●『対話の回路―小熊英二対談集』小熊英二 ●『SUPERMARKET FANTASY』Mr.Children

対話の回路―小熊英二対談集

対話の回路―小熊英二対談集


 今日は、製本の限界に挑戦することで知られる小熊英二さんです。『<民主>と<愛国>』や『1968』を読む気がしない僕も、対談本なら足を組んで読むことができるよ。
 色々と頭のいいことが書いてるけれども、そこらへんを全部無視して、みんなが思い惑っているところにスポットを当てることで、右往左往の中流階層読者をもっと増やしたい。
 その前に前置いておくと、昔のあれは良かったな、なんて思いがどうしても口をついてしまう、心にわだかまってしまう中学生から上全部の君たち。今流行っている音楽やらにため息が出る時もあるし、まあいいじゃんと思う時もあるけど、心が灰色のときはため息ですまないよね、ブログに書かなくってもさ。そんな時は、どっかで聴いたことあんよーななことをシコシコシコシコ、マジ顔でよおやってんなぁオイ! という悪口を言うために音楽番組を見ちまわぁ。
 そんな悩める目つきの悪い子羊たちへの処方箋が、これだ。1,2,3★

小熊 型の良さにあこがれるっていうのは、気持ちはわからなくはない。たとえば六十年代とか七十年代のロック・ミュージックとかは、真似したくなるわけですよね。だけど私は、それは型の良さじゃないと思う。とくに七十年前後の音楽なんてそうだと思うけど、型ができた瞬間の喜びとか興奮が録音に保存されていると思うんです。あれと全く同じことを型だけまねていまやったとしても、「オレはいま世界でいちばん新しいものをやっているんだ」という意識は持てないと思うんですよ。でも六九年とか七〇年にあの型をやっていた人たちというのは、彼ら自身に「これがいちばん新しくていちばんすごい」という興奮があって、それがいま聴いても人を感動させるんだと思う。

 69年や70年といえば、ビートルズが解散した頃で、3人のJが死ぬ頃で、ヘヴィメタのブラック・サバスが出たり、デヴィット・ボウイなんかがグラム・ロックで陰気な花を華やかに咲かせる頃。そのあとでツェッペリンとかディープ・パープルが出てくる。こういう、次はオレがオレがの波が小さくなるばかりか打ち消しあうようになってビッグ・ウェーブはおきようもなしというのが昨今。たまにでかい波がきて、誰だと思ったらしょぼくれた歌のうまいおばさんがボードの上に乗ってたりする。あれがウケたのは、あんなにしょぼくれてたせいで、みんながみんなあのおばさんが番組に出る前の人生を想像できたからだろう。いがらしみきおの『のぼるくんたち』(みんなマーケットプレイスで買って読めって!)には、「負けてもええから何か思い出してきてくれ。おまいさんはどんな人生をおくってきたんじゃ?」との名台詞がある。これがスーザン・ボイルに機能したのだ。ならば、みんなに問いかけたい。今、この半熟だと思ったら腐ってるだけだった亡国に個人体験と個人的な努力に裏打ちされた歌を歌っている歌い手が何人いるやら。


 桜井和寿は『SUPERMARKET FANTASY』収録の「口がすべって」でこんな歌詞を書いている。きたねえ耳の穴から茶ばんだ鼓膜引っ張り出して正座して聴きな! 禁断の歌詞全部載せいくぜ! 俺には言いたいことがある!


口がすべって(作詞作曲:桜井和寿


口がすべって君を怒らせた
でも間違ってないから謝りたくなかった
分かってる それが悪いとこ
それが僕の悪いとこ


「ゆずれぬものが僕にもある」だなんて
だれも奪いに来ないのに鍵かけて守ってる
分かってる 本当は弱いことを
それを認められないことも


思い通りに動かない君という物体を
なだめすかして 甘い言葉かけて 持ち上げていく
もう一人の僕がその姿を見て嘆いてるんだよ
育んできたのは「優しさ」だけじゃないから


争い続ける 血が流れている
民族をめぐる紛争を 新聞は報じてる
分かってる 「難しいですね」で
片付くほど簡単じゃないことも


誰もがみんな大事なものを抱きしめてる
人それぞれの価値観 幸せ 生き方がある
「他人の気持ちになって考えろ」と言われてはきたけど
想像を超えて 心は理解しがたいもの


流れ星が消える 瞬く間に消える
今度同じチャンスがきたら
自分以外の誰かのために
願い事をしよう


口がすべって君を怒らせた
でもいつの間にやら また笑って暮らしてる
分かったろう
僕らは許し合う力も持って産まれてるよ
ひとまず そういうことにしておこう
それが人間の良いとこ

