俺は見たしビデオにも撮った

 タイマン勝負のだんとつ人気ナンバーワンは、ムッシュかねやつ先輩と相場が決まっている。
 かねやつ先輩のファイトスタイルの特徴は、一発殴られるごとにそのへんに小銭を撒き散らすこと。驚くべきは、気絶するまでは何発殴られようとも無限に小銭が飛び出してくることだ。そしてそのことに自分では気付いていないらしい。
 今までの最高記録は、西高の最強総番長 諸星、がヘロヘロになった金田先輩の腹に猛ラッシュを入れたら、20回連続で五百円玉が三枚飛び出してきたことがある。このときはみんな夢中で拾った。別のタイマンでは、最後のパンチで失神する際、合計1867円が一斉にジャロッと出てきたときは不良のウェーブが起こった。
 拾った小銭は、一年は5%、二年は10%、三年はもうすぐ卒業だから金ためとけよという理由で25%、懐に入れることができる。残りの60%は四天王と呼ばれる4人の三年生に上納される。ちょろまかそうと思っても、タイマンケンカのあとに「健康にいいから」との理由で毎回行われるラジオ体操による小銭隠しのチェックが行われるのである。小銭たちが奏でる音でちょろまかしがばれた瞬間、ドライヤーの最高馬力で極限まで熱くした十円玉をセロハンテープでへそに貼られるという厳しい罰が待っている。冬は、逆にキンキンに冷やした十円玉を貼っつけられる。
 心配な計算ミスも、四天王の一人である前田さんは非常にいい電卓を持っているのでない。ときどきはある。
 このように、かねやつ先輩が出す小銭は二重三重のシステムで完全に搾取されていた。


「かねやつ先輩、今日もタイマンおつかれさまです」
 俺は傷だらけの先輩にタオルを手渡した。
「すまねえ、小松」
「明日は、第三高専の大男と二時からタイマン。ダブルヘッダーです」
 かねやつ先輩はタオルの隙間から顔をのぞかせ、しんどそうな、居残り練習をさせられている犬みたいな顔をした。
「小松、答えてくれ。どうも……どうも俺ばっかりタイマンを張っている気がするんだが、お前どう思う」
 かねやつ先輩のお世話を任されている俺は、四天王の一人からは「ムッシュには、俺たちがお金をばれないようにしろ」と言われていた。確かに「ムッシュには、俺たちがお金をばれないようにしろ」と言ったが、それでも聞き返したところ、「何度も言わすな。ムッシュには、俺たちが、お金を、ばれないようにしろ」とゆっくり言ってくれた。
「小松、俺はプロ野球みたいなスケジュールで戦っているぞ。大して強くもないのにどうしてなんだ」
「そんなことないですよ。強いですよ」
「強くなんかない。俺より強いやつはいっぱいいる」
「先輩は強いですよ。大丈夫です。どうしてそんな弱気なこと言うんですか」
「今日もいいように殴られて負けたし……今日だけじゃねえ。今日まで何百戦したかしれないが、一つ一つ思い出してみても、いいように殴られてほとんど勝ったことない。毎回気絶してるし。それに……」
「それに?」
「あの、自分でパンチしてボクシング人形を動かすゲーム、あれでも勝ったことねえ」
「あんなの、ぼくも勝ったことないですよ」
「嘘つけ! 一回ぐらいあるだろ! 俺はいつもだ。いつも、終わったよと声をかけられた時には俺の人形が仰向けになっているんだ」
「どんだけ夢中でやってるんですか」
「誰よりも大騒ぎしてるはずなのに……」
「別に騒げば強いってわけじゃ」
「あんなにムキムキで強そうな黒人を使ってもだぞ。そうかと言って白人を使ってみたら、最初の立たす段階でバンバン背中から倒れて全然立たねえ。神も仏もいやしねえ」
「あれを立たす担当の神様はいないと思いますけど」
「アメリカ製だからか?」
「え?」
「昨日なんか母親に12連敗だ! クソッ!」
「お母さんとやってるんですか!?」
「なんだよ。暇なんだよ。夜とか暇すぎるだろうが!」
「別に暇じゃないでしょ。いろいろやることありますよ」
「何やってるんだよ。例えば何をやるんだ!」
「例えばって…昨日だったら、ポニョがやってたじゃないですか。ポニョを見てましたよ」
「ポニョ……? 映画の?」
「そうですよ」
「だってこの前やったばっかじゃん」
「でもやったんですよ昨日」


