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モテモテ指南

 放課後、六年生の小島くんは転入生の唐沢くんを呼び出した。
「唐沢くん、急に呼び出してごめんよ」
「ぼくは忙しいんだぜ。5時から塾があるし、7時からはネプリーグを見るんだ。早く済ましてもらわないと」
 唐沢くんは小学生にしては長めにカットされた髪の毛をいじりながら、腕時計を見た。学校では禁止されているが、先生、男の先生、教頭先生を次々に論破し、ついには校長先生をぐうの音も出ないほどいてこまし、土下座までさせたらしい。これは噂だが、校長先生は今でも彼のことを「唐沢さん」と呼ぶと聞く。
 しかし何より、小島くんが唐沢くんに憧れるのは、そのモテモテ能力であった。転入初日から唐沢はモテにモテた。勉強はできるが、顔が特別いいわけではない。しかしモテにモテた。
「ぼくも唐沢くんのようにモテモテになって、スペッシャルな人生を送りたいんだ」
 唐沢くんはため息をつき、何か考えている様子だったが、黒板の所までゆっくり歩いて行ってチョークを手に取った。
「小島くん、だっけ?」
「うん」
「君、ぼくが転入初日に、マドンナの松川さんに何て声かけたか知ってる?」
 小島くんはそのときのことをよく覚えていた。ものすご美人の松川さんは、その性格でも男子の人気を集めていた。引っ込み思案とは一味違う、恥じらいのあるおしとやかさ。頭もよく、字もきれい。休み時間に唐沢くんに群がるB級女子とは違って、いつもと変わらぬ様子で本を読んでいるところも最高だった。そこに唐沢くんが近寄っていった時、小島くんは掃除ロッカーを高速で開け閉めする遊びを一瞬止めて「玉砕しろ!」と呟いたのだった。しかし。
「君もカレーライス好きなんだって?」
 唐沢くんは黒板に乾いた音を鳴らして自分のセリフを書いた。
 まさか、あれ一発で松川さんが唐沢くんの虜になってしまうとは。松川さんは、見たことのないいささか上気した顔で、カレーライスのことを楽しそうに喋り、シルバニアファミリーのことを表情豊かに喋り、塾のことを皮肉交じりに喋った。近くで寝たふりをしていた沼田くんに聞いたら、
「ぼくたちの全然知らない情報ばかりでした。松川さんは本当に楽しそうでした」
 と丁寧語で驚いていた。
 今までの小島くんたちの松川さん情報ときたら、「美人」「家が質屋」「ネコ派」にとどまっていた。それを、たった一日であれほど莫大な情報を引き出してしまうとは。
「君は、どうして松川さんがカレーライスが好きだって知っていたの。誰か女子に聞いたの」
 小島がそう聞くと、唐沢くんは笑った。
「そんなの知らないさ」
「じゃあどうして」
「カレーライスなんかみんな好きだろ。それを利用したのさ」
「え!?」
「共通の話題として、カレーライスに議題設定(アジェンダ・セッティング)したまでだ。ぼくは、この話題で、初対面の女子としこたま盛り上がってきた。その成功率は、実に99%だ」
「カレーライスが……99%」
「残り1%は、うな重の話に替えてチェックメイト。何の問題もない」
 小島くんはうな重を食べたことがないので、バレないように黙っていた。
「君は、女になにか幻想を持っているな。なにも女とおもしろい話をする必要なんてないんだよ。女というのは、自分がたくさん喋れたらおもしろい会話だったと錯覚するようにできてるんだ。しかも最初の会話だったらなおさらね。最初の会話でこれだけ盛り上がれるなんて、この人とは何かあるんじゃないか。そんなことを思うようにできてるんだ。女に限らないけどね。とくに女が、ってことさ。男がやるべきことは、話題が尽きる手前で話題を替えることだけだ。尽きたあとに替えるんじゃない、尽きる前に替えるんだ。大事なのは、その転換をナチュラルにする能力だよ。例えば、ぼくは松川さんとカレーライスの話をしつつ話題の転換点を探っていた。そして、これ以上ない絶妙な間とタイミングで、シルバニアファミリーに話題を替えた」
「でも、松川さんがシルバニアファミリーをやっているとなぜわかったんだ」
「だからそこが君のバカなところだっていうんだ。シルバニアファミリーなんて、おしとやかな子はみんなやってる。そういう予測がなけりゃ、いつまでも会話なんて始まらない。とくに松川さんのようなA級女子とはね」
 小島くんは絶句した。生まれて初めて、かっこいいポジションのマンガキャラのような生き方をしている人間を見た。狙いをズバズバはめていき、絶好調な男。それが目の前に実在している。
「でも、相手がバカでない場合、喋らせるばかりでは無理ということもある。8割は相手に喋らせる。残りの2割で何をするか。自らの話で笑いをとるんだよ。さっきの話と矛盾しているって? してないよ。なぜなら、笑いをとれるようなおもしろい話はたった一つだけ持っていればいいんだ。それを覚えて、話すだけ。全ての女は、違う女なんだよ。小島くん」
 唐沢くんは小島くんを試すように笑った。
「そこまでできれば完璧、松川さんのような、君たちからすれば難攻不落の山城でも落とせる。ぼくは、塾の話に話題を替えて少し喋らせたところで勝負に出た。笑いをとりにいくんだ。何を話したかわかるね?」
「な、なんだい」
 小島くんはまじめな顔で聞いた。唐沢くんはバカにしたように笑った。
「塾の先生がカラスに襲われた話に決まってるだろ」
「カラスに……!」
「松川さんは爆笑した。もちろん、これまでの会話で松川さんがぼくに心を許し、ハードルが下がっていたということも補足しておこう」
 小島くんの心臓は、だんだんと早鐘を打ちだした。打ってる小坊主も何かおかしいとキョロキョロして、あせり始める。これ以上、聞かない方がいいような気がする。有益な情報のはずだが、これ以上聞いては何か大事なものが大事でなくなってしまう気がする。
「それだけで、松川さんはぼくのことを、話題が泉のごとく湧き出て、笑わせてくれる男と認識した。そうすればあとは簡単だ。彼女はぼくと話をしたいと思うようになる。そしたら、他の男子とぼくを比べるようになる」
 唐沢くんは小島くんを挑発するように見た。小島くんの胸の小坊主は忙しくなるばかり。腕はパンパンになり、汗だくだ。
「他の男子とお喋りをすることは退屈な徒労に変わり、ぼくとの会話を求めるようになる」
 小島くんは耳をふさぎたいが動けない。小坊主は「うわーー」と叫びながら半ばやけくそ、めちゃくちゃに鐘を乱打する。
「濃密な人間関係は、恋愛感情に発展する」
「や、やめろーーーーーー!」
 小島くんと小坊主は、一緒になって唐沢くんを突き飛ばした。油断していた唐沢くんはふっ飛び、壁に叩きつけられた。
「貴様は、貴様は最低のゲス野郎だ!」
 小坊主が、小島を押しのけ唐沢くんの前に立ちはだかって怒鳴った。
「そんな、そんな戦略で生きて、モテて、それで嬉しいのか!」
「嬉しいね」
 唐沢くんは痛がるそぶりも見せず、呟いた。
「このクソ唐沢、人でなしが!!」
 小坊主が飛びかかり、唐沢くんに馬乗りになって、ボコボコに殴り始めた。
 小坊主がいなくなった小島くんの心臓は止まった。フラつきながら倒れこみ、やがて苦しそうにうつ伏せになった。小坊主の罵声と鈍い音が響く中で、小島は松川さんの顔を思い浮かべようとしたが、うまくいかなかった。