レジスタンス失敗

 人ん家の庭を物色しているのは、悪名高い毒蛇塚兄弟。通っている高校では、兄がダブっている間に弟が上級生になったり、弟がダブっている隙にまた兄が抜かしたりとデッドヒートを繰り広げ、そろって三年生になり迎えた進路面談では、先生をなめくさった態度でずっと黙っていると思ったら、帰り際に振り向いて、大好きなたむらけんじのギャグをやるほどのワルである。
 毒蛇塚兄弟は、ある家の前で立ち止まった。二人が見つめるその家の庭には、古ぼけたベビーカーが一台、雨ざらしにされていた。玄関の横には、真新しい小さな三輪車が置いてある。目を合わせ、兄弟はうなずいた。
 二人はベビーカーを押して、できるだけ繁華街と逆、できるだけ変な方向へ行く私鉄と平行に走った。
 その先には、高台へ続く坂道があった。二人ともすごい気に入っている、長い長い坂があった。
 子供のころ、その坂をマウンテンバイクでよく駆け下りた。
 時速けっこうはえーぞの風を体全体で感じた。
 足を広げ、大きな声で叫んでいた。
 遠くに、海が見えた。
 気持ちよかった。
 二十歳手前になった今、二人はそれでは満足できなくなっていた。色々悩みもあるし、ジェットコースターとか乗ったことあるから、下り坂を立ちこいで山おろしの風になろうと、趣味は特にないです、という気持ちになってしまうのだった。
 二人は、今思うと外国のやつっぽい感じがするベビーカーを押して坂を上った。兄と弟の胸はあの日のように高鳴っていた。ここから俺たちはやり直せる。捨てる前に雨ざらしにしてある人のベビーカーを盗み出し、坂の上から勢いをつけて落とし、下にある大きめのラーメン屋の駐車場の壁にぶち当てるという思いつきは、俺たちの人生もうひと山あるぞと感じさせるには充分だった。日ごろゴミ出しを頼まれただけでたまってしまうストレス発散に、使えるものはなんでも使う。
 地球は、毒蛇塚兄弟を中心にして回っているんだ。気に入ったファッションブランドがつぶれてむかつくぜ。俺たちのイラ立ちはそうだろ、神様の耳に届いている。ストレスの収支報告が届いているはずだ。
 兄弟は坂の頂上についた。都市開発のせいで、もう海は見えなくなっていた。
「百億万年変わらない何かを探して、行くぜ!」
「うん、兄ちゃん!」
「待って!」
 毒蛇塚兄弟の後ろから、聞きなれない低い声が聞こえた。
 見ると、パンツ一丁の少年が、大きなスイカを抱えて立っていた。

「こいつも載せよう」
「お前は……」
 少年は答える代わりに、毒蛇塚兄弟に背を向けた。肩甲骨のあたりから小さな白い羽が生えて、小刻みに動いていた。
 口をあんぐり開けて何も言うことができない毒蛇塚兄弟を見て、少年は言った。
「ぼくはこの町の天使」
「天使」
「そう。もっとも、声変わりして昨日付けでクビになったけどね」
「クビに」
「天使は、ちょっとエロいことを考えただけで、声変わりしてしまうのさ。そして声変わりしてしまえば最後、もう天使ではいられないんだ」
「て、天使も大変だぜ!」
「ちょっとエロいことと言っても、正直フェラチオのことを考えるぐらいでは大丈夫なんだ」
「そ、そうなのか」
「いや、正直に言おう。ディープスロートのイラマチオのことを考えても、声はかわいらしいままなんだ」
「じゃ、じゃあ一体、お前は何を考えたんだよ!」
 興奮してきた毒蛇塚弟に、昨日の天使は柔らかな微笑を差し向けた。少し過去を振り返るような顔をしたが、すぐに首を振った。
「君たちは、ここに何をしにきたんだよ。人の過去を詮索しにきたのか?」
「いや……」
「まるっきり逆だろ。君たちのストレスの収支報告はぼくに届いてたよ、真っ赤なやつがね。とにかく、早いとこベビーカーをスイカごとぶちかまして、世間様に目にもの見せてやろう」
 昨日の天使は、ゆっくりした動きでスイカをベビーカーに放り込んだ。そこでしばらく、赤ん坊のようにぴったりベビーカーへ収まったスイカを見て真面目な顔で何か考えていたが、やがて顔を上げた。
「いや」
 小さな声でつぶやき、毒蛇塚兄弟を一瞥した天使は、坂の下に視線を移して険しい顔つきになると、低い声でこう言った。
「ぼくごと行け」
 遠くで、電車の音が響いた。
「ぼくはもうダメだ。ぼくを殺してくれ」