 第三高専ちかくの公園。
「小松、いったいムッシュはどうしたと言うんだ。全然小銭を吐き出さないじゃないか」
 裏返しでしいたバーバパパのビニールシートの上にひしめきあっている四天王の一人、五島さんが不機嫌そうに言った。
 確かに、ムッシュかねやつ先輩は、第三高専の大男にいいように殴られているが、出てくる小銭といえば、歯形のついた一円玉や変な緑色がついた十円玉、ゲーセンのコインばかり。やる気が感じられない。金を引き出すために失神しないよう手加減している大男も、かねやつ先輩がブランコの手すりをつかんで辛そうにしているので、「出せっ」「出せっ」とケツをよくしなる小枝で叩くばかりだ。
 遠巻きにいる今日も元気いっぱいの不良たちは、ガマグチこそ首にぶらさげているが動こうとせず退屈そうだ。二人のそばでは、近所の5歳ぐらいの女の子とその弟がしゃがみこんで小さなバケツに小銭を集め回っているだけだ。
「なんだあのザマは。あれじゃあ、タイマンをさせている意味がない」
「本人のモチベーションが高くないと、小銭の出が悪いことぐらいお前も知っているだろう」
「小松、いったい何があったというんだ」
「お前が知っている理由に聞かせてもらおう」
「実は……」
 俺は、ムッシュかねやつ先輩がポニョを見逃したことに大ショックを受けて、だから小銭もうまいこと出てこないことを伝えた。
「なんだと。あんなにいっぱいCMをやっていたのに見逃したというのか」
「ちょっと待て」四天王でもケンカ最強と目されている古賀ガイガン先輩が目をぎらつかせた。「いつやってたって?」
「一昨日です」
 それっきりガイガン先輩はうつむいて喋らなかった。
「それでムッシュはショックであんな状態なのか」
「知らぬが仏とはよく言ったものだな」
「オレはポニョをビデオは撮ったぞ」
「かねやつ先輩は、ポニョがやってるときは、暇すぎてボクシングの人形を自分で動いて戦わせるゲームで遊んでたみたいで」
「あの黒人と白人のやつか」
「なつかしい」
「あれアメリカ製?」
「にしてもそんなもの、誰と遊ぶんだ」
「母親です。一回も勝てないそうです」
 五島さんはしばらく考え込んでいたが、鬼の金の亡者ような目で俺をにらみつけた。
「とにかく小松、こんなことになったのはお前の責任だバカヤロウ。なんとかしてやる気を出させて、100円と500円の雨を降らせろ」
「50円でもいいよ」
 俺はすぐに動き出した。周りにいるみんなに声をかけ、事情を説明した。
 他校の不良も、それは困る、なんのために来たのかわからねえ。終わったら貸してくれ、と言いながらお金を少しずつカンパしてくれた。
 俺はTSUTAYAにひとっ走りして戻ってきた。
 大急ぎで、大男の頭の上に新品の『崖の上のポニョ』をくくりつける。子供たちはもう帰ったらしい。
「先輩、相手の顔をよく見て! 先輩!」
 今では、おしり丸出しで手すりにつかまって辛そうに下を向いていた先輩は、半泣きで振りかえった。ポニョのDVDが目に入る。
 ところが先輩は、ふてくされた、メスに鼻ぶたれたオスライオンみたいな顔をして、また下を向いてしまった。
「なんだと! バカな! おい、先輩!」
 次の瞬間、「てめえ、金返せ!」といきり立つ二百人に詰め寄られ、その集まる力で体がどんどん上にあがっていく俺。俺は、こういう場面をジブリ映画で何度か見たような気がした。
 ぐんぐん上がってビルの三階ほどの高さまでになった時、DVDで見れるからといってテレビを見逃したショックが和らぐわけではないということを思い知りながら、野良猫が隠れてる茂みの方へゆっくり倒れていった。