 個人と社会、公と私という二項対立はポピュラーであるゆえ、簡単に考えれば考えられちゃうのがもがけばもがくほど沈む泥沼だ。小中学生に書かせる作文は、社会や公に良い意味で肩入れしようという意思が読み取れれば良しとされるけど、そのまま大人にはなれない我々の考えが深まれば深まるほど問題は股裂きの刑となり、それはめんどくさいので日々ほっといとく。
 俺には俺を取り巻く生活がある。この国では、多くの人にとってはその埒外とも思えるところで、公の問題が遠く立ち上がっている。そしてその公の問題のもとに誰か個人の苦しみがあるのだろうということはわかる。この当たり前の前提を私は持ってますよと桜井さんはここ数年ビシッと出している。そして実際に色々ジレンマもあるだろうながら社会貢献もやっている。そういうメッセージを発信している。出さなきゃ伝わらないからだ。出しても伝わらないという辛いところがあるけども。
 じゃあいわゆる貧しい人々に対して相対的に恵まれて幸せに見えるような私は、問答無用で、その苦しむ個人を、公に貢献することで助けるべきだろうか。自分を取り巻いている個人的な体験が「育んできたのは『優しさ』だけじゃない」という歌詞が、ぜんぜん水をあげてない鉢植えのように心に沁みる。俺というのは「口がすべって君を怒らせ」るし、変なプライドがあるし、「弱い」し、「それを認められない」のだ。そして、愛する人を怒らせないよう弱腰の態度を取ってモヤモヤしてしまう。
 じゃあそんな愛する人に対してさえ全幅の「優しさ」をそそげない俺という個人的存在が、世界や社会や公に対して貢献するということはどういうことなのかと桜井さんはすごい顔で歌いかけている。そしてここから立ち上ってくる湯気は、宗教者でもない一介の個人においては「どうあがこうと、『優しさ』というのは、全幅の『優しさ』を注ぐという純粋な形にはなりえないのではないか」という懐疑のにおいがする。そしてたとえそれが全幅であったとしても、そう誰もがそうとってくれるのかという問題すら乗り越えなければならない。
 この国にいながらして行う公的なことへのコミットは、想像を超えて理解しがたい個人を自他共に消し去る形でしかできない。社会的存在としての自分によってしか社会貢献はできない。なら、やったら偽善者か? 偽善者にならないためには「難しいですね」と言って手をこまねくしかないのか。それでは片付かないのだ。アホが読んでると困るので言っておくと、片付かないのは、その問題が片付くことではもちろんなく、桜井さん個人の感情が「難しいですね」って言うだけじゃ片付かないよ、納得できないよということなのだ。 福本伸行が『最強伝説 黒沢』で描いた「人間とは何か。今よりまともな人間になろうっていう気持ちだろう」というあの気持ちがここにもある。こいつを捨てきれないのが人間だと信じたい。だからこそ『口がすべって』は桜井さんの個人的意見を歌った歌ということだ。今より良い人間になりたいと願う気持ちはいつも個人的。俺が言いたいのはそういうこと。
 この歌の落としどころを俺なりに考える。個人には個人の生活がある限り社会に貢献することはジレンマがつきまとうけれども、それをわかりながら、個人であることを優先する自分がいることを自覚しながら社会貢献の意思を持とうとしたい自分がいる。ふいに現れる流れ星を見た瞬間に、他者のために祈れる自分でありたいと心から思うこともある。しかしその態度は、逆に、つまり、社会貢献の意思を持ちながら個人であることを優先しているように映ることがあることもわかっている。それはちょうど、愛する人に接するのと同じようにだ。ただ、愛する人とは、それを許しあうという現実がある。理解できない他者であり、ところがどっこい同時に愛する君でありうるならば、いわんや社会をや。社会においても、よりよい関係というのは許しあう形をとるしかなく、個人においてそれができる人間は公の場においてもその力を発揮できるはずだ、というのだ。しかし桜井さんは無邪気ではない。それは余りに楽観的にすぎることをわかっている。だから「ひとまずそういうことにしておこう」なのだ。ここにあるのはポジティヴなアイロニーである。逆に言うと、個人としての人間は、ここまで考えて自分を説得し、ひとまずそういうことにしておかないと、まともな顔で社会貢献などできない時代なのである。


 そして今現在桜井さんがそれを考えるからこそ、この歌は小熊英二の言うような、型ではなくその気概の生む熱量が呼び起こす感動を運んでくる。少なくとも俺は感動していっぱい聴いている。自分自身で今これに向き合うんだと思って、現代のあたらしい歌詞の歌を歌っているんだというその熱量は、型に回収されない。熱かった時代、たとえば日本でフォーク・ミュージックが全盛だった時代には絶対書けない歌詞だけれども、それと同じ熱量がある。
 惜しいのは、ほかにこういうことを考えてこのクオリティーの歌詞を作るミュージシャンがいないために、その熱量が時代を作ることはないだろうということだ。まして型すら模倣できないという状況。ならば、個人が自分の好みで勝手にやるのが今の時代ならば、その時代に作る歌は個人的でなければいけないはずだ。じゃあ、『口がすべって』のような個人的な歌は作られているだろうか。個人的とは、スーザン・ボイルの見た目に人生が透けて見えるということなのだろうか?
 今日はちょっと真面目な話をしちゃったな。反省だ!

SUPERMARKET FANTASY [通常盤]

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