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瑛念

和尚が加圧トレーニングに行っている間に、瑛念はお堂の、普段は口をすっぱくして立ち入り禁止と言われているゾーンに立ち入り、重々しい扉を開いた。
「思った通りだ」
中を見て、瑛太にクリソツなところから名を付けられた瑛念は、怒りがムラムラ湧いてきた。
「和尚様ときたら、こんなにたくさんの保湿剤を独り占めしようとしている」
冬が近づくにつれて、寺はどんどん乾燥していた。和尚は化粧水や乳液を自分用にためこみ、わけるつもりは毛頭ないらしい。
「坊主だけに」
瑛念はややカチカチになったかかとを廊下に打ちつけながら、これについて相談しようと二歳年上の運休のもとへ向かった。運休は柱に寄っかかって携帯でマンガを読んでいた。
「運休さん、また春輝ですか」
「ん? ……別に……違うよ?」
運休は携帯を閉じ柱から体を離して向き直った。
「何が違うのです」
「マンガだけど、春輝のじゃない」
「春輝しかダウンロードしていないじゃないですか。それに今月のポイントはもうないはずです」
「……そういう意味で言ったんじゃなくて」とここで観念したようである。「ほら、パッケージが違うとな?」
運休は言い訳するように難しい顔をし、パッケージと言ったところで、手で球体の形を示した。瑛念にはわけがわからない。
「パッケージ?」
「携帯で読むという、この……パッケージの違いが…読書欲を高めるという……ことの、な?わかるな」
「わかりません。マンガは読書ですか」
「読書というか、とにかくパッケージの違いってとこをわかって欲しいわけ。同じ、人として」
その後もパッケージという言葉をキーワードにして繰り返し繰り返し運休は自分が春輝のマンガを携帯で読む理由を説明した。不細工な顔が必死になっていやらしく蠢くのを見て、瑛念はまた言った。
「わかりません」
「いいか瑛念。私だって朴訥としたものでな、何も単行本を揃えようなんて気分にはならない。でも携帯だと、まあ読んでもいいかという気にもなるという、それがパッケージの違いというものでな。パッケージが……」
「言いたいことはわかりましたが、それをパッケージって言います?」
運休はまた手で球の形をつくり、しばらく何事か考えながらそれを持て余していたが、やがて腕を組み、急に真面目な顔で「瑛念」と言って話し始めた。
話の骨子は、パッケージには触れもせず、さらになぜ見るのかすらもとより、見たところでそれは単なる暇つぶしであるからあれこれ言うには及ばないし言われても気にも留めないというものであった。
「瑛念、例えばな、昔々、年中放屁ばかりしておる男がおったそうな」
「はあ」
「噂を聞きつけた殿様が、そいつはおもしろいと言ってその放屁男を城にお呼び出しなさった」
殿様は「お前はとにかく屁をこくそうじゃな」と言った。放屁男は「へえ」と答える。まずい洒落になっているが本人はとんとわかっていないようで、周りに控えた殿様の家来はクスクス笑う。そこで一発屁が出る。みんな笑う。次に殿様は矢継ぎ早に質問なさる。「1日にどれくらい屁をこくか」「寝る時も屁をこくか」「宇宙で屁をしたらどうなるか」「思い出に残っている屁は?」放屁男は素直に答え、屁をまたこきまた笑わせ一日を過ごした。家に帰り、母親に殿様の様子を聞かれてこう言った。
「屁みたいなものに熱心な御方だった、と。わかるな、瑛念」
瑛念はわかると言えばわかるし、わからないと決めてしまえば大いに我が意を説明できる気がした。要は、世間の異が普段になった人には世間の声など馬耳東風、果ては世間の方が詮無きことにかかずらっているふうに見えてくる、ということだろうが、そもそもその話に得心がいかないのもあるし、当の運休が放屁男のように泰然自若として携帯で春輝を読んでいるようには思えない。どうもこそこそしているように見える。ただでさえ女犯の戒律のあることだからはじめからこんな議論はむなしいが、それがなかったとて後ろめたさのあるを為すというのは仏道につかえるものとしていかがなものか。これを伝えると、運休は、
「は? いっつもいっつもうるせーんだよてめえは!」
といよいよキレたということである。