で、でもさ、無理だよ。ほら、だって、そこまでハムスターを運べないよ。同じ問題だよ。ハムスターだけじゃ、あんな高いところに入れないでしょ。誰か入れてあげなきゃいけないんだし、でもぼくかお母さんが行ったら自衛隊にはバレちゃうし。ほら無理だよ。バカか! バカだよ!」
「クルッポー、クルッポー」
 ぼくの声を遮るように、窓の外から誰かの鳴き声。続いて、窓ガラスがコツンコツンとたたかれた。
「き、君は」ぼくは驚き、大きな叫び声をあげた。「いっつもベランダとまってる鳩!」
 鳩は、ぼくの声に動じる様子もなく、首だけ動かして、コツコツと窓ガラスをたたいていた。
 お母さんが、そっちを見もせずに窓を開けた。
「なにかでっかいことをしでかしそうな中流階級の家を選んでとまってたんだが……俺の鳥目に狂いはなかったようだな。どうせ老い先短いこの命、米をまいてくれる家のベランダにもフンをまき散らしてきたクソ袋だが、協力させてくれ」
「あんたの任務は――」
「弾が発射される瞬間、ガソリンの詰まったハムスターごと戦車の砲筒に飛び込む。そうだろ?」
 お母さんは返事をする代わりにぎろりとにらんだ。鳩は一度、くちばしを前に出してクルッポーした。
 作戦がだんだん整ってきた。ぼくも覚悟を決めることにした。だから聞いた。
「お母さん、ぼくは何をすればいいの?」
「戦車が燃えている隙に、戦車に近づき、ハッチを開けて出てくる自衛官を、包丁でくり返し、ぶっ刺せ。いざという時のために、ガソリンは飲んでおくこと。ポケットにはジッポーをしのばせておくこと。2秒で火だるまになる覚悟を決めておくこと」
 主に水や牛乳、炭酸飲料などを飲んで生きてきたぼくはびっくりしてしまったが、「お前もな」と鳩が指さされたので、みんな飲むんだと思ったら気が楽になった。ぼくはうなずいた。
「義人くん、義人くん?」
 叔母さんの声でぼくは我に返った。
「そろそろだって」
 見上げると、高い煙突から出ていた煙も、ほとんどなくなっていた。
 ぼくはまた、さっきまでの心配事、箸使いが下手なぼくにお母さんの骨が拾えるだろうかという不安を思い出して、憂鬱な気分になった。叔父さんが一歩一歩、踏みしめるように砂利の上を歩きだした。
 お母さんが骨になる間、ぼくはずっとこんなことを考えていた。ぼくのお母さんではないどこかのお母さんが、ぼくではないようなぼくと何か愉快なことをする、そういうことを夢中で考えていた。