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『そうだったのか!現代史』池上彰

そうだったのか! 現代史 (そうだったのか! シリーズ) (集英社文庫)

そうだったのか! 現代史 (そうだったのか! シリーズ) (集英社文庫)


 これを紹介することは恥ずいことなんじゃないのか、と心の闇がまっかっかになっている中、紹介します。
 道行くおじさんに「おい、天安門事件について説明してみろ!」と水鉄砲を突きつけて、この本のようにわかりよく説明されたら、俺はその場で自らの耳に水鉄砲を当てて日本のおじさんのクオリティの高さを褒めながら中耳炎になってやる。忠誠を示したい。
 でも実際、こんなふうに説明してくれるおじさんはそんなにいないだろうけど、例えばもしうちのお父さんに「天安門事件について、遡って説明してみろ」とか言ったら、んーとが6回、えーとが10回、たぶんがっくしする結末が待っていると思う。そしてかなりの数のおじさんが、結果発表の後、うちのお父さんの後ろに並んで敗者復活戦にまわされるだろう。
 こんなふうに、本を読むとたまにイヤな奴になることがあるよね。三時間前なら親子で並ぶところを、俺は物知りだぞとイヤな奴になっている。おじさんに天安門事件を説明するように言うやつは絶対イヤな奴だと思うよ。なぜなら、歴史を、自分を輝かすためのジュエリーだと思っていやがるから。毎度ながら自分にあきれてしまう。
 関係ないけど、ドラクエで初めて「おどる宝石」を見た時は腰を抜かしたよね。「宝石をモンスターにしよう」と最初に言った奴、そして「そうしよう」と言った奴、極めつけは「名前は『おどる宝石』にしよう」と言った奴が俺のいるサウナに入ってきてその時のことを話し始めたら、一生忘れられない思い出になるだろう。ドラクエ4コマで「おどる宝石」を道具屋に売る話を発表した奴は、最初の奴以外罰ゲームでいいと思う。
 さて、本を読んで、読んでないのに知ってる感、読んだから知ったわけじゃない感を出してしまうのは、こどもニュースで得た知識を人に喋る時に、三年前からやらせてもらってますという顔になる時と似てる。ご存知、という感じを出す。当然、著者の池上彰はこどもニュースでおとうさん役をやってた人で馴染みがある。今、おかあさんをはしのえみがやってることに関して、とくに思うことは無い。
 考えてみると、世界中で戦争や紛争や色々なことがあって、それをなんか一人のおっさんが異様に知り尽くしてこっちに説明してくるというのはかなりイヤな話だが、それでもあんまりイヤじゃないのはなんだろう。
 俺で言うと、世界でこんな悲しいことがおこってるのは知っておいた方がいいよと思う天使な誰かさんが心の中にいて、かたや、知ったそばから機会あらば誰かにしゃべくりセブンだよバカヤロウと思う悪魔な誰かさんがいて、その二人が暫定的に平和協定を結んで、こういう本を読む気になっている。
 ところがどっこい池上彰の場合、どうも天使がしゃべくりセブンしているように見える。だからOKというふうに感じる。ただ、それをやるには様々な技術があるのだろう。あるのだろうっつってたらそれをまとめた新書が発売中なので、そうなってくると理性とは裏腹に「おどる宝石」の顔が浮かんでしまう自分にはエヘヘと言わざるを得ない。こんな気持ちが、世界をこの本の通り、後から思えば「ダメよダメそげなこと」な方向へ進まして、後で一人のおっさんにわかりやすく説明されてしまう原因なんだとも思う。エスカレートさせないように、いい人間になるための方向で頑張っていこうの印、ピースサイン。そして、だいたい知ってるレベルの問題しか出ないクイズ番組を見て穏やかな顔ができること。それが歴史に学ぶということだ!