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『まことちゃん』楳図かずお

まことちゃん (1) (小学館文庫)

まことちゃん (1) (小学館文庫)


 例えば百年後に人間は、僕達はなんてしょぼいことばっかりしてきたんだ、って思うに違いない。データが揃いまくってきて、検索も信じられないことになってきて、週刊少年マガジンで3ヶ月で終わったようなギャグマンガでさえ手軽に省みることができるようになって、もはや「こんなひどいの見っけましたよ」みたいな奥の手でも笑えなくなってきているはずだ。そしてますます、僕達はなんてしょぼいことを……と言って涙を流してポカリが開けられないはずだ。なぜそんなまるでお前が人間そのものであるかのような大きな目線になっているかというと、グローバルがいききった社会だからです。半分冗談だけど、マジでそういうことになってると思うよ。
 そん時、百年後にギャグマンガって何が読まれてるのかな〜って考えた時、マジで楳図かずお大先生の『まことちゃん』だろうと思った。
 2009年現在でさえ、23歳の僕がおよそ30年前の『マカロニほうれん荘』を読むことはけっこう辛いことだけれど、僕は何事も勉強勉強、だと思って読んでいる。受験勉強と同じく、ここを乗り切ったらまるっきし使わなさそうなものを頭に仮住まいさせるのは凄いムダをしているような気さえして読んでてやきもきする。やっぱり今の時代を汲んだ上でギャグにしたものじゃないとダメよ……なんて思う君の胸倉をつかんで腕によりをかけて持ち上げて言いたいことは、『まことちゃん』は『マカロニほうれん荘』より前だってこと。そして僕は『まことちゃん』で何回も何回も爆笑しています。謹んで申し上げます。
 うすた京介はパクりのめされて本人までやりようなくなるという地獄の応募者全員スパイラルにもろともハマってしまってかわいそうだ。人間はいつまでもわけのわからないものを作り置きできないというのは本当らしい。そしてそれはどんどんどんどん作りにくくなってくるらしい。99.9%の人間がそんなんだ。
 その時に、まだ使えるのはどれかな〜とか余裕こいてオールタイムベストを選んでいると、爆笑させられることがある。そういうものが百年後にホログラムで配信されるのだろう。
 時代をすっ飛ばすものは確かに存在していて、僕(としておくけど「僕達」だ多分!)は全然、楳図かずおに近づけない。2008年の活動は家を作ることだけだったとさえ言われかねない楳図かずお先生にまだ笑わされている。昔ガキの使いのスペシャルで、楳図かずおが豪快に落とし穴に落ちてて「あれは引いた。あれはやらせちゃいけない」って意見があったけど、僕は最初見た時、笑わなかったけど、それは全然笑わなかったけど、「楳図の意見だ!」と思った。楳図は自分で「落ちたいんです」と言ったと思う。だから僕の感想は「かっけえ」の一言でした。
 一つ但し書きをつけておくと、『まことちゃん』が今なお笑えるのはウンコやシッコの力があるのかも知れない。でも最近は思うんです。ウンコやシッコと一番仲良く肩が組めた人は、一番おもしれえじゃないか。その一方で、そこには『漂流教室』や後の『わたしは真悟』を描いた脳味噌のあれやこれやがばっちし働いているわけです。
 そんな途方も無いすげえ状態に出会った時、人は「深い」としか言えません。それは俺には底を見透かせない、もう無理だ、という敗北の宣言で、僕はなるたけ使わないよう負けず嫌いに生きてきたけども、言うしかないような人が世の中にいて、そんな時は素直に生きててよかったと言わなくちゃいけません。